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言語化することが苦手な子供たち

ちょっと、とりとめのない話になりますが・・・。

先日担当している部活動でこんなことがありました。

中学生の部活動で、1年生だけが活動する日がありました。普段上級生や監督の指示で練習している1年生が、自分たちで練習メニューを決めたり、練習の掛け声(サーブ練習はじめ!とかフットワーク練習はじめ!)などを誰がやるかを決めたりしないといけません。

担当してる部活動の1年生は、この「選ぶ」「判断する」「決断する」ということがとても苦手な印象を受けます。リーダー性のある生徒がいないこともありますが、全員集まっても意見を出す雰囲気もない、意見が出てもそれでいいとか嫌とか意見を出すわけでもない・・・という雰囲気のある学年です。

それでも機会を見ては少しずつ自分たちで色々決めるという経験を少しずつ積ませてきたところ、ようやく物事を決める生徒役になるのが1年生13人中3人ぐらいで固まってきました。

そしてその1年生だけで練習する日に、1年生を集めて、次の2つを決めることを伝えました。

1.今日の練習の目標を決める。
2.その目標を達成するためのメニューを決める。

です。この2つを決めるだけでも15分かかりました・・・。いいのです。これも経験。ここで担当教師の私が、「じゃあ1年生だとこういう目標が良くて、練習メニューはこれだな」なんて決めると、自分たちで動かす部活動という意識がなくなります。

さて、この1年生たちは「メリハリのある練習をする」という目標を立て、練習メニューを決めました。

「メリハリのある練習をする」かどうか判断するには、どうするの?と1年生に質問すると、「練習時間と休憩時間の切り替えを素早くできたか」や「練習中に集中してできたかどうか」で判断します、ということだったので、さっそく始めました。

さて、練習のメニューの掛け声(サーブ練習はじめ!など)の声を出す人はどうするの?と1年生に聞いたら、かわるがわるするとのこと。こちらとしては1年生の仮キャプテンでも決めてやった方がいいと思うけどなと言いたいのを抑えつつ、「じゃあそれで行こう」となりました。

一通りメニューを終えたところで、練習時間の半分の時間が経ちました。

ここで1年生全員を集めて、質問しました。

「今日の練習、ここまでどうだった?」と。

「じゃあ、あなたから順番にどうぞ」と発言を促します。

一番最初に当たった生徒は、何も答えられません。次に当たった生徒も何も答えられません。この2人は練習中にふざけあっていた2人で「メリハリがない練習」をしていた2人だったのです。

次に当たった生徒は自分の考えていることを言語化できることができる生徒のようで、「〇〇はよかったけれど、〇〇は少し良くなかったと思います」と答えてくれました。さらに、「じゃあどうよくなかったの?」「どうすればよかった?」と追質問をすると、それとなく答えます。それ以降の生徒は、「なるほど、こんなこと言えばいいんだな」と分かったのか、さほど時間をかけずに反省点を話します。さて、また最初の二人に戻ります。「はい、練習の反省は?」と聞いても、だんまりです。

何が、この2人を黙らせたしまうのでしょうか。

おそらく・・・

1.自分の考えを言語化できなかった。苦手である。
2.話すことができなかったことが、プライドを傷つけ、2回目に回ってきたときは、前の人の意見を参考に自分の考えをしゃべるということをしたくなかった。
3.練習中ふざけてしまっていた2人なので、後ろめたさがあった。

理由は一つではなく、複合的なものかもしれません。それでも普段の生活からこの2人は特に言語化が苦手な2人だったのは事実です。結局この2人は最後まで黙ったままでした。

言語化できないということは、様々なストレスを生み出します。自分が何にイライラしているのか、原因を探り出せない。嫌だということややってほしいことを他人に伝えられない。便利な「うざい」「きもい」「やばい」「エモい」などの言葉に頼りすぎて、自分の正確な気持ちを伝えらえない・・・

私たち教員は学校教育の様々な場面で、この「言語化する力」を育てていかなければ、いけないなと感じた一コマでした。



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