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egg(25)

 
第十二章
 
スペースインベーダーでついに瞬間ランキング1位になったオレこと高藤哲治は、夜になってサラリーマンでごった返す人ごみの中を鼻歌交じりで町田駅に向かって歩いていた。
「今日はついに9面をクリアできた! SALさん、隣で悔しそうだったなあ……」
数年後に名古屋撃ちという名前で全国区になるスペースインベーダーの裏技の原型は、この2,3週間ですっかり有名になっていた。そのせいで最近は町田のインベーダーハウスでもランキングの変動が激しい。トップ争いも状況が変わってきていて、トリプルAとSAL、T以外に、天才小学生のUMAが登場していた。
UMAは日中インベーダーハウスに来ていて、オレも一度だけ見かけたことがある。半そで短パン姿のごく普通の小学生の男の子だけど、インベーダーゲームの前で阪神タイガースの野球帽を目深にかぶり直すと雰囲気がガラッと変わる。ジョイスティックを動かすスピードとボタンを連打する指の動きがあまりに速くて、オレでもちょっとマネできないくらいだ。最初は当てずっぽうにやっていたみたいだけど、あるとき裏技に気がついてからぐんぐんスコアを上乗せできるようになったという。
とはいえ、もうすぐ夏休みも終わる。子供でしかないUMAやオレは、二学期が始まるとトリプルAやSALのように毎日インベーダーハウスに通い詰めることはできない。トップになれたのはめちゃくちゃ嬉しいけど、来られなくなるのが残念でたまらない。絶対ゼッタイ、もっとうまくなれるのに。
勉強やスポーツではいつもビリだったオレにとって、ゲームはついに見つけた唯一の希望だ。バレたらお父さんには殴られるだろうし、お母さんには呆れられるだろう。でもそんなの全然関係ない。この世界にオレがオレらしくいられる場所があることがわかったのに、親の反対くらいなんだって言うんだ。
「2学期からも原町田ゼミナールに通うんだし、週3回はここに来られるんだ。毎日できない分、ゲームの回数を倍に増やせばいい。帰りが遅くなったってバレやしないだろ」
とこれからの算段をしながら歩いていると、道端にしゃがんでタバコを吸っている大柄の男性に目が留まった。
 
