アタック25 出場記(お母さん大会編)


テレビというものは「外側から見るもの」であって、その中に自分がいる事など想像したこともなかった。人生も斜陽期ただ中のあの日まで。

「お母さん、アタック25 に出てよ」と息子が言い出したのはいつ頃だったろうか。
そもそも、私と息子は「アタック25 」をいつ見たのだろうか。
チラリと見たときにちょうど私が正解を答えたからなのだろうか。
疑問形の連続。

若い頃は日曜日は遊びに出かけ、結婚・出産後はテレビがついていても子供番組。
これまで(予選会で合格するまで)「パネルクイズアタック25 」を、全くと言っていいほど見ていなかったのである。

そんな番組に、私が出演まで果たした事はどんな偶然かとも思えるけれど、生活の中になんとなく認識され続け、何かの拍子にふと顔を出す・・・これが長寿番組というものなのだろう。

子供の頃はひたすら本を読み、空想に耽る毎日だった。
アラビアンナイトの砂漠や宮殿、ヨーロッパの寄宿学校やクリスマス、中国や日本の英雄や物の怪・・・。

クイズというジャンルに関心を持った事はなかったが、質問(問題)があり答える快感は何度か味わったことがあった。

ひとつの記憶は小学五年生のとき。昼休みに放送で「ベニスの商人」が朗読されていた。
女性担任がふと、「この本読んだことある人いる?」と聞いた時、手を挙げたのは私だけだった。「作者の名前、知っている人いる?」当然のように私1人。

3つめの質問「他のシェイクスピアの本、読んだことある人いる?」
3度目手を挙げるのが恥ずかしくて周りを見回したけれど、もちろん誰も挙げてはいない。もじもじしながら「オセロ、リア王、ハムレット、マクベス、真夏の夜の夢、ロミオとジュリエット・・・」とボソボソと答えた。
その時に先生から「すごい、よく読んでいるね。本を読むのはいいことだよ」と褒めてもらい、褒められるところが非常に少ない私はとても嬉しかったことを憶えている。
小学生の頃は本を自分で買う事はなく、家の本棚に並ぶ各種の文学全集を端から読んでいたに過ぎないのだけれど。

社会人になった冬、会社の労働組合が主催するスキー旅行で、バスの中の余興として用意されていたのが「クイズ大会」
私は勝ち進み(と言うほどのものではない)、最後は東大大学院卒の研究所員との一騎討ち(と言うほどのものではない)のようになった。
最後の問題は漢字の読みで、「狼煙」
私が手を挙げ「のろし」と答えたのだが、幹事(司会)さんはニヤニヤーッとして「ブッブー!」「?」となる私に、「残念!キセルです!」と。
紙の裏に間違った答えが書いてあったらしい。
正解を証明する手段がないので困った。
すると、先程の研究所員グループから、「いや、のろしで合っていますよ」との声が上がり、ホッ。
インターネットどころか携帯電話もなかった時代の、取るに足らない話である。が、私にとって「クイズをした」といえる唯一の記憶なのである。

そこから40年余り(長っ)を経て・・・とにかく息子が「アタック25」 に出ろ出ろと急に言い始めた。何度か海外旅行に行く中で、「サムソナイトのスーツケース 」が欲しくなったらしい。
で、タダで手に入れたいのはわかるがあまりに他力本願・・・。
「何言ってるの、あれトップ賞だよ」「だからトップ賞、お母さん取れるって」「無理無理」
このやりとりを何回したのだろう。
これより2年ほど前、大学生の娘から「お母さん向きのこんなアプリあるから暇つぶしにやってみれば」と言われて始めたのが「みんはや」だった。
野球や相撲観戦に高校時代夢中になったりオリンピック大好きなこともあってスポーツのルールなどがある程度わかり、元より活字中毒だった私は思い出す機会もなかった文豪の名前など問われるのが楽しく、結構このアプリにはハマった。
(しかし、新しい事・元々知らない事は憶えられる年齢ではなく、完全な頭打ちである)
この「みんはや」がそこそこ強いと言うのも息子が私に目をつけた理由だろう。

とにかく彼は、私の名前で応募した。
1度目の応募では予選会の葉書が来たが、気が進まずスルーしてしまった。
数ヶ月後の2019年秋、再び応募した時にもすぐにハガキが来て、今度は「浜松町駅前なら近いし行ってみるだけ…」と、気軽な気持ちで出向いた。
広いホールに80人〜90人はいただろうか。30〜40代くらいのクイズが得意そうな男性が圧倒的に多い予選会で、確か合格したのは15人か…。
他の参加者がどれくらい正解しているのか見当もつかず、少なくとも5問はわからなかったから受からないかもと思っていたので2番目に名前を呼ばれてビックリした。

