1年後の自分へ
最近、腹落ちした気付きがあったので
1年後も思い出せるように記そうと思う。
毎日は、すべては、
自分が選択したものでできている。
やっと繋がって腹落ちした。
どこに行くか、何を見るか、何を発するか、何を考えるか、何を身に付けるか、何を食べるか、誰といるか、どう時間を使うか
選択している意識が薄かった。
何も考えていなかったのだとしたら、
無意識下で、考えないことを選択していたのだ。自覚しろ。
今の自分は自分の選択の結果。自分のせい。
すべては自分のせいだと思うと
以前は落ち込むこともあったが、
今の自分にはプラスの気分に変換できる素地ができた。
だから1年後の自分も、きっと大丈夫。
だってこんなにも
楽しいわくわくする結果が続いている。
・あの時、気になった展示会にいったから、工作をまた始めて、もっと作りたいと思った。
・あの時、ほしい形が売ってなくて、でも諦めきれなくて作ってみたから、特技のアピールになった。
・あの時、勇気を出して依頼を受けたから、またチャレンジしてみたいことや好きな食べ物も増えた。
・あの時、あそこに行って体験してみたから、いずれ買いたいと思って、部屋のレイアウトまでも変わった。
・あの時、面倒がらずに手伝いにいったから、自分の住みたい環境のイメージが変わって、引っ越し先候補が広がった。
・あの時、先入観に捕らわれずにやったから、絵で表現する楽しさやスキル不足の悔しさを思い出して、うまくなるために動画を見て練習するようになった。
良い結果が出たときだけ自分の選択を意識するなんて虫がよすぎる。
他人と自分の選択という点では、
今までは
他人は変えられないという諦めから
期待をしない方向で納得していた。
しかし今は
すべては自分の選択で、
それは他人にとってもそうで、
自分が相手に対して何か発するものは
他人にとっての参考程度になればいいやと
思えるようになった。
相手を変えたいなんて、
おこがましいし自分本位だ。
期待という言葉は
相手と自分の選択が同じ方向だと
わかった時に、
使ってよい応援旗のようなものとしたい。
自分の選択と行動という点では、
プライドや理想は
自分を高めて成長させるものとしては良い。
しんどくならない程度に行動を選択する。
ただし
言葉として発さなかったとしても
自分の行動は
他人を奮起させるきっかけになる
こともあれば、
あるいは無言の圧力として
他人を傷付けることもあるのを
忘れたくはない。
ご縁や運というものは
自分以外に感謝すべきもののように感じて
モヤモヤしていた。
でもご縁も運も
何かのおかげなだけでなく、
自分の選択がなければ存在しなかった。
だから再現性がある。
もちろん誰かの選択がたまたま
自分の選択に重なってできた偶然でもあるから、
有り難いと思う感謝の気持ちももちたい。
今現在の状況を翻ってみると
「自分、案外やるじゃん」
と思うことが増えた。
当たり前だけど
自分の人生は自分次第。
いかに自分を納得させ、
楽しく幸せに生きる行動を無理なく続けるか
大きく1歩前進したように感じる。
1年後の自分はどうだろうか。