116 忘却は流浪を長引かせる かっこちゃんへ
かっこちゃん、お便りありがとう。
東京講演~成田~台北~パラオ~台北~成田~羽田~鹿児島~知覧~鹿児島~羽田~札幌~我が家で一泊~伊勢神宮案内・・・2週間ぶりに津に帰ってきました。
でも、明後日から東京~茨城県日立市~東京~そして、小松だ。
もういったい自分がどこにいるのかわからなくなる時もあるけど、30年以上こうやって走り続けてきました。
まるで泳ぎ続けていないと死んでしまう魚みたいだ。
「赤塚さん、大変ですね。疲れませんか」って聞く人があるけど、
とんでもない、僕は移動が好きなんだ。乗り物が大好きなんだ。
電車でも靴を脱いで、窓に向かって正座して外を見ていたいくらいだよ。
今回のパラオの旅、8度目のペリリュー島慰霊。
大東亜戦争で米軍を阻止するために1万人の守備隊が3か月近く戦い続け、玉砕。
僕の恩人で、名張市で小児科を営んでいた上島英義先生が軍医をしていたのです。
わずか40数名の生き残り。
死んでいった仲間たちのためにお堂を建ててほしいと依頼があり、僕がデザインして松阪市の水屋神社に造りました。
そこに祭られているのは、ペリリュー島オレンジビーチの砂です。
「もう一度ペリリュー島に行きたい」と願いながらも叶わず、病院で亡くなった上島先生の遺骨を抱いて訪ねたのが最初のパラオ訪問のきっかけです。
パラオは、31年間日本でした。
パラオ統治のとき、日本は道路を敷き、電気を流し、水道を整備し、病院を作り、学校まで作って教育まで施しました。
白人が植民地に学校を作ったなんて、聞いたことないよね。
日本人の子どもとパラオの子どもが一緒の学校で学んでたんだよ。
人種差別をしない日本だからこそできた美しい世界だと僕は思う。
パラオには数百に及ぶ日本語が、いまもパラオ語として生きているんだ。
僕がパラオの人に「大丈夫」というと、「え、どうしてお前はパラオ語を話すんだ?」とビックリされる。いや、びっくりするのはこっちのほうでしょ。
「ダイジョウブ」のニュアンスでかなりの会話が成り立つ。
そうそう、「美味しい」は、パラオ語で「アジダイジョウブ」。
ビールを飲むは、「ツカレナオース」
ビールのことは「アサヒ」
乾杯!は、「ショートツ!」 笑うやろーー
今回も30名の仲間と、日本を護るために戦って命を捧げてくださった先輩方に感謝を申し上げてきました。
靖国神社で八千代食堂というお店を開き、鹿児島・知覧から飛んで行った若き特攻隊員に「お母さん」と慕われた、鳥濱トメが作った玉子丼の味そのまま八千代食堂では味わうことができるのです。
僕の親友でもある八千代食堂の大将、高取宗茂氏はペリリュー島にある慰霊塔の前に土下座して、こう叫びました。
「ペリリュー島守備隊の英霊の皆様!ほんとうにご苦労様でした!!
靖国神社からお迎えに参りました。
みなさまのお働きのおかげで、日本は平和ないい国となりました。
心から感謝します。
どうか、安らかにお休みください。
あとは我々が頑張って日本をいい国にして参ります」
かっこちゃん、僕は泣いたよ。
忘れずにいるということがどんなに大切なことか、考えている。
そんな仲間たちと一緒にペリリュー島のジャングルを歩いている。
歩きながら泣けて、泣けて仕方がありませんでした。
地震、台風、自然災害がやってくる日本の国民を守る。
他国からの脅威から、日本国の独立を守る。
政治家に任せて文句を言うだけでなく、国民一人一人が考え、たくましく繋がってゆかなければならないね。
台湾も50年間、日本でした。
台湾の人たちは今も日本を好きでいてくれて、尊敬してくれています。
人を褒める時にも、「あなたは、リップンチェンシンがある」と言います。
リップンチェンシンとは「日本精神」という意味です。
東北の大震災のとき、台湾の人たちがお金を出しあって、日本に送ってくれた義援金は200億円を超えています。
その感謝も忘れてはなりませんね。
かっこちゃん、ユダヤに
「記憶は贖いの秘訣であり、
忘却は流浪を長引かせる」という格言があります。
だからユダヤ人は、記憶の民と言われるほどです。
石に刻むようにして記憶します。
僕たち日本人は、雨が多いしどこにも川があって「湯水のように」使えるから、すぐに水に流してしまうね。
荒野の民には流す水がない。
でもね、かんじんなことは心に刻まないといけない。
選挙が終わって新しい国会議員が選ばれました。
国民が選んだ政治家が、国家のために良い仕事をしてほしいと願います。
ただ、僕は政治から遠ざかっていようと思います。
それは、知ろうとしないのではなく、まさしくそれを知るためにです。
無関心ではなく、離れてみていようと思うのです。
元総理の奥さんとも仲良しだし、国会議員の友だちもいます。
ある党の党首とも友だちです。
だけど、僕は政治からは離れて生きてゆきます。
政治とは、自分の考えと他人の考えという二分法、つまり分離が永遠に終わることなく、
和する平らかな世界とは真逆の世界だからです。
なるほど、僕らの時代はよく乱れているけれども、
イエスキリストの時代や戦国時代や坂本龍馬の時代よりもとくに乱れているわけではありません。
聖書にも、パウロが言っています。
「いつも人の世は悪い」と。
乱れているのは、世の中が乱れていると世を責めるその人の自己でしょう。
自分の内側に向かい、自らを変容させることなく外を責め、
内省することのない自己が乱れて寄る辺を見失うのは今に始まったことではありません。
だからこそ、内省する人の言葉は、どんな世の中であっても、どんな時代においても私たちの中で石のように動かないのです。
これは本当に素晴らしいことじゃないですか。
魔法の文通のすごさも僕はそこにあるんだ、と思っているよ。
かっこちゃん、すっかり寒くなってきたね。
もうすぐ会えるよ。
高仁
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