【Netflix】「マスクガール」ノーベル文学賞をあげたい名作
<概要>
自分の外見にコンプレックスをもつ会社員が、マスクで顔を隠してインターネットのライブ配信を開始。だが、次々と降りかかる不幸な出来事により、その人生は思わぬ方向に転がり始める。
出演:コ・ヒョンジョン、アン・ジェホン、ヨム・ヘラン
原作・制作:キム・ヨンフン
(Netflix公式サイトより)
<評価>(ネタバレなしですが、物語の構造には触れます)
美人ではないので、マスクをして生きる女。
その心情を理解できない者はいないだろう。
その設定に普遍性があり、しみじみと感動させる。このドラマは、マジでノーベル文学賞ものだと思いました。
女の運命は、「顔の美醜」によって握られている。
全7回のドラマですが、4回くらいまでの前半は、そのことへのすさまじい怒りが物語のエネルギーになっていて、文句なく引き込まれます。
女は、顔にこだわる男に怒りながら、自身も、イケメン男に魅入られて罠にはまる。その矛盾もきっちり描かれています。
後半は、少しテーマが変わって、「母性愛」のようなのが前面に出る。
それが、このドラマへの好悪を分けるかもしれません。
前半の独創性が、最後は、韓国得意の「復讐もの」に回収されたような気がしてしまう。
しかし、そうなる物語上の必然性もあると思うんですね。
真のテーマは「親子の愛」
このドラマのストーリーに欠陥があるとすれば、
「顔の整形で問題が解決するなら、なぜ最初からそうしないのか」
という疑問を許してしまうことでしょう。
まして、整形にしきいの低い韓国の話だ。
しかし、このドラマの最終的テーマは、整形で解決すること、つまり顔の美醜ではない。
前半の、
「美人に生まれなかったから、生きているのがつらい。生き地獄です」
という主題と、
後半の、
「親から見れば、子供は生きているだけでうれしい。この愛をわかってくれ」
という主題が、
物語の最中にはすれちがっているように見えるけど、
最終的に、子が親になることで、双方の見方が理解され、統一され、解決される、
というような全体構造になっている。
(顔の美醜の問題とは関係なく、たとえばススキノの「首チョンパ事件」の背景にも、そんな親子の葛藤があったのでは、とか連想しました。そして、西原理恵子と娘の件、西原と高須クリニックの関係も頭をよぎった)
無条件の愛はない
ただ、このドラマが鋭いのは、
「親から見れば、子供は生きているだけでうれしい(顔の美醜は関係ない)」
という愛の「偽善性」を、絶えず疑っているところですね。
親の愛情は、無条件のように言うけど、本当はそうではないでしょ?
と。
そこで、韓国ドラマの常套ではあるけど、「キリスト教」が素材として使われる。
このドラマの中で、「親」の側は、キリスト教徒という設定だ。
「親」は、「神」同様の、「無条件の愛(アガペー)」を持っている、と思わせたいためだ。
しかし、「子」の側から見れば、それは偽善にしか思えない。
このあたり、ちょっとイ・チャンドンの「シークレット・サンシャイン」を思い出させます。
実際、このドラマでも、「親」が「子」への愛に目覚めるのは、子を失ってから、なんですね。
子供が生きている間は、決して無条件ではない。子供にいろいろ注文や期待があり、失望もある。
そのことを、子供は絶えず感じて、傷ついている。
だから、「子」が「親」になり、双方の気持ちがわかるようになって、ドラマは一応の「解決」にいたるのだけど、本当は解決していない。
結局、人間は、「無条件の愛」が欲しくて、生涯さまようものだ。
しかし、神の世界はともかく、現実には無条件の愛は見出しがたい。
このドラマの最後の涙は、その現実に対して流される。
その涙の意味を、みんなわかるから、このドラマには普遍性があると思うんです。
余談
いずれにせよ、男にとっても、
女の子には優しくしないといけない
と身に染みてわからせてくれるドラマでした。私は気づくのが遅すぎだけれどね。
余談ですがーー。
「アマゾンプライム」で、韓国ドラマ「国民死刑投票」が始まっており、偶然ながら、「マスク」や「ネットのライブ配信」といった題材の共通性がある。
しかし、こちらは、いつものイケメンが出てくる、いつもの韓国ドラマで、「マスクガール」のあとに見ると、はなはだ陳腐に感じます。
NetflixとAmazonの「マスク」対決は、Netflixの圧勝でした。
<参考>