【追悼】「ノーランズ」のリンダさん、亡くなる 65歳
イギリスのポップグループ「ノーランズ」のリンダさんが、亡くなった。15日にノーランズのX公式アカウントが発表しました。65歳でした。
<1/18追記>彼女は20年来、がんと戦っていたが、直接の死因は肺炎。がん治療の副作用で免疫システムが弱っていた。
ノーランズについては、この正月に書いたばかり。リンダさんのがんについても、その記事で触れていました。
「ノーランズ」学事始め 6姉妹の苦闘と栄光(2025/1/2)
虫の知らせーーというより、リンダさんのがんが脳にまで転移していることが公表された2023年から、周囲はなんとなく覚悟していたことでしょう。
心からご冥福をお祈りしたい。
ノーランズは、アイルランド出身のノーラン家の姉妹たちによるグループ。
「ダンシング・シスター」「恋のハッピー・デート」「セクシー・ミュージック」などのヒット曲で、1980年代前半のディスコ時代を席巻しました。
「ダンシング・シスター」は、日本で1980年度洋楽の売り上げ1位。また、「セクシー・ミュージック」は、かつての東京音楽祭でグランプリを受賞しました。
ダンシング・シスター(I'm in the Mood for Dancing)
ノーランズは、イギリス以外では日本でとくに人気だったので、「Big in Japan」の代表のように言われることがありました。
もともとは、貧しい芸人の家の子供たちで、彼女たちが芸能活動を始めたのも、子だくさんで苦しい家計を助けるためでした。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ一家を見て、「これなら私たちもできる」と思ったそうです。
そういう気取らない庶民性と、身についたショーマンシップが、日本でとくに愛された理由でしょう。
彼女たちは、日本での人気に応えるように、日本語で自分たちのヒット曲を歌っただけでなく、山口百恵や小泉今日子などのJ-popを英語でカバーして、日本歌謡大賞の企画賞を受賞したりしました。
のちにBBCの番組で、「私たち、インテリではないけど、日本語はしゃべれるから」と自慢(?)していました。
もともとは2人の兄も含めた8人グループで、のちに姉妹だけの6人となり、日本で人気が出る直前に次女のデニースが抜けていました。
だから、日本のわれわれに馴染みなのは、5人グループのノーランズか、その後すぐに長女のアンが産休をとった時代の、4人グループのノーランズです。
その4人グループのノーランズ時代で、とくに目立つのがブロンドの2人、4女のリンダと、5女のバーニーで、この2人がフロントでリードヴォーカルをとることが多かったと思います。どちらも、パンチのある歌声の持ち主でした。
1981年に来日し、人気はピークを迎えました。
その後、1983年に、リンダはソロ活動のためノーランズを脱退し、以後ノーランズは、1990年代まで、復帰したアンをくわえた4人体制になります。
リンダは、イギリス国内の舞台女優として活躍したあと、2005年以降の度々のノーランズ再結成に参加しました。
バーニーは2013年にがんで亡くなっており、ノーランズ姉妹で鬼籍に入ったのは、リンダが2人目です。
その2人を含めて、ノーランズ姉妹は、4人ががん闘病を公表していました。
リンダは、2005年に乳がんと診断され、2006年に片乳房切除術を受けました。
その後、回復して、元気にノーランズ再結成にも参加していましたが、2017年、リンダは倒れて病院に運ばれ、骨盤に不治の続発性乳がんの一種が発見されました。
2020年に、がんが肝臓に転移していると発表。
2023年3月27日、リンダは、がんが脳に転移しており、脳の左側に腫瘍が発見され、その結果右側の平衡感覚を失い、車椅子の使用に至ったと述べました。
リンダは生前、妹のバーニーが化学療法で苦しんだのを見ていたので、がんが末期になったら化学療法を拒否するだろうと述べていました。
重ねてご冥福をお祈りします。
The Nolans - Attention to Me (Live at the BBC, 1982)
Linda Nolan - Dancing in the Street (May 1986) BETAMAX
上の動画は、日本時間15日午前に投稿されたリンダさんのX生前最後の投稿に貼られていた。
<参考>