「あれ? 太一さんじゃないですか?」
オレが友達の川上直樹のお兄さんである太一さんに声をかけると、俯いていた顔がふっとこちらを向いた。
「えっ! だ、大丈夫ですか!?」
オレが慌てたのも仕方ない。だって太一さんの左目の周りが大きな赤いあざになって腫れあがり、唇の横も切れて紫色になっていたんだから。
「お前、たしか直樹の友達の……?」
「はい、高藤哲治です」
「そうか、恥ずかしいところを見られちまったな……」
目をそらした太一さんのうなだれた姿を見て、オレは胸がぎゅっと締め付けられた。
「いえ、そんなこと……。あの、ケガしているじゃないですか。手当てはしたんですか?」
「してねえ」
ぶっきらぼうに言う太一さんを放っておくことはできない。
「あのちょっと待っていてください」
と言って、オレは近くのマクドナルドのトイレに駆け込んで持っていたハンカチを水で濡らした。走って戻ると太一さんはまだ同じ場所でしゃがみこんでいる。オレもしゃがんで濡れたハンカチを太一さんに手渡した。
「腫れがひどくなるといけないので、冷やしてください」
太一さんは無表情のまま、オレが差し出したハンカチを手に取り左目に当てた。オレはちょっとほっとして太一さんの隣に座り直す。太一さんの煙草の匂いと体の熱を感じて、オレは走った胸の動悸とは違う鼓動を体内に感じた。
煙草の煙をふうっと吐いて、地面に煙草を押し付けると、
「ありがとな」
と太一さんが呟いた。
オレは何を言ったらいいかわからず、黙ってこくんと頷いた。太一さんが言う。
「俺がバイトしているバーがあそこのビルの5階にあるんだけど……」
と言って太一さんが見上げる方向のビルを見つめる。派手な店の看板が上から下までずらりと並んでいるビルだ。
「美波が前に付き合っていた男が店にやって来て、あいつと別れろって迫ってきたんだよ」
相川美波さんは太一さんの彼女だ。小柄で胸が大きい美女を思い出していると太一さんが続けた。
「その男が暴走族のヘッドでさ、特攻服にリーゼントで仲間も5人揃えてきて俺を脅したんだ。それでも俺が美波とは別れないと言ったら、全員で殴り掛かってきやがって……くそっ」
ガッと拳で地面を殴ったせいで、太一さんの拳から血がにじんだ。構わずその手でもう一本煙草を取り出すと火をつけて太一さんが話し続ける。
「タイマンなら負けねえんだよ。ったく……」
ふう~っと吸い込んだ煙を吐き出し、オレをちらりと見た。
「悪い、愚痴っちゃって」
オレは両手をぶんぶん振って答えた。
「全然です! それでどうしてここにいるんですか?」
「ああ……」
また煙草を吸って吐き出してから、太一さんが答えてくれた。
「相手が6人だからって負けるわけにはいかねえ。3人ノしたんだけど、そのとき店の椅子やグラスを使ってぶん殴ったから、店がめちゃくちゃになっちまって……たった今クビになったとこ」
「うわあ……」
オレが目を白黒させて驚くと、その顔を見て太一さんがぶっと吹いた。
「高藤、驚きすぎだろっ。目ん玉が飛び出そうだぞ」
「いやいや、太一さんすごすぎますよ!」
「ハハハ、そうか?」
ゆるく笑った太一さんがまた煙草の煙を吐き出す。白い煙が空にゆっくり上っていくのを見ながら太一さんがオレに尋ねた。
「おい、お前今から帰るのか?」
「ハイ。そうです」
「じゃあ……」
と腰を上げた太一さんを見て、オレも慌てて立ち上がる。太一さんはハンカチをオレに手渡すと、にやりと笑ってポケットから出したバイクのカギをチャラチャラ振った。
「手当てしてくれたお礼だ。送ってやるよ」
 
