76 とっちんがね。亡くなったよ。赤塚さん。
赤塚さん
赤塚さん「魔法の文通、僕の番だけど、かっこちゃん書くといいよ」って言ってくださってありがとう。
とっちんが亡くなったこと。書いておくといいよって思ってくださったのですね。赤塚さんいつもいっぱいの温かさを心から感謝しています。
本当にありがとう。いつもこうして私の気持ちをわかってくださるのですね。
とっちんが亡くなった日に、私はアメリカにいました。赤塚さんも出演いただいているとっちんやみんなと作った「しあわせの森」の映画が日本でいっぱい上映いただいて、字幕が英語になって、アメリカの五か所での上映会が始まって、その日は最後の上映会の前の日でした。
私は、叫ぶように思って、facebookに書きました。
・・・・・・・
どうしよう。どうしたらいいの。どうしよう。でも、どうしようって思っても、とっちんは目をあけてくれないんだね。
「ねえ、とっちん。私、もっともっとサムシング。グレートのこと、伝えたい。アメリカに来てすごくそう思った。ねえ、毎日動画撮ってとっちんに送って、YouTubeにあげてもらってもいい?」とっちんに電話で言ったのは、昨日でした。
「絶対やろう。すぐにでもやりたいよ。かっこちゃんが言ってくれることは全部したい。動画と静止画を送ってね」
そんなやりとりをしたのです。昨日。
ラインも送ってくれて「僕たちの映画、アメリカで上映してるって夢みたいにうれしいね」ってそう言いました。
「僕の人生、こんなことになっていたって、信じられないよー、かっこちゃん」って。「みんなで頑張ってきてよかったね」って。
とっちんは、映画「しあわせの森」の仲間。この映画は仲間みんなで作りました。私が荒く編集したものをとっちんがきれいに仕上げてくれて、そして英語を場面に当てはめてくれたのもとっちんでした。
私たちは偶然に出会って、そして、十日も会わないと、お互いに連絡をしあって、とっちんのいるカフェを訪ねたり、モナの森に来てくれたり…。
「かっこちゃん、モナの森でクリスマスしたいな」とっちんがそう言ったのです、だから、仲間とアメリカから帰ったらしようねと約束をしたところだったのです、
そうだよ、いろんなこと、いっぱい約束したんだよ。
それなのに、4年前にアメリカのテキサスで偶然会ったお友達が、驚いたことに偶然とっちんとお友達で、(そんなことありますか? お客さんが10人くらいの会で、そのあと一緒にご飯を食べに行った友達)その友達から、メッセンジャーで
「今日から三日間岩坂さんと会う予定で、小松空港に到着したのですが、昨夜、岩坂さんお亡くなりになられたそうです」って連絡がありました。
え!?誰のこと? 岩坂さんって誰? 誰? なんのこと?
え!? とっちんのこと?
「そうです。ちなみに、死因は、ご親戚曰く、白血病ではなく、大動脈乖離みたいです」
とっちんは、初上映会の時に
「白血病になって、でもそのおかげで、かっこちゃんに会えて、そして人生変わった。かっこちゃんに会えたあの日から変わりました。白血病にならなかったら、かっこちゃんに会えていなくて、今の自分はなかった。白血病に感謝」ってそう去年の6月の映画の初上映会で言ってくれたのです。
私はまだ信じらんないです。だって、昨日、また新しいこと始めようって約束したばかりじゃない。帰ったらクリスマスしようねってそう約束して、「しあわせの森」の仲間で、地元に住む英子ちゃんとすずちゃんと四人でモナの森でやろうねって。
大きなツリーを買ったんだよ。飾りもいっぱい買った。
楽しいことこれからもいっぱいしようねって約束したよね。
嫌だー、嫌だー。
映画の中でどんなに「死はサムシング・グレートの望みだから」ってそう言ってても、まだだよ。まだだめー。
でも、とっちん、泣いてちゃだめなんだよね。いつだってそうだった。雪絵ちゃんが亡くなったときも、村上先生が亡くなられたときも、宮ぷーのときも…。泣いても帰ってきてはくれない。
けれどね、あれからみんなはいつも私のそばにいて、私を支えてくれる。
とっちんもそうなんでしょう。
