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102 脳という新しい信仰 かっこちゃんへ

  かっこちゃん、ウクレレに触ったこともない人たちが楽器を手にして、
見たこともない楽譜にとまどいながらも新しいことに挑戦する。
音が出る。メロディーになる。そして仲間とハーモニーが生まれる。
今までになかった景色に出会い、生きていることさえ懐かしく思えてくる。

 小松でのウクレレイベントは、胸の奥の方が温かくなるひとときでしたね。
僕たちのバンド「MCサクセション」、全員で参加することはできなかったけれど、
ボーカルの出路ちゃん、キーボードのおヒロさんと一緒に舞台に立たせてもらえたことを嬉しく思います。
 僕もソロでギターの弾き語り。かっこちゃんのお嬢さんのせいらちゃんにお子さんが産まれたとの知らせを受けてお祝いの気持ちを込めて歌わせてもらった。
そんな瞬間でさえ、やっぱり宇宙の約束なのかなぁと思ったのでした。

 かっこちゃん、とっても楽しかったね。
かっこちゃんと一緒にいると、上手とか下手とかそんなことどうでもよくなってしまうよ。
とにかく嬉しいんだ。

 あ、そうそう、イベントのあと、ライブハウスのマスターが
「月に一度、ここで歌ってみませんか」って、僕に言ってくれたよ。
もちろんそれは不可能ではあるけれど、思わず調子に乗ってしまいそうになりました。

  ところで、かっこちゃん、前回の手紙に仏陀とイエスとムハンマドの気づきと、現代の脳科学のつながりを書いてくれたね。
僕も考えた。
仏陀から生まれた仏教、アブラハムが父祖として立つユダヤ教、イエスが救い主として書かれている新約聖書のキリスト教、そして最後の預言者としてコーランを記したムハンマドのイスラム教。
 それらの様々な在りようが、科学によって解明されてゆく。
なんだかわくわくするよ。
いつかすべての宗教が手をつなぎ合うといいな、と思う。

 しかし、僕はそうはならないと思っているのです。
なぜなら、宗教を信じる人たちが「考える」ことをやめてしまうように、科学という新しい信仰を信じる人たちも「考える」ことをやめてしまうから。

自分とは何か、
世界とは何か、
これ以上どうもうまく考えられない。
そういう時、人は「脳」と言うのです。
「脳が」そうなっている、
「脳が」そうだからだと。
そして、やがて脳の全容が解明されればそれは明らかになるだろう、とこう続く。

 ゆえに、言わばそれは、自ら考えることを放棄して、わからないことを放り込んでおける便利なバケツみたいなものにしてしまっているよ。
死後も宇宙も幽霊も、よくわからないことは全部そこに放り込んでおける。

 「唯一絶対の神がこの宇宙を創造した」と聖書の一番初め「創世記」に書かれています。
僕の知りたいのは、「この宇宙に自分の人生が存在するのはなぜ?」
そんな、おそろしく素朴で、でも、決して避けられない問いなんだ。

 僕がここに存在する。奇跡だ。
人生が存在する。奇跡だよ。
でも、それがなぜだかわからない。
それでも存在する自分が人生を生きている。
なんて不思議なんだ。
両親がいて、僕が生れてきた。
その両親にも両親がいる。ずっとずっとつながっている・・・始まりはどこ?

 あるとき、「神様がすべてを創った」と言い出した人が現れたんだね。
そうだ!と信じる人が現れて、その人は考えることをやめて信じることにした。
教祖がいて信者がいる。それだけのことだね、宗教は。

 本当は、「考える」ことが人間としての仕事なのに、考えることをやめて信じることを選んだのだろう。
すると、自分が信じていることを否定する人や、違う神を信じる人が現れると、
「それは間違いだ」と決めなければならなくなる。

 ね、かっこちゃん、考えたらわかることなのに、どうして考えなくなってしまったのだろう。
 僕は思うんだ、かっこちゃん、だれも子どもの心をなくしてしまうからなんじゃないかって。 当たり前に見える日常の出来事の中に、驚きがなくなってしまうからじゃないかって。

 ホンモノの科学者って、みんな子どもだよ。
糸川英夫博士なんて、月曜の朝、僕に電話かけてきて
「あなた、昨日のちびまる子ちゃん見ましたか?」って。
ちょうど見てたから、「はい、観てました」と言うと、
「まる子ちゃん、年賀状書いてましたね。
 書くというのは、インクのようなものを紙に乗せるか、石に刻むようにするかしかなかったでしょ。でもね、まる子ちゃんはミカンの汁で書いて、熱で文字が浮かび上がるようにしたでしょ。炙り出し。それがFAXの原理、すごいイノベーションよ」
 へーーーって、聞きながらやっぱり先生のこと大好きだと思った。

 僕はね、かっこちゃんにも同じホンモノの科学者の匂いを感じるんだ。
もう唯一絶対の神が宇宙の外側にいて泥をこねて人間をつくったなんて漫画みたいな世界ではいられないよね。
 神さまの存在をあれこれいう前に、いったい何を「神」と呼んでいるのかを考えるんだ。
近代になって、科学の力が強くなって、著しく宗教の力が衰えています。
様々な法則を見出しました。
そして、自然さえ物質だと思い込んだのです。
すべて自分の外側にある物質だと。
でもね、かっこちゃん
精神は物質ではないよ。
見えないし、触れない。

 脳が解明出来たら、本当がわかると考えている人たちがいる。
それは、何千年も前のエジプトやインカの時代と何も変わらない。
ミイラを作る人たちと、脳死が死だと決める科学とちっとも変わりはしない。

  人間は、何も変わっちゃいない。
 
 私はだれ? どうしてここに存在するの?
 
   僕は、わからない。
   ようやく、わからないとわかった。

 これは、双六でいうところの「振出しに戻る」だ。

  楽しいね、かっこちゃん。
  生きていられるって。

 この次のイスラエルは、きっと新しい何かが待っているよ。
でなければ行くことにならないからね。
「内」も「外」もない壮大な眺めが開けるような気がするんだ。

   バラさんも一緒にね。

 僕らはさ、人類全体と同じなんだから、
自分がよくならないと世界も人類全体も良くならない。
そんなふうに感じる夜明け前です。

  こんな対話ができる腹心の友がいる人生
     なんてしあわせなんだろう。

    ありがとう、そこにいてくださって。

   じゃあ、またね。
              高仁

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