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ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー / メトロポリタン美術館
父 死す
昨日、父が息を引きとりました。
家族思いの、真面目で優しい、素敵な父親でした。
延命治療は行わないという本人の強い意思に家族も同意し、
書面にもその旨を残していたため、特別な措置は施さず、
いわゆる尊厳死に到りました。
私が病室に到着した時には、父は既に意識がなく、こちらの
呼びかけに反応することもありませんでしたが、酸素マスクを
つけて最後まで必死に呼吸する様を見て、ヒトの生きることに
対する強い意思、執念を感ぜずにはおれませんでした。
もし、今意識が戻ったら、父はやはり延命を拒むのだろうか?
との思いも頭をよぎりました。
改って考えると、延命治療も日本では禁じられている安楽死も
ヒトがヒトの寿命をコントロールする行為です。
不謹慎かもしれませんが、父は家族が負担に耐えられる頃合い
を見計らったかのように、自然に逝ってくれました。
介護士、医師の方々の献身的看病と、神の所業に深く感謝します。
そして父さん,長い間お疲れ様でした。ありがとう。