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95  人は死なない かっこちゃんへ

  令和6年ゴールデンウイーク、八ヶ岳にいます。
ずっと以前からご縁のある、橋本宙八、ちあき夫妻が導いてくださる「半断食」に
15年ぶりに参加しているのです。
 
 僕が初めてマクロビオティックを知ったのは、28歳でうつ病になり、
精神病院から退院して針の治療に通っていたとき、食べ物で病気が治りますよと、
桜沢如一(マクロビの創始者)さんの「無双原理・易」という本を貸してもらったときです。
 玄米正食、一切の動物を摂らず副食は梅干しとあずきとかぼちゃ。
あとはお味噌汁。命を取り戻しました。
 その後日常の生活では、お酒を飲んだりお寿司が大好きだったり、正食から離れるのですが、ふと、命の声を聞く時、宙八先生のところで何度も半断食をしてきました。

 かつて宙八先生の道場、マクロビアンは福島県いわき市の山の中にあって、
携帯電話もつながりません。
そんなところに一週間こもって、断食をしてきました。
15年前にそのマクロビアンで2週間のスーパー半断食をしました。

 かっこちゃん、半断食っていうのはね、いのちの蘇りでもあるのです。
イエスさまも、お釈迦さまも断食をして大切なことを悟られました。
イエスさまは、40日もの断食だったと聖書にあります。
ところがいま、僕たち現代人の肉体は断食に耐えられないのだそうです。
そこで、宙八先生の発明したのが半断食なのです。
少しの玄米を食べて、水をとるのを止めて、山を10キロ歩き、
体内にため込んだ毒素を排出するという方法。
 
 苦しい時そこにいけば体とこころがクリーニングできる、そんな僕の拠り所だったのです。
だけど、東北の震災と原発の事故でマクロビアンは立ち入り禁止となりました。
それで、もう行くこともなくなってしまいました。
 この15年間、休むこともなく日本中、世界へと飛び回り、毎日ほぼ外食。
お酒を飲まない日がないくらい、毎日出会う人たちと酌み交わしていた。
きっと僕の身体は悲鳴を上げていたんだろう、けど、身体の声を聞くこともなく走り続けていた。

 かっこちゃん、きみちゃんじゃなく僕が死んでいたとしてもちっともおかしくないんだよ。
ガンになるのは、僕の方だ。
これだけ、身体を乱暴に痛めつけてやりたいことやってきたんだから。

 6年前、イスラエルを旅した後、ツアーの仲間と別れてエジプトに行きました。
アストロロジャー來夢さんと、マーケッター神田昌典さんの奥さん、ひろこさんとの3人で。
とても深い気づきの旅だった。
これからずっと仲良く一緒に生きていけると思っていました、素敵な旅仲間として。
ところが、神田ひろこさんにガンが見つかり、あっという間に還っていかれた。
 それからコロナになって、しばらくご無沙汰していた來夢さんから電話があって、
「赤塚さん、いい子にしてるんだよ。私はね、人生何の後悔もないよ。バイバイ」
やがて、來夢さんが亡くなったと本田健さんが電話をくれました。
もう会えない。

 きみちゃんは、僕の講演会があると、いつも前の方の席でニコニコ笑って聞いてくれてた。
ときにハンカチで涙をぬぐいながら。
ツアーにも必ず参加してくれたよ。
地元富山の仲間にも僕の講演を聞かせたいと、3度も4度も講演会を主催してくれた。
 イスラエルの旅で、日本に帰国するためのPCR検査を受けて、まさかのポジティブ。
僕と、きみちゃんの二人だけ。
陽性が判明した瞬間から僕らはツアーのバスに乗ることも許されず、タクシーに乗ることもいけなくて、乗れる車は救急車だけ。
仕方がないから、歩いて隔離先のホテルまで行ったんだ。
そこで5日間隔離生活。外に出ることができず、部屋に食事を運んでもらった。
 戦友のような、きみちゃん。
このときのツアーのメンバーとの同窓会はずっと続いていて、きみちゃんも必ず参加してくれていた。
そんなきみちゃんが、亡くなりました。

 僕がガンになって死んだっておかしくないのに。
かっこちゃん、どうして一緒に旅した友だちが次々と先に行くの。
僕よりみんな若いんだよ。

 今、八ヶ岳で半断食をしているのは、僕がもう一度いのちの声を聞いて生きると決めたからだ。
先に行った、大切な人たちのことをちゃんと伝えようと決めたから。
そう、ここ八ヶ岳にはきみちゃんが送り出してくれたようなもの。

 毎朝早く起きて、体操をしてミーティングのあと12キロ八ヶ岳の山道を歩く。
ただ歩く。ひたすら歩く。
ふらふらになって帰って、少しの水分をとり、夕方お茶碗一杯の玄米をいただく。
一口200回噛む。一時間かけて目を閉じて無言で噛む。
 かっこちゃん、僕の身体は積もり積もった疲労と邪食でもう崩壊寸前だった。
もし、このまま走っていたら終わっていただろうね。

 もう少し、生かせていただきます。
 世のため、人のためにこの命を使わせていただきたいから。

かっこちゃん、2時間半くらい山道を毎日歩きながら、考えた。
「僕たちはどう生きるか」の前に「僕たちが生きているとはどういうことか」って。

生きて死ぬってどういうこと?

宇宙があるってどういうこと?

