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自分の人生を振り返る(中学生編)

前回の続きから。

こう書くと生意気かもしれないが幼稚園の時点で自分は勉強がまわりの子より出来ることはわかっていた。小学校でも国語、算数、理科、社会は得意だったが、図工に苦しんでいた。「自分はまわりと一緒のことをしていちゃいけないんだ」という意識があって、そもそも平均以下の能力しかない図工で「何も作れない」っていう状況になることもあった。

中学校は地元の公立中学校。1学年に330人いるマンモス校だった。

入学して最初の1学期中間テスト。テスト勉強3日間。330人中10位。

次の期末テスト。テスト勉強7日間。330人中1位。

勉強に興味を失う

幸か不幸か、塾にも行っていない状態で2回目のテストで1位をとってしまったことで僕は完全に中学校の勉強から興味を失った。

水泳は勝ちたくて勝ちたくてたまらないのに勝てない。でも勉強は授業聞いて7日間勉強したら1位だった。あぁこんなつまらないものやっても仕方ない。それが正直な感想だった。

その後いわゆる定期テストはほとんど勉強しなくなった。ちゃんとトップの進学校にさえ行けば良いと思っていた。実力テスト(それまで学習した全範囲が対象になるようなテスト)だけは順位とるけど定期テストの順位に全く興味がない人になった。

1年生は10、1、19、2、2

2年生は22、20、29、5、5、

3年生は覚えてないけど30番以内にすら一度も入らなかった。

前回の記事にちょっと書いたが、不良の子達とうまく行かないことがあった。

自転車を盗まれて駅で焼かれていた。なんてこともあった。この時は大体犯人の検討はついていたが、警察から聞かれても証拠がないから言えないと答えていたのを覚えている。

自転車があまりに酷いことになっていたらしく、親は警察にショックを受けると思うから自転車は見せない方がいいと言われたらしい。

同じ学年に30人以上警察にお世話になる子達がいたし、学校のまわりを在校生がバイクで走ったりしていた(当然無免許だから違法)先生の中には、毎回授業に竹刀を持って現れる先生もいたし、授業始まったら後ろのロッカーの上に寝っ転がって生徒に問題解かせるなんて先生もいた。サッカー部の先生は全校集会の後、不良の子に切れてみんながみてる前で生徒をボコボコにして、その後いなくなった。そんな時代だった。

そのあたりから斜に構えるようになっていった。中学校では社会に大嫌いな先生がいた。嫌いだった理由は覚えていない。その先生の授業はずっと肘ついて顎を手に乗せて授業を聞いていた。当てられてもわかりませんってずっと言い続けていた。テストは96点と98点だったのに成績で4をつけられた。

そんなことを覚えている。

専門種目をバッタから400コメに転向

中学に入っても、なかなかタイムは伸びてこなかった。中学1年生の秋でもまだ136cmしかなかった。この時のタイムは100バタが1分11秒。

中学2年の終わりごろの試合で400コメにエントリーした。5分6秒だった。もちろん速くはないのだが、練習が強かったこともあり長い距離の方が向いているだろうということで、専門種目が400コメになった。

中学3年になっても東海大会には400コメだから出れていたものの、全中には15秒ぐらい足りない状態だった。この時東海大会で100Frをリレーで泳いだが、長水路でまだ1分3秒かかっていた。

こんな実力だったから、高校2年生になったら大学受験のために水泳やめるのかなってなんとなく考えていた。

高校になって色んな激変していく。また次回。

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