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親子の付き合い


泥沼化?



自死したという某芸能人は

母親とは弁護士経由でしか話ができなかったという

私の知り合いにも

カウンセラーが同席しないと母親と会話ができない人がいる

愛憎は表裏というが

わが子だからこその思いや、親だからこその期待が

行きすぎたり、誤解し合ったりで

こんな結果になってしまうのだろうか。

母とは仲のいい私だったから

屈折した親子関係は、さぞ苦しいだろうと想像する。


ありがとうと言える関係


母は何度か死に損なったことがあり

7歳のときには1年ほど離れて暮らさなければならず

そばにいて当たり前の人ではなかった

いつしか、ずっと生きていてほしい人になり

大切にしようという気持ちは自然と育った。


私が大人になり、働くようになってからは

どこかで親子が逆転したように感じた

話を聞いてあげるとか、何かを譲ってあげるとか……

そして、最期は

私が40になるまで生きていてくれてありがとう、と母を送った。



順番どおりなら、親は送らなければならない人になる。

親とトラぶったり、わだかまったりしていると

仕事をしていても、離れて生活していても

どこかで心の重荷になってしまうのではないか

そういうときはどうしたらいいのだろう。


無理をしない


親戚の人、友人、知人の位置にいったん親を降ろしてみてはどうか

親だと思うから

自分は長男だ、一人っ子だとプレッシャーが生まれる


親戚の人でも、あいさつぐらいはするだろう

友人でも、借りたものなら返すだろう

知人でも、乱暴な口の利き方はしないだろう


距離を取れば、自分自身も取り戻せる

そうして、親への甘えに気付いたり

親にも身勝手な自分に気付いてもらえたりするかもしれない。

誤解もし合うだろうが、発見もまたあるはずだ。

親が駄目な親ならば

自分は産院で間違えられたのだと思っていればいい

自分こそはいい親になろうと頑張ればいい。

Photo by Amarikoo


親も宝


親になったとき、子どもは宝だと思ったけれども

親を送ったとき、親も宝だったことに気が付いた

子どもは誤解もするし、未熟だが成長もする

親の慧眼に気付くのは往々にしてずっと後だろう

自分を産み育てた親と劣悪な関係になるのはやっぱり不幸だ。

あいさつぐらいはできるくらいには修復しておかないと


とはいえ、人には外から見えないさまざまな事情がある

ちょっとお節介を承知で書いてみた。

                       2022.1.3


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だてまき
創作の芽に水をやり、光を注ぐ、花を咲かせ、実を育てるまでの日々は楽しいことばかりではありません。読者がたった1人であっても書き続ける強さを学びながら、たった一つの言葉に勇気づけられ、また前を向いて歩き出すのが私たち物書きびとです。