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117 甦りのこと 赤塚さんへ

赤塚さんお手紙ありがとう。

びっくりしました。
ビールを飲むは、「ツカレナオース」ビールのことは「アサヒ」乾杯!は、「ショートツ!」っていうのですね。ニコニコしちゃいます。素敵です。

前の会の時に、かっこちゃんもいつか行こうって書いてくださっていました。私もぜったい行ってみたいと思いました。どうか連れて行ってくださいね。
きっと疲れなおすと言いながら、ベリリュー島のみなさんとも一緒に乾杯を先人のみなさんがされたのですね。

赤塚さんはどんどん続く旅の中で、それを日常に思っておられて、「大変だ」とか「疲れる」なんておっしゃらずに、ひとつひとつを丁寧に行って、そして後ろに道を作っておられるます。本当に素敵で尊敬しています。

赤塚さんが書かれました。
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 地震、台風、自然災害がやってくる日本の国民を守る。
 他国からの脅威から、日本国の独立を守る。
政治家に任せて文句を言うだけでなく、国民一人一人が考え、たくましく繋がってゆかなければならないね。
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本当にそうですね。自分にできることは何か、考えていかなくてはなりません。誰かを責めるのじゃなく、では自分はどうなのかと考えること、それは一番大切なことですね。

そうそう、モナ森に、新しくショップのコーナーができたんです。あちこちで買ってきたおみやげや、手作りのもの。みなさんが送ってくださった手作りのものなどいろいろを販売する場所。お寺の階段のところに作ったの。今度いらしたら、見てくださいね。電動ドリルで作ったよ。

私、思ったの。あちこちでお買い物をするのは楽しみ。モナ森にもそんな楽しみもあったらうれしいかもしれない。そしてみなさんも、能登のためならいっそううれしいよって言ってくださる気がするのです。それから、能登の今を知っていただくための旅も平和くんにもお願いしながらすすめています。
でも、やっぱり何にもできていないと思うのは、出かけて土を掘り出すというようなことができていないからでしょうか? また考えます。

ところで、前に赤塚さんが書いておられたように、魔法の文通があるから、いっそう考えることを続けていられることにも感謝の気持ちでいっぱいです。

赤塚さん私もおんなじです。
私、結局のところ、「サムシング・グレート」を思いながら、物事を考える癖がずっとあるのだと思います。

何ヶ月か前に、イエス様の甦りについて、お話というか議論? 言い争い? されているお二人がおられて、私は少し離れたところにいました。
そして、私はずっとそのことについて考えていることがあるなあと思っていたけど、お二人でお話ししあっておられたので、私は口を挟めるはずもなく、必要もなく、その場にたまたまいただけで離れました。

赤塚さん、村上和雄先生とおしゃべりしたときにね、亡くなるとき、そして、生まれる時にもものすごい脳内モルヒネが出ると教えてくださいました。
そのとき、脳の状態は幻覚とか幻聴を見やすいのだそうです。
そう言えば、脳内モルヒネに限らず、手術のあとなどに、モルヒネの副作用としてせん妄症状が出ることがあります。せん妄、幻覚で、そばについている方が驚かないように、前もって家族にお医者様から伝えられたりするそうです。「なんだか人が変わったように、ヘンテコなことを言うことがあるけど、お薬のせいなので、気にしないで」って。

母が腰の手術をしたときに、やっぱりせん妄状態になって、母らしくないことを言ったので、本当に驚いて怖くなりました。「お母さんどうしちゃったの?」って思いました。せん妄のこと、知ってはいてもやっぱりびっくりして、ショックでしたが、すぐに元通りの母になりました。

ところで、お坊さんにも教えていただいたし、そしてサムシング・グレートでもおんなじですが、この世は、「その人がむなしく生きなくてすむように、目の前に、人やモノやコトがあらわれ(出会って)て、その人にとっても、全体にとってもいいようになっている」というのがあります。

それでは、臨死体験や、あるいは小さなお子さんがお腹の中のことを覚えているというお話しを聞くことがありますが、それはどうなのかと思うと、私は、サムシング・グレートがその人にとって、あるいは誰かにとって、あるいは全体にとって必要だからこそ、臨死体験の川や向こう岸にいた家族などを見せてくださったのかなあと思うのです。
そんなふうにいうと、では真実ではないのかと言われる方があるかもしれません。私はそれは違うと思っています。見たとおっしゃるなら見たし、覚えていると言えば覚えておられるのです。だから、嘘なんかじゃなくて、本当に「経験」されたのだと思います。
そして、それは、天が、あるいはサムシング・グレートが必要だから見せてくれているのだと思います。
そのときに、それが生身の人間が体験したことか、頭の中で体験したことかというのは、私はそれほど大事なのかなと思います。なぜなら、私たちだって、植物だって、石ころだって、必要だから、宇宙のつぶつぶのスイッチのオンとオフによって、現れたもの。夢であろうと、そして、臨死体験であろうと、お子さんのお話しであっても、みんな私がここにいるということとなんら変わらないような気持ちがしています。

赤塚さん、私、また突拍子もないことを考えて、言っているのでしょうか?

赤塚さんがお話ししてくれました。
蘇られたイエス様にパウロは会って、目から鱗がおちたということや、ペテロがイエス様に朝ごはんを用意してもらって「一緒に食べよう」って言ってもらったりしたこと。
そのどちらも、きっときっと天がパウロとペテロにはもちろん、あらゆる人にとって必要だから、蘇られたイエス様に会わせてくださって、それが、肉体を持っていたか、肉体を持っている本当のイエスと感じたのかということか、そのどちらかということはきっとあんまり大切なことではなくて、会ったという人がいれば、本当に会ったのだし、必要だからこそ、天が用意をして、パウロにもペテロにも、そして最初にマクダラのマリアにも「会って」みんなが同じように、本当に蘇ってくださったのだと感じたのかなあと思うのです。
みんなでひとつのいのちを生きているときに、亡くなっても、生きていても、それは今ここの一点にあって、全部必要なこと。

けれど、こんなことを書くと、言い争いをしておられた方が万が一に読まれたら、叱られちゃうかもしれません。でもね、なかなか言えなかったけど、私はこう思いますということはやっぱり書いておきたいです。

こんなふうなことをずっと考えることができるのも、イスラエルに行ったからなんです。
赤塚さんに連れて行っていただいて、最初にイスラエルに行ったときに、嘆きの壁の前で揺れている人を見て、学校の自閉症のお子さんとおんなじだと思ってから、私は脳のことが知りたくて仕方がなくなりました。
私がどうして?と村上先生にお尋ねしたり、調べたりして、ワクワクしながらいられたのも、そして今もそうなのも、やっぱり旅に行けたからです。
ありがとう、赤塚さん。

ね、もうすぐイスラエルの同窓会です。「若手グループで司会やらせてください」っておっしゃったので、「私も入ってる?」とはさすがに厚かましくて聞けませんでした。いえ、何かできるかなあと思って。
素敵ですね。みなさん、いろんな企画をしてくださって、どんな会になるでしょう。本当に楽しみです。

その日にも赤塚さんのお話が伺えるのも楽しみです。
ではその日まで          赤塚さんありがとう。またね。

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