太一さんのバイクは、国鉄原町田駅の線路沿いに止められていた。
「うわあ! かっこいいですね!」
太一さんのバイクはホンダエルシノアMT125と言う。シルバーのタンクの上に太い青線が引かれ、タンクの前についている2つの丸いメーターも同じ色でデコレーションされたすっきりとしたデザインのバイクだ。太一さんは右足でエルシノアのキックペダルを蹴りこみ、右手のハンドルをひねってエンジンの回転数を上げた。ブルンブルルルンというむき出しのエンジン音が辺りに轟く。オレはバイクのエンジン音を間近で聞いたのはこれが初めてだったけど、何よりびっくりしたのは、音が大きいだけでなく、バイクが放つ熱と振動がすさまじいところだった。
息を吹き返したエルシノアをオレがぽうっとして見つめていると、太一さんが愛おしそうにシートを撫でて言った。
「俺が小5のときにさ、2ストロークエンジンのRC335Cが全日本モトクロス・第6戦日本GPでホンダ車初の優勝をしたんだよ。そのときのドライバーの一人が吉村太一さんって言って、なんと俺と同じ名前だったんだ」
「すごい偶然ですね」
オレが驚いて言うと、太一さんがにやりと笑った。
「だろ? 16歳になってバイクを探した時もやっぱ吉村さんが乗っているバイクと同じのが欲しくなってさ。市販モデルで中免じゃなくても乗れたのが、兄弟分のこいつだったってわけ」
「じゃあ、運命の出会いってことですね」
真剣に答えたオレをまじまじと見て、太一さんが噴き出した。
「う、運命の出会いって! 高藤ってひょっとして文学少年?」
「あ、いや、そんなことはないですけど……」
真っ赤になって否定すると太一さんが大きな手でオレの頭をくしゃくしゃといじった。オレは心臓がどきんと跳ね上がるのを感じる。太一さんが続ける。
「そうかそうか。まあ文学少年だと聞いたことないかもだけど、先月やってた鈴鹿8耐って知ってるか?」
オレが首を振ると、だよな、という顔をして太一さんが説明してくれた。
「鈴鹿8耐は、7月に三重県の鈴鹿サーキットで初めて開催された2輪の耐久ロードレースなんだ。8時間の間に最も多くの周回数をこなしたチームが優勝する過酷な耐久レースなんだぜ」
「8時間も! 一人で運転するんですか?」
「いや、さすがにそれは過酷すぎる。2人1組になってレースするのさ。今回はスズキのクーリー/ボールドウィン組が194周を走破して初代覇者になったよ」
へーと感心していると太一さんが言った。
「優勝したバイクはスズキのGS1000って言うんだけど、大型バイクで排気量も全然違う。これからはでかいバイクの時代が来るよ。俺も頑張って貯金して、高3の間に大免取って大型に乗り換えるつもりなんだ」
「えっ! じゃあこのバイクはどうなるんですか?」
ちょっとショックを受けてオレが尋ねると、太一さんが答えた。
「もったいないけど、そのときは売るしかねえだろうな……」
「そんな……」
丁寧に磨き上げられたエルシノアの躯体を見て、オレはなぜだかとても寂しくなった。太一さんと一緒に走った思い出が詰まったバイクが、悲し気に体を震わしているような気がして、オレは思わず言った。
「あの……まだ先の話になりますけど、このバイク、オレに売ってもらえませんか?」
「え?」
「高校生にならないとバイトもできないので、2年以上先になっちゃうけど、オレが乗りたいです!」
太一さんの顔がぱあっと明るくなった。
「おい! ホントかよ! こいつを気に入ってくれた知り合いに乗ってもらえるんだったらサイコーだろ!! よし、高藤が高校生になるまでは手放さないでおいてやるよ」
「ありがとうございます! 必ず買い取りますから、待っていてください!」
太一さんとオレはがっちりと約束の握手をした。太一さんのハンサムな顔をじっと見つめながら、オレは太一さんに認められた気がして嬉しくてたまらなかった。
 
エンジンが温まったので、太一さんがヘルメットをオレに1つ渡してくれた。フルフェイスのヘルメットは頭を入れる入口が狭くて固い。四苦八苦していると、太一さんが上からヘルメットをぎゅっと押してくれて、オレの頭はズボッとヘルメットに収まった。ところがヘルメットの中も窮屈で、頬の肉が盛り上がって目がうまく開かない。あたふたしていると、バイクにまたがった太一さんに手招きされた。
「またがってオレの腰に手を回してしっかりつかまるんだぞ。振り落とされるからな」
こくっと頷いてリュックを背負うと、オレは恐る恐る太一さんの後ろにまたがった。そうっと腰に手を回すと、いきなり両手をぐいとつかまれて、太一さんのおなかの前で手を組まされた。
「初めて乗るんだから、できるだけ前に詰めて座って、手をしっかり組んだ方がいい。スピードは出さないようにするけど、危ないから自分でも気をつけろよ」
「はい!」
叫んで太一さんの体に自分の体を密着させる。太一さんの背中から体温がじかに伝わってきた。太一さんが言う。
「よし、出るぞ」
とたんにバイクが大きなエンジン音を立てて前に進み始めた。オレは夢中で太一さんの体にしがみつき、太ももを太一さんの脚にぴったりとくっつけた。分厚いヘルメットをしているのに、スピードが上がったことで風の音がごうごうと耳元を騒がす。ちらりと横を見ると、自転車よりもずっと速いスピードで周りの景色が後方に流れていく。夜の街の光や車のライトがビームのように飛び去って行く中、オレ達は走り続けた。

 

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