見出し画像

百田尚樹は「第二の青島幸男」になる 口だけはうまい放送作家、権力を握った「小独裁者」の行き着く先はーー 

「自民党サンてのは、あれは政党ではない。政治家の集団ではないです。あの人たちは泥棒と利権屋の集まりです。国の行く末のことなんて少しも考えていないですよ。自分の選挙区でいくら票が集まるか、自分の子分にいくら金が流せるか、いつまでいい顔ができるか、誰におべっかを使って、どこの会社とどこの会社をどう結びつければいくら金になるかとか、そういうことしか考えてないんですよ。そうとう偉い人がいっぱいいるんだろうと思って、国会に行って顔を眺めてみたら、みんな偉そうな顔をしている。でも顔はそうでも、腹ん中は腐ってるんだってことが、はっきりわかりました」


歯切れのいい自民党批判。

いま、日本保守党の百田尚樹代表が、選挙カーから演説しても、おかしくない内容だと思う。

しかしこれは、いまから約50年前、1975(昭和50)年に、いまはなき新宿コマ劇場で開かれたイベントで、聴衆を沸かせた青島幸男の演説だ。

JJC(日本ジャーナリストクラブ)発足を記念したイベントだった。イベントのディレクターは、当時、東京12チャンネル(現テレビ東京)の社員だった田原総一朗。司会は中山千夏。客席は超満員の盛況で、戸井十月や椎名誠などが会場警備に当たった。(矢崎泰久『変節の人』より)


50年前、放送作家出身の青島幸男らは、自民党の腐敗を正すため、革新自由連合(革自連)を立ち上げて選挙に臨んだ。

当時も自民党の「金権腐敗」「政治とカネ」が問題視され(要するに、半世紀以上、日本の政治は、ずーっと同じ出し物をやっているのです)、保革が伯仲する政局が生じ、タレント候補が多く生まれた時代だ。


いま、同じ放送作家出身の百田尚樹が、やはり自民党の腐敗堕落を正すという名目で、日本保守党を立ち上げて選挙に臨んでいる。


日本保守党の事務局長(事務総長)は、編集者・ジャーナリストの有本香だが、革自連の実質的事務局長も、編集者・ジャーナリストの矢崎泰久だった。


革自連はその名のとおり「左」であり、保守党はその名のとおり「右」だ。

しかし、自民党へのカウンターとしての立ち位置は同じ。

そして何より、中心人物の青島幸男と百田尚樹のパーソナリティーが、酷似しているのである。


日本保守党は、今度の選挙で、国会に議席を得られると予想されている。

参院でなんとか3議席ほどだった革自連より、衆院で多くの議席を取りそうだ。

比例名簿3位の百田代表自身が、議席を得られるかは微妙だが、いずれにせよ政党の代表として、「政治家」としての権力を持つことになる。


余談だが、50年前の参院選全国区は、投票用紙に「個人名」を書けばよかったので、有名人に有利だった。

それで、タレント候補ばかりが当選し、与党は焦って「政党名」を書かせる比例名簿制に選挙制度を変えた。(供託金の額も上げた)

今朝、たまたま與那覇潤さんがnoteで、「政党か、人物か」という選挙制度の変遷を考察していた。「政党名」と「個人名」、どちらを投票用紙に書かせるのがいいのか、改めて考えてみてもいいかもしれない。



