豆大福 ―「好き」にこだわる 1―
甘いものを求めて
好きなことを聞かれたら
まずは、「食べること」と言う、われながら外れのない答えだ。
胃腸が健康で、食も通らぬ恋患いにもかかっていないことを
まずもって、天に感謝すべきかもしれない。
過食もせず、日々の運動も順調にこなせているから
たまに食べる甘いものに罪悪感も湧かない。
透き通った気持ちで「甘いものが好き」と答えられるのは
ありがたいことだ。
コロナ禍だから
買い物はネットスーパーの一択だったのが
この夏に和菓子のおいしいお店を見つけた
新しく開拓した散歩道で
夏からずっと、この季節になっても、店の扉が開け放してある
そして、店の人はKF94で応対してくれる
こんな満足対応のお店が、徒歩20分のところにあった。
と、ここまで書いて
いかにも私が偶然見つけた書きっぷりになってしまった
修正しよう、店は、息子に場所を教わったのだ
彼が先に和菓子を買ってきて
場所を案内してくれた
しかし、その日はあいにくの定休日だった。
後日、思い出しながら1人で行って
そこにたどり着いたのだが
20年以上住んでいても、全く足を延ばさなかった地域の住宅街に
めったに車の通らない道路に面して、お店はぽつんとあった。
姫たちばな
はためく店ののぼりのそばに、アルコールボトルが置いてある
そこで手を清めて店に入ると
羊羹や、おまんじゅうや、贈答用の和菓子などが、陳列されている。
これまでに何種類か買って味わってみた
多いときは4つ、少ないときは2つ
あまり一度にたくさん買うと、散歩の楽しみがなくなるし
やっぱり、ベスト体重は維持したいし、で。
実は、家を真逆の方向に10分ほど歩くと、駅前に老舗の和菓子屋がある
コロナ前は、お年賀として毎年親戚に持参していた
農林大臣賞を受賞した栗入りのおまんじゅうが推しだ
梅、栗、キンカンの三種があるが、いつも安定のおいしさだ。
今回見つけたお店も、大体の品目はかぶっているのだが
キンカンは、苦みがなくて私の口に合った
名前もきれいで気に入った、「姫たちばな」という。
豆大福
しばらく、「姫たちばな」を買いに行くことが続いてから
ほかのものも試すようになった
その中で、一番感動したのが豆大福だ
あんこの甘さと、塩ゆでの赤エンドウ豆の組み合わせ
柔らかいお餅と、固めのアズキ餡の配分
どちらが欠けても成立しない、甘さと塩気
固さと柔らかさという真逆の食感
そのせめぎ合いが、絶妙なのだ。
以来、大福を求めて、隣町の静かな住宅街に通うようになる
家の前で逆に進めば、にぎやかな商店街なのに
さすがは玄人という、この味が私を引き付ける
横断歩道を渡ってすぐのところなので
渡る前からのぼりが目に入る
だが、目印ののぼりが出ていないことがあった
店が、よく休むのだ。
定休日は知っている、だからそれを避けて行っているのに
「誠に勝手ながら……」の張り紙がある。
何度見たことだろう
定休日の翌日に行って二連休というパターンだ。
もう横断歩道は渡らずに引き返してしまい
のぼりがなければ、店までわざわざ行かなくても分かるようになった
頭に来て、張り紙などは見なくなったのが悪いのだが
その翌日に行ったら、何と三連休だったこともあった。
腹を立てても……
しかし、である
欲があって通うとは、何とタフなことだろう
こうして、私を一生懸命歩かせてくれるのも
鼻の先のニンジンならぬ、あの豆大福のおかげなのだ。
奇しくもあそこの町は高齢化率が高い
日本茶の好きな高齢者が
茶菓を目指して日々のウォーキングが楽しめるように
ちょうどいい所に、ちょうどいい店を置き
太らせすぎないように、家計を圧迫しないように
店主がふいの休みを紛れ込ませているのかもしれない
そう、都合良く思おうではないか。
ある日、腹を立てた息子が、とうとうスーパーの大福を購入した
4個入りパックの値段が、くだんの豆大福1個にも及ばないもので
とうとう最後の1個は、誰も食べずに日が過ぎてしまった
こうして、かの玄人は、「誠に勝手ながら……」と下手に出つつ
味の違いをこれでもかと見せつけて、マウントを取るのである。
そう、確かに、私は今日、好きなことは「食べること」だと言い切った
そして、甘いものが好きだと
それも、かつて大好きだった洋菓子ではなく和菓子
お茶会で出されるようなこじゃれたものではなく
豆大福だと。
10年前の私が聞いたらびっくりするだろう
30年、40年前の私は、こんな私を信じないだろう。
しかし、今好きなのは豆大福なのだ
あのお店の豆大福
あまおうの入ったイチゴ大福でも
栗の入ったどらやきでもなく
私は今、豆大福が一番好きなんだ。
2022.11.16