egg(20)
第七章
「あのさあ、一緒に町田に行かない?」
塾の1シーズンがようやく終わり、1日だけの休みが取れた日、高藤哲治はマンモス団地の広場に面した、遊んでいる子供たちでごった返している駄菓子屋のベンチで友達の川上直樹と唐沢隆に話しかけた。
「町田ぁ?」
グレープフルーツ味のみぞれバーを豪快にシャリシャリとかじりながら、唐沢が哲治に尋ねた。
「うん。唐沢は『スペースインベーダー』っていうゲーム知らない?」
みぞれバーを口にくわえながら、唐沢が思い出そうと上を向いた。
「たしかテレビで見たことがあるぞ。最新式のゲームなんだろ? 敵が動いてるっ!て弟が大興奮してたなあ」
「そう、それそれ! なんと町田にできたんだよ! 一緒にやりにいかない?」
「いいけどさ。ちょっと遠いよなあ、町田は。自転車で行くとどのくらいかかるのかなあ」
パキッと2つに割ったダブルソーダを両手に持って、一口ずつ交互にソーダ味のアイスをぱくついていた直樹が答える。
「1時間ってところだぞ。そんなに遠くない」
「道知ってるんだ?」
唐沢が直樹に尋ねると、直樹はうんうんと頷いた。
「兄貴のバイクのケツに乗せてもらって何回も町田に行ってるからさ。バイクだと20分もかからないんだけどね。この前自転車で行ってみたらそんぐらいかかった」
「へえ~バイクに乗せてもらってるんだ。カッコいいな」
哲治は直樹がバイクに乗っている姿を思い浮かべて羨ましくなった。うっとりしている哲治に向かって唐沢が話しかける。
「哲治は普段町田まで電車で行っているんだろ? 楽でいいよなあ」
「えっ!? 何でそんなこと知っているの?」
驚いた哲治を見て、唐沢は大きな体を揺らしてはははと笑った。
「オヤジが毎日改札で、お前のこと見てるんだよお」
「オヤジ? 改札? あああ!」
ようやく合点がいった。鶴川駅の改札でオレのことをちらりと見た駅員がいたけど、あれは唐沢のお父さんだったのか! 唐沢が続ける。
「お前が夏休みに入ってから、毎日朝早くに駅に来て、夜遅くに帰っているのを見ているから、気になっているみたいでさあ。『中2で猛勉強していてすごいなあ、将来は医者にでもなるつもりなのかな? お前も見習って野球部の謹慎処分の間くらい少しは勉強したらどうだ?』って説教されてさあ。まったくいい迷惑だよお」
「うーん。そりゃすまん。でもオレの場合、バカすぎるだけだからさ…」
しょぼんとしたオレの肩を直樹が優しくたたいた。
「おし、今から行くべ」
「町田かあ?」
唐沢が大儀そうに体を揺らして言った。
「じゃあ、おふくろに昼飯は後で食うって言ってくるかなあ。それまでに戻れそうにないし」
「じゃあオレもお母さんに言ってくる!」
町田に行けることが決まって、オレはウキウキしてベンチからぴょんと立ち上がると自転車にまたがった。
「30分後にここに再集合でいい?」
いいぞーという二人の返事を聞いて、オレは自転車をこぎ出そうとして思い出した。
「そうだ! スペースインベーダーは1回100円だよ。お金忘れないでね!」
それだけ言い残すと、オレは思い思いに走り回る子供たちの群れをよけながら自転車を元気よくこぎ始めた。
まだアイスを食べている直樹と唐沢は、溶け落ちそうになっているアイスを慌てて口に突っ込んだ。もぐもぐしながら哲治の自転車が団地の広場を抜けてあっという間にいなくなるのを見送る。
「哲治のあんなに元気な顔、初めて見た気がするなあ」
唐沢がゴミ箱にアイスの棒を投げ入れながらつぶやいた。直樹も頷く。
