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113 考えなくちゃね、私。 赤塚さんへ

赤塚さん、私にとって、こんなにも大切な文通を、同じく大切と言ってくださって、本当にありがとうございます。
赤塚さんがおっしゃる通り、文通を通して、私は考えることができるのが本当にうれしく大切でなりません。
多くの人がそう言うから、テレビがそう言うから、常識がそうだからということで、たくさんの方の思いがそちらへ流れてしまう。
私自身もそういうことはあるけど、でもそのとき、考えると言うことは終わってしまう。
たとえば聖書の理解も、お経の理解も、なにもかもがそうですね。そう思ってしまえば、考えることは、なくなってしまう。
1/4の奇跡の鎌形赤血球のお話もそうです。障がいや病気というものは悪いもので、なくなってしまったらいいという常識があるいっぽうで、そのおかげで、わたしたちみんなが今日も元気で明日へ歩いて行けていると言う事実。
イスラエルのこともそうですね。長い歴史の中で繰り返し行われてきたテロや残虐な行為。
話し合いを続けても続けても止まらない。
ヒズボラやハマスの行為は、ようやく国を取り戻したイスラエルをずたずたにしようとする。多くの人の心の中に、中東に怖いイメージがあるのはなぜ? 一部の人の行為が、そのイメージを作っていて、私たちが知っているイスラエルは決してそんな国ではない。
おまわりさんのように、ヒズボラやハマスを捕まえて、行けないことだと教えてくれるのは誰? その方法はなあに?
いろいろなことを考えます。たくさんの人質を取られ、大きな不安がある。国を守り、国民の幸せを守りたいと思うのは当然のこと。そのときに、すべきことは何ななのだろう。未来に平安があるとしたら、勇気を持ってそれにあたった人は誰なのだろう。
いいえ、違うよ。赤塚さん、私の言いたいことは本当はそうじゃない。もっともっともっと違うことだよ。
広場の真ん中にあったピアノにたくさんのお名前とお顔の写真のシールが貼られていました。そこにいたイスラエルの方が教えてくださいました。ひとつのシールを指さして、僕の友人。10月7日の襲撃では、イスラエル側全体で約1200人が死亡した。その中に僕の友人がいたよと教えてくださいました。死亡した人だけでなく250人もの方が人質として連れ去られたのですね。
イスラエルは全員を返して欲しいと言っています。

たとえばもし、違う国で同じことが起きたとして、たくさんの人が亡くなって、あるいは連れ去られても「遺憾に思います」「強く抗議します」としか言えない国があったら、そしてそれがもし私たちだったら、私はどう思うのだろう。もし私の子どもが連れ去られたのだったら、奥さんや、ご主人や、大切な友達だったら、「遺憾(物事が思い通りに運ばず、残念である、思い通りに進まなかったことに心残りがある…辞書)」に思いますと言われたらどうだろう。 抗議をしたら、大事な人は帰ってくるの? 人質にされた大事な人は、今、食べるものもないかもしれない。大変な状況かもしれない。強姦だってされてるかもしれない。それを残念って言うの? 悲しいって言うだけ? ってきっと思う。そんな国のことを、イスラエルの人たちはどう思うだろう。他の国の人たちはどう思うだろう。
住んでいる人はどう考えるのだろう。
そして、もし、すぐ隣の国から、日常的にミサイルが発射されていて、今は国に落ちていないけど、それはいつ落ちるかわからなくて、そして、恐ろしい結果を生むかもしれない。そんなときであっても、そのことに目を向けることなく、一生懸命国を守ろうとしている国を批判してしまっていいのか。
私はやっぱり考えるし、考えなくちゃいけないのだと思います。ましてやイスラエルは同じ敷地の中に、ハマスやヒズボラの人たちを抱えているのです。

一方、泣き叫ぶ子供たちの姿や、爆撃を受けた映像はものすごく心が痛みます。あってはならないことだとも思います。
私はきっと何もわかってはいないのです。決して、人を傷つけることをよしとしているわけではない。ただ考えることをあまりにおろそかにしてしまってる自分を思うのです。

きちんと考えず、常識にばかり囚われて、誰かを非難したり、批判することはやめておきたいと強く思います。
ねえ、赤塚さん、考えなくちゃね、私。自分だったらどうする? あなただったらどう思う? 私はどう感じる? 考えなくちゃね。

赤塚さん、イスラエルのピアノで、イマジンを弾いておられる写真がありましたね。旅をするということは、行き先での国のことを考えるようで、本当は自分の国や、自分のことを考えることでもあるのですね。
 
いつもこうして考える時間をくださってありがとう。 ではまたね。 本当にいつもありがとう。             かつこ

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