新百合ヶ丘ゆかりの偉人・狩野英孝の足跡をたどる(川崎市麻生区)
by お笑いの聖地・新百合ヶ丘の史跡を残す会
9月10日、狩野英孝の新百合ヶ丘時代の足跡をたどってみました。
もとになった情報は、以下の狩野のYouTube番組です。
日本映画大学→狩野が住んでいたマンション→狩野がかよっていたパチンコ店→狩野いきつけのラーメン屋→狩野のライブ会場
狩野が通学した新百合ヶ丘駅北口の「日本映画学校」(現・日本映画大学)を起点に、狩野の通学路をたどって狩野が住んだマンションに行き、そこから狩野がかよったパチンコ店、狩野が飯を食ったラーメン屋跡に寄って、最後は狩野が音楽ライブをやっていた新百合ヶ丘駅南口に帰着します。
ゆっくり歩いて40分ほどの行程となります。
1. 日本映画大学(旧日本映画学校)
小田急線「新百合ヶ丘」駅北口にある日本映画大学。
狩野がかよっていたのは、前身の専門学校・日本映画学校の時代です。2000年に入学し、2003年に卒業したとみられています。
日本映画学校には、ウッチャンナンチャンなどを輩出した内海桂子好江のお笑い教室がありました。2011年に4年制の日本映画大学に改組され、日本映画学校は2013年に正式に閉校となりました。
日本映画学校がお笑い芸人の登竜門となった次第については、以下の記事を参照ください。
狩野と前後して、バカリズム、アルコ&ピース、磁石、ニッチェなどが、この新百合ヶ丘の日本映画学校から巣立っていきました。
学校や新百合ヶ丘駅がある「万福寺」という地には、ウルトラマンの演出などで知られる実相寺昭雄(映画監督、東京芸大教授)が住んでいました。だから実相寺は一時期、「万福寺百合」という筆名を使っています。
「万福寺」という地名ですが、万福寺という寺はありません。これは新百合ヶ丘紹介記事でもときどき間違えられます。はるか昔に万福寺はあったのでしょうが、伝承が失われ、どこにあったかもわかりません。「万福寺」という地名だけが残っているのです。
2.万福寺大橋
学校のある北口から、狩野が住んだ南口側に行くには、小田急線の線路をわたらなければなりません。
万福寺大橋をとおるか、もう少し百合ヶ丘側にあるガードをくぐるか、2つのルートがあります。
狩野がどちらをとおったかは不明ですが、ここでは万福寺大橋をとおって南口側にわたります。
3.ギターショップ、鉄道模型店
線路に沿って百合ヶ丘駅方向に歩くと、途中にギターショップ「ブルーバード」や、鉄道模型専門店「railwaysしんゆり湘南ライン」などのユニークな商店があります。
狩野が住んでいたときに開店していたかどうか不明ですが。ギターショップには狩野も興味を覚えたのではないでしょうか。
基本的にはこのあたり、閑静な住宅街となります。
4.狩野が住んでいたマンション
狩野が住んでいた7階建てマンション「グッドフィールド百合ヶ丘」。
狩野はこの5階にある1K6畳ユニットバス付き、55000円の部屋に住んでいました。
マンション名でわかるとおり、新百合ヶ丘よりも百合ヶ丘駅に近いですが、新百合ヶ丘にも10分以内に行ける好立地です。
このあたりではひときわ立派なマンションで、20年前に1Kで55000円という賃料にも納得できます。なお、狩野は家賃を親に出してもらっていました。
5.百合丘小学校
「グッドフィールド」から少し歩くと、地名は「万福寺」から「百合丘」に変わり、すぐに「百合丘小学校」につきあたります。
百合丘小学校は、女優・モデルの岡本夏美さんの出身校です。
お笑い好きでも知られる岡本さんですが、1998年生まれですから、狩野の日本映画学校卒業と入れ替わりに、百合丘小に入学したのではないでしょうか。
6.行きつけのパチンコ店
小学校を回り込むように進むと、狩野がよくかよったパチンコ店「J-ONE」があります。
マンションから5分くらい。学校よりもはるかに近いです。
店をのぞくと、昼間からけっこうお客さんが入っていました。
狩野はパチンコの成績を聞かれ、しばらく考えたあと、「勝ってはいなかった」と答えていました。