「家が厳しいらしいからな。勉強ばっかで他の事やってる暇なさそうじゃん。オレん家は誰もいないから、勉強しろって言われなくて気楽でいい。哲治の家に生まれなくてよかったなあ」
唐沢も同意して頷き、何かを思い出したように話し出した。
「そういやあ、オレの弟の周がさあ、由美ちゃんと同じクラスなんだよ」
直樹がふーんという顔をした。
「由美ちゃんって哲治の妹だよな?」
「そうそう。周の話だと、由美ちゃんはクラスで一番頭がよくてかけっこも早くて、学級委員もやってる優秀な女の子らしいんだあ」
直樹が叫んだ。
「うわー哲治は嫌だろうなあ。そんなできる妹がいたら、余計に比較されちゃうじゃん」
「だろお? 哲治があんなに勉強頑張るのも、妹に負けたくないって気持ちが強いからじゃないかなあ」
カキーン! 突然バットの音がして、軟式野球の白いボールが広場の中央から駄菓子屋の前に飛んできた。唐沢が巨体を翻し、俊敏な動きでボールをキャッチする。ボールが当たりそうになった小さな女の子がキャッと叫んだ。
「すみません~!」
小学校の低学年っぽい男の子たちが5人でわらわらと唐沢の元に駆け寄ってきた。唐沢が腕組みをして4人をにらむ。大きな中学生ににらまれて、男の子たちは縮こまった。
「打ったのはお前かあ?」
巨人の野球帽をかぶりバットを手にした男の子が、唐沢に怒られると思い、硬直したまま答えた。
「はい、僕です。ごめんなさい!」
唐沢がふうっと息を吐いてにやりと笑い、ボールを男の子に手渡した。
「ナイスヒット! でもお前らちょっと危なかったぞお」
ボールとバットを持った男の子を中心にしてほかの4人も集まり、みんなで巨人の野球帽のつばを手にし、一斉に帽子を脱いで頭を下げた。
「ごめんなさい。ボールをありがとうございます!」
唐沢は先輩風を吹かして、偉そうに頷いてアドバイスをした。
「お前ら三角ベースをしているんだろお? ボールが店に飛ばないように、ホームベースの位置を変えたほうがいいぞ。店側の一番端っこにバッターの場所を決めるといいんだ。そうすると広場一杯にボールを飛ばしても人に当たりにくくなるからなあ」
5人の男の子たちが目をキラキラさせて唐沢を見上げる。尊敬されているのがわかって唐沢はくすぐったい気持ちになった。
「ほら、もう行けよ。気を付けて遊ぶんだぞお」
「はい! ありがとうございました!」
5人が広場に戻っていき、ホームベースの場所をチョークで書き直しているのを見ながら、唐沢も自転車にまたがる。直樹はすでに自転車にまたがってにやにやしながら唐沢を見ていた。その視線に気が付いて唐沢が直樹をにらんだ。
「なんだよお」
「いや、別に。たださ」
「ん?」
「お前にはやっぱり野球が似合うなって思っただけだよ」
「ちぇっ」
唐沢は青空を見上げて舌打ちをした。
「あーくそ! いい加減野球がしてえなあ!」
「タバコ吸わなきゃいいだけじゃん?」
「うるせえ! もう癖になっちゃってるんだよお。今更やめられねえ」
やれやれと直樹が首を振った。
「現実世界に『ドカベン』の山田太郎が出てきたって評判になって、有名な高校から声かけられたんだろ? キャッチャーの才能あるんだから、もったいねえよ」
むうとふくれっ面をして唐沢がぼやいた。
「野球を取るか、タバコを取るか、それが問題だあ…」
「なんだよ、それ」
「シェークスピア」
「はっ! 知らねえ!!」
笑いながら直樹が手を振る。
「じゃあ、あとでな!」
「おう!」
唐沢も手を振り、二人はそれぞれ自転車にまたがって自宅に戻っていった。