【Netflix】「極悪女王」好企画だが時代感覚にズレ
【概要】
極悪女王
2024 | 年齢制限:16+ | 1シーズン | ヒューマンドラマ
バブル真っただ中の80年代を舞台に、心優しき一人の少女がルール無用の極悪プロレスラーになっていく姿を描く。全国民の敵と呼ばれた最恐ヒールの知られざる物語。
出演:ゆりやんレトリィバァ、唐田えりか、剛力彩芽
予告編
【評価】
9月19日に公開。60分×5回。
第1話で、わたしが1カ月前に書いた「空き瓶盗み」を主人公たちがやっていて、笑ってしまった。
1970年代の貧乏な子たちは、みな同じことをやっていたらしい。
第1、2話が少し退屈で(田畑智子が出てくるのは驚きだったが)、見るのをやめようかと思ったが、第2話の終わりのクラッシュギャルズ誕生から面白くなる。
「松本香」が「ダンプ松本」へと覚醒するのは第3話の終わり。そこから本番のような、スロースターターのドラマだ。
「真面目にプロレスをやりたい」ジャガー横田やライオネル飛鳥たちと、「客を呼べるギミック」に頼る運営会社との軋轢を軸に、ダンプ松本が予定調和を壊すジョーカーとして登場する。
実話的というより漫画的。有名女子プロレスラーのキャラクターを使ったフィクションで、よく考えられた企画だと思う。虚実皮膜の昭和プロレスを、今風の「少女戦記」にうまくアレンジしている。
女子プロレスラー役の役者さんたちの熱演には心を打たれたし、全体として面白かったんだけど、満足度はいまひとつだった。100点満点で65点くらい。
その理由を考えてみたんだけど・・
ダンプ松本とは同世代だ。
不満を言えば、同世代として、時代の描き方にもう少しリアリティが欲しかった。あの時代を描いているように思えなかったのだ。
「昭和」を表現しようと、レスラー以外の登場人物はみな一生懸命にタバコを吸っているが、それだけではあの時代は蘇らない。
あの時代ならではの、あの時代の「あるある」が、わたしのような年寄り視聴者にはもっと欲しかった。冒頭の「瓶盗み」以外では、あまり懐かしさにひたれなかった。
たとえば「ていうかー」みたいな言葉遣いとか、女の子たちが今風なのだ。
「ミゼットプロレス」と看板にはあるが、それ自体は出てこない、みたいな部分は、仕方ないのかしれないが、もどかしさがあった。匂わせるだけで、時代そのものが出てこない。
その分、流血が多めだったが・・
1960年代型の貧困家庭の親父と、70年代型のツッパリ・ヤンキーが、80年代半ばのダンプ松本の試合を、50年代の街頭テレビを見るごとく一緒に見る絵とか。
現実にありえないわけではないが、いろいろ引っかかる。いわゆる時代錯誤的に感じる。その都度、都合のいい「面白い」イメージを引っぱってきているだけのようで。
真田広之のいうオーセンティシティに欠けてませんか、と。
Netflixの広告文には「バブル真っただ中の80年代を背景に」とあるが、実際にはこの物語の舞台は、その少し手前の昭和末期のはずだ。
われわれがバブル最盛期として記憶しているのは、ダンプ松本が1988年に引退した少し後(ジュリアナ東京の開業が1991年)である。
むしろ、バブルが押し除けた「昭和」が、女子プロレスだった、という印象だ。
そのあたりの時代認識に、ズレを感じる。
昭和の女子プロレス興行という、失われた一つの文化への、愛惜の念みたいなのが、もっと欲しかったのかもしれない。過去だか現在だかわからない映像にフラストレーションを感じた。
まさに自分たちが生きた時代のことだから、注文が厳しくなるのよね・・
<参考>