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71 一歩踏み出せばなんとかなる 赤塚さんへ

赤塚さん 合宿ではお世話になりました。楽しかった。本当になんと楽しい時間だったことでしょう。

そして、熊本へ行く飛行機の中でメールを書いてくださったのですね。そして文通は70。なんてすごいことでしょう。その前を合わせば100を超えるのですね。

赤塚さんが書いてくださったこと、ベトナムで実感しました。 
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かっこちゃん、ベトナムはどうやった
ぼくは熊本に向かう飛行機でこの手紙書いてます。
 すごい時代やね、
 飛行機の中でもインターネットがつながる。
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本当にすごい時代になりましたね。まずベトナムの旅行はアプリで日にちを入れて、航空券とホテルを選ぶところから始まりました。
これは、どんなしくみなのかよくわかりませんが、たとえば、今日決めて今日出発となると、ホテルや航空券が余っているということなのか、三泊五つ星ホテル航空券でもなんと三泊で航空券つきで一万円台でとれちゃうのです。私はもう何ヶ月も前に決めていたので、それでも二人で15万円でした。ただ、やっぱりびっくりしたこともいっぱいありました。荷物を預けるのにも、中で食事をするのにも、それを買う必要があるということ。帰りの飛行機では、私が間違えて注文して、お弁当が四つも届きました。
たまたまお隣がお若い男の方で、食事は注文されていなかったので、二個食べていただけて、喜んでくださったので、間違えてよかったなあというか、間違えるようになっていた?なんて思うのは不注意な自分を擁護しすぎでしょうか?
そして、驚くほど前のシートとの距離がなくて、空いているシートも販売されていました。

いつもインターネットがつながるように、Wi-Fiを予約して借りました。
ベトナムはGRABという廃車システム(タクシー?)のシステムがあって、一般車なのですが、アプリを先にとって、先にカードを入力しておくと、そこからお金がおりていくシステムで、行き先を入れて、「現在地から」とすると、運転手さんのお顔と、ナンバーと車の色とそして代金が現れて、それを選ぶとその車が来てくれるのです。たまに電話がかかってきます。言っていることがよくわからないけれど、目の前の景色と自分の服の写真を送ると、みつけてくれます。代金も三百円とか六百円くらいで乗ることができました。これも、魔法のようなシステム。
旅は長女のももことの二人旅だったのですが、行きたい場所は、インターネットでももこが調べたカフェや古着屋さんで、とんでもない真っ暗な路地などを通るので、ハラハラしますが、Googleマップなどで辿り着くことができました。

でもそんな魔法のような時代でも本当にすごいと思ったのは、目的地について、GRABから降りても、すぐに見つからないので、ももこがカフェや古着屋さんの写真を通りがかりの方に見てもらうと、必ず親切に教えてくださって、その方がわからないときは、他の方に聞いてくださってどこへも辿り着けたことでした。本当にみんな優しくて優しくて、うれしい旅でした。

赤塚さんは書いてくださいました。
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 そんな世界をかっこちゃんは塗り替えて、「できる」を見せてくれる。
かっこちゃんは気づいてないだろうけど、かっこちゃんが歩いた跡には花が咲いている。
それは、
そんなかっこちゃんの生きざまが、かっこちゃんに触れた人の人生を変えてきたからだ。
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私はびっくりして、そしてやっぱり涙が出るほどうれしかったのです。
私はいつも「できない」「無理」と私のことを心配してくださっている方に、耳を貸すこともできずに、したいことをしてしまう。赤塚さん、私ね、わがままやななって自分のことを思うのです。
それでもいつも思うのは
「一歩踏み出してみればなんとかなる」ということのように思います。そこにはたくさんの方が力を貸してくださっているからなのだけど、その感謝の気持ちをまず思わずに、「一歩踏み出せばなんとかなる」とどうも私が思っていて、それはなんという傲慢な考えでしょう。周りのみなさんがなんとかしてくださっているのにね。

でも、心の中で思うことは、「したいかしたくないか」と言うことばかりです。「したい」ことは「したい」これはどうしても「したい」です。

あのね、赤塚さん、ベトナムで動物園に行きました。そこに四つのお猿さんの像がありました。目を覆っているもの、耳を覆っているもの、口を覆っているもの。もう1匹はなになのかな。そのお猿さんは、見ざる言わざる聞かざる と同じかなあと思いました。
驚いたことに、私はこの猿たちをインドでもメキシコでもエジプトでも見ました。
いったいどういう意味があるのか、嫌なことは見ない言わない聞かないことが大切とかいろんな意味があるのでしょうが、私は勝手にこんなふうに思いました。こんなにいろいろな場所でみつかるということは、ここに本当のことがあるのじゃないかと思ったのです。

よく「心の目と耳をすますとはどういうことですか?」と聞かれます。モナの物語の中や、なんちゃって般若心経(私が勝手に訳した般若心経)などにも出てくるからなのですが、

私は脳のことを調べたりするのが好きです。
その最初はイスラエルの嘆きの壁で揺れる人を見たことだったかもしれません。そう、赤塚さんが連れて行ってくださったあの最初のイスラエルへの旅です。

自閉症の子供達の脳と、壁の前で揺れ続けている人、マニ車を回し続ける人、そして、今回のトルコでも訪れたメブラーナで回り続ける人の脳が同じだとわかりました。原始脳、いわゆる脳幹や延髄あたりが活発になるのです。それは、虫や魚や鳥なども持っている脳です。

私はその脳は、なすべきことを知る脳だと思っています。サムシング・グレートがこの人はこんなふうに生きてほしいと望んでいることを知る脳だと思います。

それで、蝶もヤモリもみんな巣の作り方や食べるものや、伴侶を得る方法だって知るのだと思います。そしてみんなでひとつのいのちを生きていくのだと思うのです。
人は脳幹と大脳があって、大脳が活発になりすぎると、脳幹から伝わるものがわかりにくくなるのですね。
人は目を閉じたり、耳からの刺激がこないようにしたり、それから意味のある言葉を使ったり聞いたりしないと脳幹が活発になることがわかっています。
それで、私は勝手に考えたのです。見たり聞いたり言葉にとらわれないでいることが、心の目と耳をすます方法のひとつかなって。
天はどんな方法で、私たちにもなすべきことを教えてくれているのでしょう。それは、虫や動物と同じように、湧き上がるようにしたいと思うことをするということのような気がしてならないのです。
心の目と耳をすまして生きよ、見ざる言わざる聞かざるはそれを教えてくれているのでしょうか? 赤塚さん、勝手な解釈だけど、あまりにあちことで見るとそんなことを思う私でした。

したいことには、天の応援があり、天の思いがある。

やっぱり勝手な私はそんなことを思っているよ。
11月11日、楽しみでなりません。仲間もたくさん来てくれるよ。

赤塚さん、私に楽しい大切な人生をありがとう。
またね、赤塚さん    かつこ

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