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87 本当の自由は内側にあるもの かっこちゃんへ

87 本当の自由は内側にあるもの

 かっこちゃん、新幹線の中で書いています。
九州~茨城の水戸と旅をして、三重に帰るところです。
 20代の頃、5年間住んでいた香川県高松市で仲良くしていた友だちが訪ねてきてくれるんだ。もう40年も経つなんてびっくりだけど、嬉しいね。古い友だちが訪ねてくれるなんて。
 伊勢神宮参拝にいくよ。
短い時間だけど、きっとなつかしくて、新しい時間になることでしょう。
それからまた東京に出て、ロサンゼルスに行ってきます。
バシャールのセッションを体験します。
これは、帰ったら報告するからね。

 「赤塚さん、そんなに動き回って大変ですね。疲れませんか」
そんなふうに聞かれることもあるんだけど、ちっとも疲れないどころか、毎日が新しくて楽しくて、嬉しくて、しあわせでしかたないよ。
 かっこちゃんにも65歳の誕生日のお祝いを言ってもらって有難く思います。

 65歳になった僕に、僕はこんなメッセージをしたんだ。
「ありがとう。
 よく今日まで死ななかった。
 まわりの人たちに助けられて今日まで生きてこられたこと、
 かかわってくれたみなさん、それぞれの役割を担ってくれてありがとう。
  いつ終わるかも知れなかったこの世の旅路にも終わりが見えてきた。
 そのことがどういうことなのか、まだわからない。
 でも、『わからない』ということがわかったことが最高の喜びだ。

  だから、わからないことを悲しみだと思わなくなった。
 死ぬことすら新しい旅の始まりだと思えてならない。
  いつも喜んでいよう
  絶えず祈っていよう
  すべてに感謝しよう
 そして、たくさんの過ちを繰り返しながら生きよう
 神さまはずっと許して見守ってくれているから。
 
  赤塚高仁くん、ここからも楽しい旅を」

  それから、92歳になった母とレストランに食事にいきました。
そして母に言ったよ。
 「おかあさん、僕は今とてもしあわせです。
  ありがとう、僕を生んでくれて」
母は、なに言うてんのといいながらちょっと嬉しそうにしながらたくさんご飯を食べました。あと何回一緒に食事ができるのかな、と思いながら僕もおいしくお酒を飲みました。

 ふっと、家族っていいなぁと思った。
それと同時に、家族ってなんだろうな、って考えたんだ。

 お父さん、お母さんは、僕が気がついたらそこにいてくれた。
知らないうちに始まっていた、僕の人生で一番近くにいる人たちだった。
僕が生まれた時、二人は「親」になった。
僕が生れなければ、二人はただの彼らだった。
この世に生まれた時から「親」だった人は誰もいない。
親になったからといって、いきなり全知全能の存在になったりはしない。
 それはね、かっこちゃん、僕も親になったからわかる。
娘の万穂の誕生日は、彼女のお父さんとお母さんの誕生日でもあるね。

 そんな不思議な出会いを忘れていつしか「自分の子ども」と思い込んでしまう。
そして、自分の思い通りにしようとする。
親子といえど他人です。自分じゃない。
他人が自分の思い通りになるわけがないのに。

 かっこちゃん、親の役割って何だろう。
きっと、すべての動物にとって、独立するまで危険から守ることなんだろう。
でも、人間は動物とは違って「本当のこと」を言葉で教えることも親の役割のように思えるんだ。
 子どもにとって家族とは最初の社会だ。
他人との付き合いというものを学ぶ最初の場所だね。
社会に出るといろんな他人がいるから、そんな他人とどうやって付き合ってゆくのか、
予習する場所だともいえる。

 じゃあ、社会ってなにかな。
社会は、目に見えない。
社会は、形がない。
複数の人が集まって、その人々で作り出した観念だ。
その社会が、自分の外側にあると思い込んでいるから観念だということを忘れてしまう。
観念だということを忘れて、
考えることも忘れて、
自分の外側にある社会のなかで、一番多くの人が思い込んでいる観念が「時代」と呼ばれるものになるんだ。

 いつしか自分が苦しいのは「社会」のせいだと思い込みます。
誰かが悪い、政治家が悪い、世の中が悪い、と誰もが外側のせいにしている社会がいい社会のわけがない。
 社会を変えようとするより、自分が変わることだね。

宮沢賢治さんは、
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
と、言った。

 これを全体主義、社会主義の思想と見る向きもあるけど、僕はそうは思えない。
賢治さんが言っている「世界」は観念の動きのこと。
世界はそれぞれの人の内にある観念のことだから、それぞれの人が良くなる以外に世界をよくする方法はない、と聞こえてくるよ。

 かっこちゃんが伝えてくれた賢治さんの「銀河鉄道の夜」を読んで、
賢治さんは、宇宙の絶対善と繋がっていたんだなぁと思った。
賢治さんは、その絶対善、つまりサムシンググレートの意志に照らして、
自分がどうあるべきか、どうありたいのかを考えたんだ。
 だから、賢治さんは本当の自由を知っていたんだね。
本当の自由とは、善悪を自分で判断することだからね。
その自由は、国家や社会や法律が与えてくれるものじゃない。
そう、自分の外側にあるものじゃない。
自由は、自分の内側にしかないんだ。

 本当の自由は、自分の内側にある。

 かっこちゃん、僕たちもそうでありたいね。
 この文通を通してもっともっとたくさんの本当のことに近づいていこう。

新幹線は、名古屋に近づいてしまった。
降りる準備をするよ。

  またね、かっこちゃん。

            高仁
 

 

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