1 三度目のイスラエルの旅は、とても大切でした。
イスラエルから帰って、久しぶりに赤塚さんにお手紙を書きました。
魔法の文通の続きです。
https://monamoriv.thebase.in/items/59839785
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赤塚さん お元気ですか?
7月の最初だというのに、暑い日が続いていて、海を見たいなあと毎日のように思います。
イスラエルの旅は、今回も私にとって、とても大切な旅になりました。
旅を導いてくださった赤塚さんやリカちゃん、そして旅の仲間のみなさんに心から感謝しています。
前の旅もそうでしたが、今回の旅でも、私、これまでわからなかったことが、自分勝手な解釈ではあるけれど、「そうだったのかな」と感じたことがいくつもありました。
すぐに赤塚さんにお話を聞いてもらいたい気持ちになって、久しぶりにお手紙を書いています。
今回の旅も、赤塚さんがお話をしてくださって、イエス様の足跡を辿る旅でした。
保育園の時にお世話になった三谷(みたに)先生はクリスチャンで、よくイエス様のお話をしてくださいました。
「十字架は見せしめのための刑だから、人々に、あんなふうにはなりたくないと思わせるための、もっとも重い罰だったのよ。そのとき、十字架は三つありました。イエスさまは他の二人の罪人といっしょに十字架にかけられたの。釘を手足に打ち込まれていたのはイエスさまだけ。周りの人たちが、『もしおまえが神の子なら、すぐに十字架から降りてくればいいじゃないか』とイエスさまを笑ったの。一緒に十字架にかかった一人の罪人はイエスさまに『もし神の子なら、奇跡を起こして、自分と我々を救ってみせろ』と、周りの人と一緒になって言ったけれど、もう一人の罪人は、『蘇ったときに、どうぞ私を思いだしてください』と言ったのです。イエスさまはその人に、『あなたは今、確かに、私とともに幸せなのです』と話したの。かっこちゃんはこの意味がわかるかな?」
私はそのときに、なんと答えたのだか、覚えてはいません。ただ、とても悲しくて泣いてしまったのを覚えています。三谷先生は私の髪をなぜてくれました。
「かっこちゃん泣かなくてもいいのよ。イエスさまは不思議なことに、自分は今、幸せだとおっしゃっているのよ。すごく苦しいのに幸せと言ったのはどうしてでしょうね。私もずっと考えているのよ」
私はまた、どうして、イエス様が十字架にかかっているその最中も「自分は今幸せだ」と思われて、そうおっしゃったかを考えていました。
旅が終わって、小松に戻った夜に、私がイスラエルに旅立つ少し前から入院していた宮ぷーの妹さんから「宮ぷーは一度もちなおしたのに、お医者様から今晩が山だと言われている。胃からも腸からも血が出て止まらなくて、食道も破裂してしまった」と電話がありました。そして、次の朝、「5時5分におにいちゃんは亡くなった」とまた電話があったのです。
十三年間半、宮ぷーは本当にがんばって生きてくれていたなあと思います。赤塚さんもなんども見舞ってくださって、いつも祈ってくださいましたね。赤塚さん、宮ぷーは私の帰りを待っていてくれたのでしょうか。私は予定が詰まっていて、葬儀に立ち会える日は本当にその半日しかなかったのです。
私は電話のあと、声をあげて泣きました。ずいぶん泣きました。葬儀の間もずっと泣いていたけれど、自分がいつもの癖でお風呂に入る前に体重計に乗ったときに、宮ぷーが「僕は0、0キロになりました」と笑った気がしました。
赤塚さん、0、0キログラム。宮ぷーは「目にも見えず、重さもないものになった」と私ははっきりわかった気がしました。目にも見えず、重さもないものは、私にとって、般若心経の「空」です。
「空」はすべてのものを作り、すべてのものは「空」でできている。
宮ぷーはサムシング・グレートで、そして、それは私の中にも、空気の中にも目の前の花の中にもいて、笑っているんだと思えたのです。
私は、葬儀の次の日に横浜のリカちゃんのところへ行かせていただくことになっていました。
もう倒れる前の元気な頃の宮ぷーしか思い出さず、何かいつも笑ってくれているような気がしました。
宮ぷーが亡くなったことを知って、私の友達が「辛いね」と私を気遣ってLINEをくれたときに、私は「いいえ、辛くないよ。大丈夫」と答えました。
なぜって、宮ぷーは、私の中にも空気中にも、目の前の花の中にもいて、いつも、今も笑っていると、また、そう思えたのです。
きっと宮ぷーは、亡くなる直前まで、そしてそのときも、きっと「幸せ」だったと私は思います。
宮ぷーが13年前に脳幹出血で倒れたあと、半年して、ようやく思いが伝えられるようになったときに、意思伝達装置のレッツ・チャットで宮ぷーは「なんでもないひがしあわせだった」と言いました。
欲しいものがあれば手を伸ばしてとれること。行きたい場所があれば、歩いて行けること。食べたいものがあれば食べれること、みんな本当は幸せだったということに気が付いたよというのです。
だったら、それをみんな失った今は幸せではないの?と宮ぷーに聞くと宮ぷーは首を振って、今も幸せだよと言いました。かっこちゃんやともだちがいてくれる。思いを伝えられる。自分が建てた家に住んでいられる。全部幸せ。でもそれがなくてもきっと幸せ。そして、レッツ・チャットで「いつもしあわせはじぶんのてのなかにあるんだね」と言いました。
村上和雄先生と「死」について話をしたことがありました。先生は「死なない人は誰もいない。みんな死ぬ。でも、恐れなくていい。不安に思わなくても大丈夫です。僕たちはいつも、絶え間なくサムシング・グレートから愛されていますよ」と言われました。
そして、先生が亡くなられたあと、奥様とお話した折に、私が「どんなにお寂しいでしょう」と言ったときに、「いいえ、私は大丈夫ですよ」と優しく言ってくださったことも思い出すのです。村上先生もまた、私たちの中に、あちこちにいつもいてくださる、そのことを奥様は感じておられたのかなあと、今、思います。
イエス様も、死んでも決して終わりではないし、私たちは神様に愛されていて大丈夫だよと思われておられたのでしょうか?
そして、『蘇ったときに、どうぞ私を思いだしてください』と言ったその人に、『あなたは今、確かに、私とともに幸せなのです』と言われたのでしょうか?
もっと言えば、本当は『もし神の子なら、奇跡を起こして、自分と我々を救ってみせろ』と言ったもう一人の人も、同じように幸せなのだけど、そのことに気がつくことが難しかったのだろうかと今、考えています。
赤塚さん、もちろん思い込みだらけの考えかもしれないけれど、私はそう思えるようになって、本当に毎日、いっそう幸せだなあと思えるようになりました。宮ぷーも、村上先生も、そしてイエス様も、すべてのつぶつぶの中にあり、あるいは、もう全部が一つだから、境目もないのかもしれないと思う時、心から幸せだなと感じます。
イスラエルで感じたこと。もっともっとお話したいのです。そして、赤塚さんのお話もまた伺いたいです。
またお手紙しますね。
それではまたね。 かつこ