7.百合ヶ丘駅
そして、パチンコ店のすぐ向かいに、百合ヶ丘駅があります。
もともと、「百合ヶ丘」の次の駅は「柿生」でしたが、多摩線への分岐をつくるため、そのあいだに「新百合ヶ丘」駅を作ったのでした(1974年)。
だから、新百合ヶ丘と百合ヶ丘の距離は、ごく狭いことが、歩いてみるとわかります。
百合ヶ丘駅も比較的新しい駅で、1960年の百合丘団地オープンにともない、できました。
百合ヶ丘も味わい深い街です。百合ヶ丘を探訪されたい方は、以下の記事などをご参照ください。
8.津久井道(世田谷通り)を戻る
百合ヶ丘駅をとおって線路の反対側にわたり、津久井道(世田谷通り)をとおって新百合ヶ丘に戻ります。
イトマンスイミングスクールのあたりで、線路の反対側に目をやると、狩野が住んでいた「グッドフィールド」の全容が見えます。いかに大きいかがわかるでしょう。(写真下)
新百合ヶ丘駅に近づくと、左にスポーツクラブの建物が見えてきます。(写真下)
新百合ヶ丘駅ができるまでは、小田急の線路はいまより北側にあり、このスポーツクラブがあるところを突き抜けるようにとおっていました。
新百合ヶ丘「旧線」は、鉄道マニアには有名で、ネットに多くの記事があります。鉄道好きなら、ついでに旧線跡をたどってみるのも面白いでしょう。
また、近くにTBSの緑山スタジオ、日テレの生田スタジオがある関係で、このあたりは昔からよくテレビドラマのロケ地になっています。お気に入りのドラマのロケ地になったところがあるかもしれないので、調べてみるのもいいでしょう。
9.新百合ヶ丘北口入口
ほどなく新百合ヶ丘駅への入口にいたります。
このあたりは、狩野がいたころと、いちばん変わっている場所ではないでしょうか。狩野卒業後の2007年に川崎市アートセンターができ、あわせて周辺が再開発されています。
アートセンターには、日本映画学校(日本映画大学)創設者・今村昌平監督のカンヌ国際映画祭パルムドール・トロフィーの展示があります。
10.行きつけのラーメン店?
その交差点近くにある、狩野がよく行ったというラーメン屋。ただ、現在の「一番」という名ではなかった、と狩野が言っていたので、当時と店が変わっていると思われます。
1990年代の記録映像では、このあたりに「旅路」というラーメン店があったらしく、狩野がかよったのはその店かもしれません。
狩野がかよっていたときは、ラーメンが200円で、半ライス食べ放題だったということ。
現在の「一番」のラーメンは460円のようですが、いまの水準では、やはり安いほうでしょう。
ラーメン店が重要なのは、もちろん狩野の「ラーメン、つけ麺、ぼくイケメン」のギャグがあるからです。狩野はラーメン好きで知られています。
この店でそのギャグを思いついた、とかの伝説をつくってくれれば、より「史跡」らしくなります。
11.新百合ヶ丘駅南口
そして、新百合ヶ丘駅構内をとおって、北口から南口にわたり、新百合ヶ丘駅南口、狩野が音楽ライブをやっていた場所が終点です。
「セントラルステーション」という二人組でした。その名は、歌っていたのが駅前だったから、だそうです。
オリジナル曲を歌い、ここに100人くらいの観客を集めて人気だったようです。
その向かいでは、無名時代のいきものがかりもライブをしていました。
この場所に、狩野英孝の銅像を建てるよう、当会(お笑いの聖地・新百合ヶ丘の史跡を残す会)は麻生区に圧力をかけています。
建てろ、とこのブログで訴えているだけですが。
このちょっと狭くなったところに狩野の銅像を建てて、通行人に「なんだこれ、邪魔だな」とウザがられつつ、「狩野英孝か。じゃあ仕方ない」と苦笑をさそう。
銅像の横のボタンを押すと、
「ちょっとォ、なんでこんな狭いところに銅像たてんのよ。スタッフゥ~」
という狩野の肉声が流れます。
そんな愛され方が、「勘違いナルシスト」がキャッチフレーズの狩野にふさわしいのでは、と思っております。
(写真はすべて9月10日撮影)
<参考>