知りたい、どこまでも知りたい、自分が生きて死ぬとはどういうことか。
これは、絶対に自分で考えなければわからない。

自分とは何だろうか・・・これは、悩み。
何が自分なのか・・・これが考えるということだね。

死ぬのが怖い・・・これは、悩み。
死とは何か・・・これを考えるんだ。

 考えたらどうなる?
きっと、何も変わらない。
でも、自分が生きて死ぬということが自覚できる。
そうすれば、日常の出来事に不思議さを発見しながら生きることができるよ。

 人は、驚いた時初めて考え始めるんだ。
驚きを失った人は、考えなくなる。

 かっこちゃん、きみちゃんと語りながら歩いていると、とても楽しい。
すぐそばに存在を感じるんだ。

きみちゃん、死とはなんだろうね。
いまこうして、きみちゃんに語り続けているということは、きみちゃんはいる。
死とは、「無」になること?
無になるって、どういうこと?
無は、無だから無だ。無いから無だ。
無が在ったら無じゃない。
だったら、死は無い。
無いものを在ると思っているのは思い込みだ。

 だって、誰だって生きている限り死んでいない。
死んだ人は、死んでいると語らない。
今生きている人は、誰も死を知らないんだよ。
それなのに、どういうわけか死ぬということを知っている気になって、
いずれ死ぬ、死は怖い、不安、という前提で生きている。

 じゃあ、どうして人は死を知っているかのように思うか。
それは、他人が死ぬのを見て自分も死ぬと思っているんだね。
自分が死ぬのは自分が死ぬことだから、誰も経験できない。
すべて他人の死をあてはめた推測に過ぎない。

 死体を見て死を見た気になる。
でも、死体は死ではない。
死体は物質だけど、死は物質じゃない。
死体は見えるけれど、死は見えない。

 かっこちゃん、生きるって、いまここに存在するってことだよね。
死があって、生があるんじゃない。
僕は、考えて、考えて、わかったんだ。
僕があきらかに知ったことは、僕が何も知らないということ。

 どうして生まれてきたか。

 なぜ僕がこの宇宙に突然存在したのか。

そして、死んだらどうなるか。

 かっこちゃん、僕は何もわからないということがわかったんだ。

聖書に書いてあることや、誰か偉い人が言ったことを「信じて」考えることをやめてしまっていました。

 宙八先生が八ヶ岳で半断食を再開していることを知って、気になっていたのだけれど、
1週間すべての予定を空けるのは難しいと決めつけていました。
でも、行くと決めたらいけるのです。
 そして、来てみてわかった。
この一週間が、きみちゃんからのギフトであったこと。

 かっこちゃん、わからないということがわかったその瞬間、嬉しくて幸せで涙が出た。
ああ、そうなんだ、僕は何もわからないんだ。
わからないから、知りたいよ。
だから、考えるんだ。
もう、空に星があるのも、雲が流れてゆくのも、道端のたんぽぽも、飛んでいる蜂も、みんなみんな不思議でならない。
僕がここにいるのも不思議でならない。
僕がこの地球に存在している意味と目的。
もっともっと考えていきたい。
その不思議さを自覚して、この世のすべての決まり事から自由になるんだ。
考えないことで、悩み、こだわり、苦しんで不自由なんだから、
不思議を自覚して自由になろう。

 どうしようもないわからなさを前にした時、人は謙虚にならざるを得ない。

81歳のとき糸川英夫先生は、
「僕はずいぶん勉強してきたけど、ようやく何にもわからないんだとわかったよ」と
村上和雄先生は、
「遺伝子暗号を読み解いたけれど、誰が書いたのかわからない。
 だから、その存在をサムシンググレートと呼ぶ」と仰いました。
かっこちゃん、本当の科学者は謙虚で美しいよね。

存在しか存在しない。
だから、無はない。
私たちが恐れている「死」は存在しないんだ。
人は、生から死へと一方的に直線的に流れているものだと思い込んでいたけど、
死が存在しないなら時間の流れなんてない。
だって、死に向かって生きているんじゃないんだから。

 かっこちゃん、人は「知らない」という驚きで考え始めるんだ。
いきなり考え始めるものじゃない。
人を考えさせるのは、驚かせるしかない。
驚かせるには、自分が驚いているしかないよね。

 驚きを知っている者だけが、驚きを教えられるし、
知らないと知っている者だけが、知らないを教えられるんだ。

 驚きのまんま八ヶ岳で書いているから、なんだかよくわからない手紙になったけど、
こんなこと話せるのは腹心の友のかっこちゃんだけだよ。

 かっこちゃんもいつも驚いて、子どもの目で話してくれる。
だから、かっこちゃんのまわりの子どもも大人も驚くんだね。

 かっこちゃん、僕はもっと一緒に旅がしたいよ。
9月にヨルダンのペトラ遺跡からイスラエル、来年はタンザニアの草原を何時間も走って野生の動物と遊ぼう。

 誰もがみんな知っていると思っているけれど、
本当は誰も死について知らない。わからない、それは、遥か昔からずっとそうなんだ。
わからない、と本当に気づいた時から、新しい扉が開く。
イエスも仏陀もそれに気づいた人だったんだね。

 ああ、お腹がすいた。
 生きているとお腹がすく。
半断食もあと二日、会える日を楽しみにしています。

                  高仁

 

 

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