16 台風のち快晴 かっこちゃんへ
16 台風のち快晴
窓の外は快晴、海原のような空に波のように雲が広がる。
石垣島に向かう飛行機の中で、この手紙を書いています。
台風で昨日まで二日間、石垣島に発着する飛行機はすべて欠航していました。
ずっと前から約束していたかっこちゃんとの旅はどうなるの?
心配したメンバーからいくつかメールがきていました。
もちろん中止するつもりは毛頭ないし、返事はひとこと
「大丈夫、なるようになる」
かっこちゃん、一足先に石垣島に着いて場を備えておきますね。
きっと大丈夫、魔法使いかっこちゃんの旅だもの。
この前の手紙にかっこちゃんは、デミっちゃんのことを書いてくれましたね。
「小さい頃からな。ずっと使ってたんやった。
『かわいそうやん』『なかよせいや』『仕方ないやんか』
出路さんはたぶん小さい時にガキ大将だったのだと思います。仲間が喧嘩したら、強い方に「そんな殴ったり、いじめたらかわいそうやんか」って言ったのだと思います。そして「なかよせいや」って言ったあと「しょうがないやんか」ってきっと言ったんですね。
それはきっと、相手には相手の都合があるよ。気持ちがある。自分にもあるように、相手にもそう言ってしまう、やってしまう理由があったんだ。受け止めあおうな、とそういう意味だったのでしょうか?」
デミっちゃんは、小さいころ家が貧乏で借金取りがしょっちゅうやってきて怖かったって。両親がいつも喧嘩ばかりしていて、それが辛かったって。
まあ、思春期にちょっとグレて、やんちゃもしたけど、仲間を守る親分だった。
ずっとガキ大将だったのですよ。
パンクロックという若さというエネルギーをほとばしらせる音楽に身をゆだね、京都でも有名なバンドのボーカルでリーダーだったこともあります。
真面目に聞いていないお客がいると、席にまでいって説教してたそうです。
怖いね~
ちなみに代表曲は、「北方領土に日の丸を」
バンドの名前は「ライジングサン」・・・せっかくなら「ヒイズル」とかにすればよかったのに。
そんなデミっちゃんと出会って、友だちです。
かっこちゃん、僕に友だちの意味を教えてくれたのはデミっちゃんでした。
16年前のことです。
そう、ちょうど「1/4の奇跡」の映画ができたあの頃です。
イスラエルに初めて一緒にいったそのすぐあとでした。
僕の父にガンが見つかりました。
見つかったときにすでに転移が進み、もはや手の施しようがないと医師に告げられました。
あと3か月の余命だと宣言されました。
父にどんな小さなことでもいいから希望をもってもらいたいと、映画の上映会を企画しました。僕も出ている「1/4の奇跡」を父に見せたいと願って。
かっこちゃんにも来てほしいとお願いしたら、快諾してくれたね。
医者が言った余命宣言の一か月先に映画上映会を開催、チラシを父の枕元に貼って、まずは一月でも伸ばしてもらいたいと願ったのです。
そんな企みもむなしく、父はまじめにお医者さんの言う通り行ってしまいました。
「ばいばい、お母ちゃんを頼む」
それが最後の言葉でした。
でも、
喪主になったのは生まれて初めてでしたから、何をどうしていいやらわからずにいたとき、
どこから聞いてきたのかデミっちゃんはやってきました。
「兄ちゃん大丈夫ですか」
「通夜はずっとあと、夜やで。どうしたんやこんなに早く」
通夜や告別式の会場ではなく、父の家にやってきたのです。
「いや、兄ちゃんが心配で、そばにいようと思って。
みなさんに紹介とかせんといてください、ここにいたいだけなんで」
大きな商売をしている彼は、全国にも何十という店を持ち、猛烈に忙しい日々を送っているのを、僕は知っています。
その男が、ただ黙って座っている。
ずいぶん時間が経って、大勢の人がきてくれて通夜が営まれました。
みんなが帰った後も、彼は一人残り何にも言わずに座っています。
「もう遅いから帰って、あとは僕がひとり親父と寝るわ」
「はい、わかりました」
親父の棺桶の横で、一人で酒を飲んでいますと、
二時間くらいして携帯に電話が。
「あ、いま誰かいます? え?ひとり・・・僕、そっちに戻って一緒に飲みますわ」
「あほか、もうええ。帰って、ありがとう」
と、電話を切って泣きました。
人は、本当にどうしようもないとき、はげまされたり、アドバイスされたり、慰められたりすることを求めているのではないのだなぁ。
かといって、話を聞いてもらいたいわけでもない。
すぐそばに誰かがいる。
それができる相手を、私はそのときから「友だち」と呼ぶようになりました。
だから、大切な人がそんな風になった時、真っ先に駆けつけられる自分でありたいと思うのです。
そして、何も言わずにそばにいれる人間でありたいと思うのです。
デミっちゃんは、ぼくに、友だちとは何かを見せてくれた人生の恩人です。
かっこちゃん、人生で一番の宝物は、友だちや。
だから、僕たちはこの世の大富豪やな。
あ、そうそう
父が亡くなった一か月後、「1/4の奇跡」上映会を開催し、かっこちゃんにも津に来てもらいましたね。
500人ほど入るホールは満席でした。
中央の席に父の遺影を置いて、主催者挨拶のため壇上に上がった僕は、
今日のこの日を父へのプレゼントにしたかったのだと話しかけて、次の言葉が出てこなくなりました。
父が僕にこう言っている気がしたからです。
「高仁よ、ありがとう。
これからもしっかりこの友だちと楽しく生きていくんや。
この時間は、ワシからのプレゼントや」
かっこちゃん、腹心の友よ、ありがとう。
飛行機は沖縄本島を通過しています。
白い雲と青い空と海、僕らの旅はまだ続くね。
石垣島で待っています。
赤塚高仁