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egg(27)

第三部
 
 1992

第一章
 
自分の部屋から出て、キッチンに向かう。ちょうど昼の12時だ。家族はみんな仕事に出かけていて誰もいない。パジャマ代わりにしている半そで短パン姿のまま、腰まで伸ばした髪の毛をヘアバンドでまとめると、わたしは冷蔵庫に入っている朝食を電子レンジに入れた。それからリビングに行きクーラーのリモコンを最低温度の18度に設定し、テレビのリモコンを手に取った。
フジテレビの『笑っていいとも』がちょうど始まったところだった。司会のタモリが
「それじゃあ、今日もそろそろいってもいいかな?」
と言って観客にマイクを向けると、
「いいともー!」
という元気な女の子たちのお約束の声が響いた。コマーシャルになった。わたしは電子レンジから熱々になったハムエッグを取り出し、ついでに食パンの袋を手にして、リビングに戻った。コマーシャルは終わっていて、『笑っていいとも』の最初のコーナーである「テレフォンショッキング」が始まっている。電話で出演を依頼されたゲストは、最近急速に人気が出てきた福山雅治だ。いつものようにゲストからタモリにお土産が渡され、持ってきたポスターが後ろの掲示板に貼られる。福山雅治のアメリカ旅行の話を聞きながら、わたしはハムエッグと食パンを2枚食べた。
 
いつの間にかうとうととしていたらしい。ガチャリと玄関の扉を開く音がして、わたしはふっと目を覚ました。
「ただいま」
と玄関から声がして、買い物袋を抱えたお母さんの高藤恵美が帰ってきた。
「おかえり」
寝そべっていたソファの上で伸びをしながら、私はワンピース姿のお母さんを見た。50歳になったお母さんの化粧は最近濃くなる一方だ。衰えた個所を隠すためか、ファンデーションを厚く塗りたくって、お面のようになっている。それでも目尻のしわとほうれい線が気になるらしく、大量の美容液を買い込み、10種類以上の栄養剤も毎日欠かさず飲んで老化防止に励んでいるのだ。
寝起きの格好のままでいるわたしを見て、お母さんはがっかりした顔をして言った。
「由美、大学はどうしたの?」
「……行こうとしたけど行けなかった」
買ってきたものをスーパーの袋から取り出しながら、お母さんはため息をついた。
「もう1か月になるじゃない。お医者様からもらった薬はちゃんと飲んだの?」
「毎日飲んでるよ。でも効かない。大学に行こうとすると脂汗が出てドキドキが止まらなくなるし」
「困ったわね……」
眉をしかめたお母さんは、群馬のおばあちゃんにそっくりの顔になる。そんなことを言ったら叱られるかな、と思いながらわたしは立ち上がった。
「由美?」
不審げに尋ねるお母さんに
「シャワー浴びてくる」
と返事をして、わたしは洗面所に向かった。
 
わたしは高藤由美。26歳。この一帯で一番偏差値が高い八王東高校で学年トップの成績だったわたしは、当然のように東京大学を受験した。でも失敗に失敗を重ねてついに四浪。友達は22歳でみんな一部上場企業に就職したっていうのに。わたしは両親と相談して、東京大学にこだわるのを諦めて、私立大学も受験することにしたんだけど、偏差値40台の名前を聞いたこともない滑り止めの大学にしか合格できなかった。
今年はいよいよ大学4年生。就職活動をしているけれど、去年バブルが崩壊して以来、就職活動は大変なものになった。去年までは同じ大学の先輩たちが一部上場企業に入って、内定式までの間に海外旅行に連れて行かれて拘束されたり、研修という名目でリゾート地に行っているような景気のいい話を聞いていたんだけど、今年はそういうのは東京大学のような有名大学だけの話になった。うちのように偏差値が低い大学では、エントリーシートではじかれるのがほとんど。やっとのことで面接にこぎつけても、「高藤さん、女性で四浪もした理由を教えてもらえますか?」と必ず聞かれて返事に困ってしまう。挙句に一緒に面接を受ける人たちは、わたしよりずっと偏差値の高い大学にいて、わたしより4歳も年下なのだ。みんながわたしを馬鹿にしているように思えて辛くてたまらない。
大学3年の10月に就職活動をスタートしてからというもの、わたしはいい大学に行けなかったことで傷ついたプライドが、就職活動で改めてずたずたになっていくのを実感していた。それでも就職で名誉挽回したいと思って、毎日毎日大量のエントリーシートを手書きで仕上げては郵便局のポストに押し込み、面接の電話が来るのを待つ日々を繰り返していた。
そのうちに、夜に目がさえて眠れず、朝まで起きることが増えるようになった。構わず面接に行こうとリクルートスーツに身を固めて玄関で靴を履くと、手汗がいつもの十倍くらい出て、額に脂汗がにじみ出す症状が出るようになった。心臓がドクンドクン跳ねて息がうまくできなくなり、おなかが痛くなって、腸がぐるぐると音を立てて鳴り始めちゃう。こうなるともうダメ。トイレに駆け込んで、下痢が収まるのを何時間も待つ羽目になり、就職活動が一切進められない状態になった。
そうなると大学に行くのも辛くなる。大学の友達に少しずつ内定が出始めていたからだ。所属している演劇サークルでは、わたしより成績が悪くてしょっちゅう遊んでいる、ちゃらんぽらんな大学生もたくさんいたけど、なぜかそういう人から内定が決まっていた。彼らがすっかり安心してバカ騒ぎをしているのを見ると、情けないやら腹が立つやらで、わたしは大学でも調子を崩すようになってしまった。
 
もう大学は夏休みになる。登校する人もいなくなるし、就職センターに求人情報を見に行かなくちゃ、とわたしはシャワーを浴びながら考えていた。

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