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107 怒りではなく悲しみ 赤塚さんへ

中秋の名月が空にかかる日に私はイスラエルから家へ戻ってきました。
ペテロ遺跡では三日月だった月が死海では半月となり、そして帰ってきた日には丸く大きな月になりました。イスラエルからの帰りの飛行機の中からも大きな月が見え、海にも映って、まるで二つのお月様があるようでした。
赤塚さんは次のグループのみなさんと一緒の旅がもう始まっているのでしょうね。

今回の旅もまたよく泣きました。心が震えて涙し、楽しくても涙し、そして悲しくて涙し、そして嬉しくていっぱい涙しました。
ウクレレの仲間にはいってくれた平和くんがお部屋へ戻る時、同じ階だったので、話をしました。平ちゃん(平和くん)もまた「今回はよく泣きました」と言われました。
私も何度か平ちゃんの涙を見ました。マサダでは、まるで目の前でいろいろなことが行われているように感じられる赤塚さんのお話にみんな涙が止まらなくなり、平ちゃんも赤塚さんに「何度も聞いているのに涙が出て」と言っておられましたね。

赤塚さん、私が心に残った平ちゃんの涙は、ガラリア湖畔で赤塚さんがお話されていたときに起きた事件が発端でした。
イエスが蘇って戻っていて、顔もあげられないペテロに、三度、イエスが顔をしたから覗くようにして、お前は私を愛するか? お前は私を愛してるか? と尋ねる場面の場所です。
裏切ったペテロにご飯を用意するイエス。そして、愛しているか?と尋ねるのです。

赤塚さんがみんなに話してくださった黒い石の浜べは、ガラリア湖畔に立っている教会の裏にありました。牧師がここは入ってはならない。出ていけと声をあらげました。
平ちゃんは、赤塚さんのここでのお話はとても大切と知っておられたので、僕が話をするので、始めていてくださいと言われました。

そのとき、平ちゃんはおそらくは怒ってはいなかった。でも、涙しながら、牧師に、「ここにいるみんなは遠い日本からはるばるイスラエルを応援したくて、イスラエルを大好きな心でここにいるのです。どうか、わかってください」という思いでずっと話してくださっていたようでした。でも、牧師には少しもその思いが伝わらないのです。「裸でユダヤ人が海水浴するのが嫌だから」

平ちゃんはイスラエルに長くおられました。イスラエルのことも大好きなのです。なぜ伝わらない。なぜわかってくれないのだ。平ちゃんの心は悲しみでいっぱいだったのだと思います。
「出て行かないなら警察に電話をする」
平ちゃんは戻ってきた時に、やはり泣いておられました。悲しかったのたと思います。そしてね、赤塚さん、平ちゃんはバスの中で、そのことは言わずに「神様は怒ったのではない。悲しかったのだと思う」と言われました。

平ちゃんが言われたのは、聖書に神様が怒ったと書かれてある場所が何箇所もあるからなのですね。

本当にどれほど平ちゃんが悲しかったのだろうと思いました。決して怒ってはいないのです。悲しかったのですね。
赤塚さん、悲しみは愛です。愛だと私は思います。

赤塚さん、私は「宇宙(そら)の約束」に書いた自分のことを思い出していたのです。
そのときは、まだ私が中学生のときでした。
 今でもその情景をよく覚えています。いつも穏やかな先生が、顔を真っ赤にして、机を頭の上にかかげていました。先生はとても怖い顔で、一人の男の子をにらみつけていました。私は泣きながら「やめて、やめて!! していないって言ってる。していないと言っている」と叫んで先生の腕にしがみついていました。教室がシーンとなりました。先生もクラスメートも私のしたことにとても驚いたのです。
 私はどうも、とてもおとなしい子だったようなのです。同窓会があると、友だちは「かっこちゃんってトイレにも一人で行けなかったよね」と言います。そんなはずはないのですが、友だちはそう感じていたのだと思います。「バス停で待っているとき、いつもいつも順番からはみ出ていって、バスが満員になって、何台も通り過ぎても、ずっと最後まで乗れずにいたよね」と。私の中ではあまり記憶にない部分です。
 そして友だちはときどき、あの日のことを口にします。
「弱虫なはずだったのにね。かっこちゃんってあのとき、すごかったよね」

 その日は集金日だったのです。一人の集金袋が机からなくなったのです。先生がみんなの前で静かに「この中にだれか、集金袋を盗った者がいる」と言いました。
 そこから後のことについては、どんなやりとりがあったのかあまりよく覚えていないのです。私が覚えているのは、その後、先生が一人の男の子の胸元をつかみ「おまえが盗ったんだ。わかっているんだぞ」と怒鳴っていたことでした。男の子は「していない。していないよ。僕じゃない、盗っていない」と泣きそうに言いました。
 そのとき私の心の中に、いったいどんなふうな思いがわき上がったのかはわかりません。気がつけば弱虫なはずの私は、先生の前に立ち、泣きながら先生の腕にしがみついていました。「していないって言ってる。していないと言ってる」と私は叫んでいました。
何か心がしみじみと悲しかったのです。
 大学生になったころ、その男の子から手紙が来ました。
「あのお金は本当は僕が盗ったんだ。でも、信じて。もうあれからは一度だって盗っていないんだよ。かっこちゃんが、僕をあのとき信じてくれたから、もう決してしまいと思えた」
そして驚いたことにその友達の手紙には「ありがとう。それが言いたくて」と書いてあったのです。
 そして何年か前に、定年前のその先生に偶然会いました。先生はずっとそのときのことを覚えていたそうで「若い自分をよく止めてくれたね」と笑っていました。「あのとき、どうして僕は生徒を信じられなかったんだろうね。かっこが信じていたのに、僕はできなかった。あれから僕は生徒を守ろうと思うことができた。今ね、みんなが僕に、先生やめないでと言ってくれる。いい教員生活を送れたよ。かっこのおかげだよ」
赤塚さん、私はただただ驚いたのです。なぜって、私の心の中で、それは思い出したくない傷として残っていました。
 クラスの男の子が「おまえ、スゲェな」と言いました。「おまえって、先生に反抗したりするんだ」と言いました。男の子がどんなふうな気持ちで言ったのかはわからないのです。ただ、その言葉は私の心には痛かったのです。弱い自分も、そしてこんなふうに止められない自分も、どちらも私は好きになれなかったのです。そしてそれは、自分自身を心から好きになれない大きな理由のひとつでもあったような気がします。
 私にはときどき、相手がだれであろうと止められないときがあるんだ。私の中の激しいものがわき上がってきて、そんなときは、自分でも知らない間に争おうとするんだと思いました。
 けれど、そのとき、男の子も先生も、「かっこがいてくれたから」と言ってくださったのです。あんなに嫌な思い出だけど、それでよかったのかもしれないと思ったのです。

