非常階段の夏
非常階段が、好きだった。
暗くて静かで空気がとまっていて
ひっそりと殺人現場に使われていたような非常階段
ではなく、
明るくて開放的で風が流れていて
喧騒を眺められる程に近いのに切り離されたような
非常階段だ。
でもそれに該当する非常階段を、
私はまだ一つしか知らない。
だから正しくは
「あの非常階段が、好きだった」だ。
高校生だったとき
砂漠緑化の仕事をしたいという
薄い夢があった。
薄かったのは、漠然としすぎていたし
そのために必死に努力しようと思う程
でもなかったから。
自分でもよく分からなくなって、
もはや夢を伝える時の
定型文のようになっていた。
今思えば
テレビのドキュメンタリーに感化されただけ
の気もする。
とにかく夢というには薄すぎた。
高校では夏季講習の間に
どこかの大人を引っ張ってきて
仕事内容を紹介する講演会が
たびたび開かれていた。
最後にお決まりの
「誰か質問ありますか」の時間があり、
ふと聞いてみたくなって
「今の仕事は、子供の頃からの夢だったんですか?」と
質問したことがある。
答えは、違います、だった。
イラッとした。
その日のアンケートには
「子供のころの夢を叶えた大人の話が聞きたい」なんて記入していた。
受験生になると急に先生たちは
あなたの夢は何だ、行きたい大学はどこだ
と生徒に聞くくせに
生徒の時の夢を叶えた大人は
高校に呼ぶほどもいないのか。
生徒のうちに持つ夢なんて、そういう結果が待っていると
暗に示しているようなもんじゃないか。
何を伝えたいんだ。
私はひねくれまくった、
くそ生意気な高校生だった。
世の中の大半の大人は
「夢を諦めたから叶えられなかった人」だと、
何かの本で読んだ直後だったので
尚更イラッときたのだろう。
イライラしたまま自分の教室にもどり、
さほど仲良くもないクラスメイトにしか会わなかったので
鞄を掴んでひとり下駄箱に向かう。
靴に履き替えて校舎の外にでて
空を見て
今日はいい天気だったと思い出す。
このまま素直に帰路について
昨日と同じような受験勉強にもどるなんて
嫌だ、と思った。
いい天気を堪能できて、人がいなくて、
ぼーっとできる、学校内のどこかに行こう。
イライラに対する、ささやかな抵抗だった。
すぐに思いついたのは
去年の文化祭の時に見つけた非常階段。
第2グラウンドに面している、
校舎の中からは死角になっていて見えない
外の非常階段だ。
弓道部練習場とゴミ捨て場の横をぬけて
外から上がって4階あたりに腰を下ろす。
雨晒しになっているからか、
非常階段の踊り場の床は
ところどころ錆びてパリパリになっていた。
目の前のグラウンドを見下ろすと
甲子園を目指す生徒たちが
おそらく昨日もやっていたような内容で
練習をしている。
隣の校舎に目をやると
電気がついていないように見えた一階の美術室から
美術部員らしき生徒がでてきて自販機を見ている。
夕方に向かう夏の日差しの中
涼しい風が非常階段を駆け抜ける。
下界を見下ろす気分で
物理的に俯瞰して想像をめぐらす。
下に見えるあの子たちにも、
今なりの夢があるのだろう。
自分が今知りうるものの中で判断して
やりたいと思ったことを夢だと呼ぶ。
知りうるものの中で判断するごとに
夢は移り変わっていくのだろう。
さっきのどこかの大人のように。
諦めたのではなくて
変わっただけなのだろう。
そんなものなのかもしれない、と思った。
先生たちが
夢は何だ、と問うてくれるのは
今だけだ。
その後の長い人生で
夢は何だ、と問い続けていくのは
自分自身だけだろう。
目の前の
ジャンプしたら届きそうな距離にある
野球用ネットのポールに
雀が一羽とまる。
くらくらしそうな小さい足場を蹴って
雀はまた飛んでいく。
大学選びも学科も就職先も
夢を叶えるきっかけにさえならないかもしれないが、
それでいいんだ。
その都度
自分がやりたいと思ったことで行動して、
寄り道や回り道ではなく
道ごと変えたとしても、
それでいいんだ。
そんなことを分かりかけた気がしたが、
その当時ははっきり自分の言葉に
する事ができなかった。
グラウンドのライトに光がともる。
時計を見ると1時間ちかく経っている。
ちょっとすっきりした顔になって、
非常階段から降りるとこを(私の秘密の場所を)
誰かに見られてしまわないかと
ちょっとヒヤヒヤしながら後にした。
あの非常階段は、まだあるだろうか。
あれから私は
何個もの夢を持って、夢を変えてきた。
最近はちょっと心が弱ってきたので
またあの非常階段に行きたいと思った。
それでいいんだと
また体感したいが、
もしかしたら今度は
違う見え方がするかもしれない。
今なりの感じ方を大切にしようと思う。
明るくて開放的で風が流れていて
喧騒を眺めながらも切り離されたような
あの非常階段が、好きだ。
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