明日はアメリカでの最後の上映会と講演会。ああ、ぼくも行けるものなら行きたいって言ってたね。お通夜もまだだけど、きっと一緒にいてくれるんだね。だから一緒に映画を観てもらおうね、いっぱいの人にこれからとっちんとみんなで作った映画観てもらおうね。おとといはオーストラリアの友人が、昨日はドイツの友人が上映したい、かっこちゃんに来てもらいたいって言ってくれたよと話したら、あんなに喜んでくれて、一緒に行きたいって。
一緒に行こうね。そうしよう。
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赤塚さん、おかしいよね。
私、どうしようもならないことなのに、
「どうしよう」って思うんだよね、私。怖くて震えて、泣いちゃって、どうしようどうしようって思っちゃう。
赤塚さん、わかってるの、どうしようもないことも。
何もできるはずもないということを。
赤塚さんやっぱり淋しい。赤塚さんはそんな思いを私にはさせないよと言ってくださいました。
死ぬまで生きるって。「腹心の友やからな」って
うれしいです。そう言ってくださるとうれしいです。きっとだよ。約束だね。
悲しい時はいろいろする。それが私流です。それで、キンドルを全世界で販売する方法がずっとずっとわからなくて、格闘してもわからなかったけど、もうこれはやる!と思って、そしたら、なんとかできました。
YouTubeも何とか頑張る。
https://www.youtube.com/@itijikurin
それから、「銀河の雫」の映画もね、みなさんに観ていただけるように、準備をしているよ。
それからそれから、モナの森でクリスマスしたいと言ったとっちんとの約束も守らなくちゃ。
最初は地元の4人でしようかなって言ってたクリスマスパーティなのに、宮崎や東京や大阪やいろんなところからもとっちんのこと思ってきてくださるんだって。とっちんがいっぱい愛されていたからなんですね。
とっちんはね、「赤塚さんと出会わせてくれてありがとう。かっこちゃんといたら、絶対会えないはずの人にも会えた」って、京都で会えたことをすごく喜んでいたよ。
京都の晩は楽しかったね。一緒にカラオケも行ったね。上手だったね、とっちん。
赤塚さんもとっちんやるな。うまいなって言ってくださってたものね。
とっちんと出会えたのは赤塚さんのおかげなんです。
赤塚さんが出ておられたYouTubeに神谷さんが出ておられて、その神谷さんがね、ある日確かフェイスブックか何かに「加賀市に保育園を作る手伝いをしてください。助けてください、大工のできる人お願い」と言う感じのことを書いておられたのです。
私は普段はまだお会いしたこともない方とお会いするのは緊張するからどうしようかなあと思ったけど、でも、近いし、大工道具は持ってる。私はきっといいお手伝いができるって思って出かけたのです。
ところがね。箒を最初渡されて、掃除をお願いしますって言われちゃって。私はできます。電動ドリルも持ってきたよって言いました。
だったら、本棚を作ってくださいと言われました。それで、二つの本棚を作りました。とっちんじゃない人が最初一緒だったけど、そのあととっちんに変わったの。
設計図もないから、一緒に失敗もしながらも二つとても上手にできあがって、それからね。モナの森に来られたりして、だんだん仲良しになってね。リトの朗読の動画を作ってくださったりしました。ユーチューブで発信しようと最初言ってくださったのもとっちんでした。
そして、映画を作るようになって、十日会わないということはないくらい会っていました。
そのたびに優しいとっちんは「しあわせな時間ありがとう」なんてきっと誰にでもだけど、書いてくれるのです。
ねえ、赤塚さん、私ね、本当言うとね。ああーやんなっちゃうって思っちゃう。だって、次々と大切な方が亡くなるんだもの。
あーあ やんなっちゃうって叫びたくなるよね。だけどやっぱり私は元気です。元気!そして頑張る!
お葬式にはギターが2つ並んでいました。ずっと音楽をされていたので、6月29日のウクレレの会を楽しみにしていたの。
赤塚さん、ありがとう。出演くださること、とっちん大喜びしていたから。そして、赤塚さんは素敵な歌を歌ってくださる。とってもたのしみです。ありがとう赤塚さん。 かつこ