面接。ひとり目の女子大生が、若々しくハキハキと話し、その内容もどこぞのクイズが出来るところ(なんだかサッパリわからない)に行ったりしています、と言う、クイズ番組に適したもの。
2番目の私は「え、どうしよう?話すことが無い」と慌てる気持ちになりながらも、本が好きな事、息子が応募した事などを話したと思う。
どのタイミングかで「クイズアプリのみんはやってやってますか?」と訊かれ「ハイ、1年以上くらいやってて、楽しいです」というやりとりがあり、他の合格者も大抵の方が「クイズアプリをやったりしています」「みんはや大好きです」とのことで、やはりここに来る人にはみんはやは必須なんだな、と思った。
さて、めでたく12月10日からの1年間の出場資格を得た私だが、まだまだ自分が出るという実感はなかった。
実感が湧いたのは、同じ予選会で合格した人の姿を2月の放送で見た時。「うわ、本当に出るんだ!」とにわかに現実味を帯びてきた。

出場するまでには色々とあった。
なんといってもコロナ禍の始まりである。
3月に06から始まる番号からの着信に、「まさか」と思いながら出ると、そのまさかであった。
もちろん出場することにしたのだが、緊急事態宣言が出て、4月の収録は延期に。
6月、解除後に又電話があり、11日になるか25日になるかわからないが多分収録出来ると思うが来れるか?とのこと。
木曜日は元々オフにしているので私はいつでも大丈夫。だがこの条件は勤め人には厳しそう。だからか?「お母さん大会」であった。

最初に連絡を受けた放送予定日は5月3日だった。
前後数日を入れると、アドバイスされた「時事問題」の該当項目が広すぎる気がした。この時期は記念日だの各地の催しなどが多すぎる。

なんとか絞って対策し始めた矢先に収録が延期となり、次の収録・放送日はギリギリまでわからなかった。

「1枚も取れなかったら」「何度も立つことになったら」「テレビに映る姿が見苦しかったら」
元々そんな不安で尻込みする気持ちがあり、家族以外に出場することを伝えた相手はごくわずかであった。

午前11時半集合とのことで前日はリーガロイヤルホテルに宿泊した。

快適なホテルだったが緊張のためあまり眠れなかった。
ホテル地下のコンビニでビールとワンカップ大関を買い込み酔った勢いで寝ようとしたのに、眠れずアルコールが抜けず、誤算であった。

ABC放送の近くのカフェでゆっくり朝食を食べながら時事問題の確認をしようと考え、10時過ぎにはチェックアウトして徒歩10分ほどを歩いた。
しかし、ビルの周りにカフェは無く、30分くらい歩き回った挙句仕方なくコンビニでサンドイッチとコーヒーを買った。ムシャクシャした気分でイートインスペースで食べていると、いきなりザーザーと雨が降ってきた。

ビルは目の前とはいえ、屋根のない道を信号二つ渡らねばならず、傘無しでは間違いなくずぶ濡れになる。
この時の気分は最悪。姉や妹に泣き言ばかりLINEしていた。
集合時間ギリギリになんとか雨が小降りになり、少し濡れながらビルに入った。
本番までの過程は、出場した人は皆同じようなものだろう。
パネルの取り方のレクチャー、優しそうなおじさん2人(お名前・担当など一切記憶せず)からの諸注意。
曰く「問題をよく聞いてからボタンを押すこと」「日本人はフルネームを正しい読みで答える事」「ボタンを押してから考えることはNG」などなど。

収録スタジオ。私は赤の席である。初めてのテレビスタジオが物珍しい。半袖で行ったのでとても寒かった。
最初の映像問題の答えは「ハイビスカス」
私は花・植物にあまり詳しくないのだが、たまたまハイビスカス、ブーゲンビリア、デイゴなどの南国の花の画像をネットで沢山見比べたばかり(そういう事をするのが好きで、猛禽類色々とかワニ色々とかをじっくり見比べたりしている)だったので正解できた。
結果はトップ賞だったのだから全体的には上出来だったのは間違いないけれど・・・。
この日も、その後のチャンピオン大会の時も痛感した事は「わかっていても押せない、答えられない」事である。
誤答した後などは「これだと思うけど…0.1%違うかも?」なんて思ってしまう。
あの場を経験した人の多くが同じように思うのだろうか。

さらに、クイズ的なものはみんはやしかやったことがないせいで耳からの問題が全然像を結ばない。
これは年齢的に衰え著しい認知機能であろう。聞こえたことがすぐさま形にならないこの感じは若い人には多分理解できないと思う。

ハワイ映像問題。「西暦」と聞いてガッカリした。半年以上番組を見てきて、最後の映像問題でわからなかったことがなかったのだが、西暦はよほどの事がないと正確に答えられる自信がなかった。計算苦手なので瞬時に年号と合わせられないし。
中曽根内閣発足と花の82年組が映像に流れ、なんとか正解を得たのは幸いだった。
放送後まで結果を言わないのが当然の約束事だが、帰りの新幹線の中で家族には「トップ賞取って、ハワイも取ったよ」とLINEした。この時の息子は、まだ賞品からサムソナイト(スーツケースセット)がなくなった事を知らず大喜びしていた。

放送を見て・・・。
練習までしたのにガッツポーズを忘れたことと、自分が映った時、正面のカメラをチラチラ見ている事が気になり、恥ずかしく思った。
そしてとんでもない二重アゴを再認識させられ、チャンピオン大会までには痩せよう、と思ったのだった。それが実現しなかったのは又後の話・・・。

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