私はそのときのことを思い出していました。
平ちゃんが一生懸命伝えたことが、牧師さんにどんなふうに心に残るかはわかりません。でも、私みたいなこともある。10年ももっと経ってようやく、悲しい思い出が、もしかしたら必要で起こったのかと思える日が来て、あるいは私たちや平ちゃんにはわからなくても、あの日本人の青年は、ますぐな目で僕に、言ったなあと思い出してくれるのかもしれないと思いました。

そして平ちゃんの行動も、そしてもしかしたら私の行動も、それぞれの思いであることは間違い無いけれど、神様の思いだったのだろうかと思いました。

赤塚さん今回も旅の仲間のようこちゃんは、てんかんの発作が起きたりすることもあるお嬢さんのまゆちゃんと一緒に参加してくれましたね。

ようこちゃんが言いました。「旅は一人で行ってきたらいいのに。まゆちゃんは預けていったらいいのにって言われるけど、それは嫌なの。かっこちゃん。まゆこが連れてきてくれたの」
ようちゃんの言われること、私にはすごくわかる気がします。
たとえば、もしかしたら今回初めて会う旅の仲間の中にはもしかしたら、最初は「一緒に旅に来るのは、親の身勝手ではないのか。本当にまゆちゃんは来たいのか」と思った人もおられたかもしれません。それは特別なことではなくて、そんなふうに思う人もおられるでしょう。でも、まゆちゃんとようこちゃんのおかげで旅はどんどん豊かになっていきました。
お一人の方は、少し悩むことがあって、眠れない夜をすごした朝、まゆちゃんがじっと顔を見て「よく眠れた?」と顔を覗き込むように聞いたそうです。そのときその方は、悩んでいたけど、私はこのままでいいんだとそのとき感じられたそうです。
荒地を歩くときも、少し急な石段を歩く時も、誰かが二人の荷物を持ったり、心をみなさんがかけておられました。それはまゆちゃんにだけでなくて、旅全体が愛でいっぱいになっていきました。
泰ちゃんは荒地に行ったときに、高い塀をかるがると越えて、そして先回りをして、戻ってきて、私たちの手をとって助けてくれました。
まゆちゃんが発作が起きて倒れたときに、「僕はお姫様抱っこができるよ」とまゆちゃんをかかえて、バスまで連れて行ってくれました。
ねえ、赤塚さん、私は思うのです。ようこちゃんが「一人じゃ嫌なんです。まゆこと一緒じゃなくちゃ」と思ったのは、ようこちゃんが思ったようだけど、きっと神様が思ってるのです。きっと神様のサムシング・グレートの思いなのです。

ようこちゃんは何度もまゆちゃんに「ありがとうね。旅に連れてきてくれて」と話しておられました。まゆちゃんは優しくにっこり笑っていました。

赤塚さんがいつも伝えてくださるのは、愛することだと私は感じています。イエスが裏切った弟子たちに朝ごはんを用意して、お前は私を愛するか?と三度聞く。
そして赤塚さんはそこからペテロは変わったのだ、変容がはじまったのだと教えてくださいました。
きっとまゆちゃんを通して、みんなの心の中にある愛でいっぱいの遺伝子が、ONになる。私たちはまゆちゃんがいてくれて、そして、この優しい旅を通して変わっていけるのだと思いました。
赤塚さんはおっしゃいましたね。誰かに言われて変わるのじゃない。変容は内側から起きるのだと。

私はサムシング・グレートが「私たちは変われる」ように作ってくださっていることに胸がいっぱいになるのです。
赤塚さんのお話は、赤塚さんの旅は、いつも私たちに、お互いが変われるように、学び合って教え合って、しあわせだと気がついていけるようなものだと今回も思いました。

ねえ、赤塚さん、イエス様のお話は本当に全部愛でいっぱいですね。みんな本当は幸せでいっぱいで、ちゃんとむなしく生きなくてすむように、ものやことや人との出会いが用意される。
あの丘でみんなで何度も叫んだ「アシュレ!」の言葉が何度も私の中で蘇ります。

赤塚さん、素敵な旅をありがとうございました。きっと新しい仲間とも新しいドラマが繰り広げられるのでしょうね。

いろんなことは起こります。バスが軽い接触事故を起こしたり、ヨルダンではギアを変えるハンドルがポキンと折れたり。予想もつかないようなことが起きる。でもどれもまたうれしいことにつながると思います。
でもどうかいろんなことが簡単に起きますから、お気をつけて旅を続けてくださいね。
心から感謝を込めて  またね。かつこ

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