それはともかく、百田尚樹が政治家になれば、かつての青島幸男のようになるだろう。

この予測に、私はかなりの自信がある。


私は1年前、日本保守党の立ち上げ時に、すでに「百田尚樹は『右の青島幸男』か」というのを書いた。


いよいよ日本保守党が議席を取るということなので、改めて、少し詳しく論じておきたい。


もう一度、「百田尚樹=青島幸男」論を書きたくなったのは、このところネットをヒートアップさせている、飯山陽とのバトルで、また青島幸男を思い出したからでもある。

青島幸男も、かつて政治的同志だった中山千夏を、後になっていじめた。それに似ているのである。


百田尚樹VS飯山陽では、どちらかというと私は飯山の肩を持っている。

だからといって、百田憎しでこれを書いているのではない。

有権者の票を背負い、どうせ税金が投じられるなら、百田尚樹にも日本保守党にも、国民の役に立つように頑張ってほしい。

青島幸男と革自連のようにはなってほしくない、という逆の期待を込めてのことです。



青島幸男(1932-2006)は、あんまり忘れられすぎて、百田は「右の青島」とか「第二の青島」とか、いくら私が言っても、みんなピンとこないことはわかっている。

青島幸男は参院議員を5期務め、東京都知事だったのは平成になってからだから、それほど大昔というわけでもないのだが、ほぼまったく話題にのぼらなくなった。

なんの政治的実績もなかったからである。


いまのマスコミの中に、革自連あたりのことを詳しく知っている人は、政治部にもいないと思う。だいたいその世代は、私と同じくらいに退職しているから。

だから、青島幸男と百田尚樹の相似に気づく人も少ない。


でも、年配の人は、「そういえば」と思い出す人はいると思う。

私など、ネットで百田尚樹の「暴言」「憎まれ口」を聞くたびに、青島の「意地悪ばあさん」を思い出す。

青島幸男の方が、もう少し愛嬌があったとしても、口ぶりやキャラ、「芸風」が似ている。


青島幸男


百田尚樹氏(百田尚樹チャンネルより)


たぶん、正しいことを言うとか、論理的に主張するより、「テレビ的に面白くする」ことを優先する。その感覚が共通しているのだろう。

ちなみに、青島幸男も、がん闘病を公表しての政治活動だった。


前述のとおり、いまの「飯山陽いじめ」も、かつて青島幸男がやった「中山千夏いじめ」によく似ている。

ここで私が書くことは、矢崎泰久(元「話の特集」編集長)が、革自連の内幕を書いた『変節の人 かつての同志が告発する青島幸男の正体』に依拠している。

矢崎泰久『変節の人』(1997、飛鳥新社)


有本さんも、同じ目に遭わないように、この本を読んでおいた方がいいと思う。


青島と中山千夏は、政治的同志だった。

だが、中山は、自分がマスコミで目立ち始めると、いつしか青島が自分を、

「ノボセあがって、小生意気な女が」

と思っているらしいことを知る。

青島は、公然とは中山の悪口を言わなかったが、虚偽情報を巧妙に周囲に漏らして、中山の評判を落としていることを後で知るのである。

「中山千夏と矢崎泰久は、男女の関係だ、なんて噂がたつと、困るねえー」

などと、さりげなく周囲に言うのである。それで、週刊誌ネタになった。

当然、青島と中山は、袂をわかつことになる。


結局、青島幸男に政治家としての実績がない原因は、「仲間を作れなかった」ことに尽きる。

仲間を作り、仲間を増やし、その勢力を広げていくことが政治活動の要だろう。つねにお山の大将になりたがる青島には、その政治の基本ができなかった。

百田尚樹の場合、その欠陥が、もう飯山陽との軋轢に表れてしまっている。

LGBT法を廃止する? どうやって? 国会議員の仲間を増やさないとできない。百田にそれができるとは思えない。


青島幸男の「政治的実績」といえば、佐藤栄作に「財界の男メカケ」と暴言を吐いて問題になった、ことぐらいだろうか。

それも、いまでは忘れられているだろう。

百田尚樹にも、同程度の暴言は期待できる。でも、それ以上、何もできないだろう。


中山千夏は、青島幸男が何か成功した時、

「カッコイーイ。どうだい、オレは偉いね」

と無邪気に口に出して喜んだのを聞いている。


青島は、国会議員になり、直木賞作家になり、東京都知事になり、その度に、

「どうだい、オレは偉いね」

と内心の満足を覚えたのだろう。

自分が満足すればいいので、それ以上のことをやろうとは思っていない。


直木賞については、こんなエピソードがある。

青島幸男は、野坂昭如と友人だったが、こんなことを言っていた。

「野坂にはかなわない。なにしろ直木賞を取ったんだから。しかし、野坂はオレに参ってるんだ。オレは議員バッジをつけてっから」
(『変節の人』p116)


後に、青島幸男は、直木賞も取る。

それで、

「これで野坂に勝った」

と思ったのだろうか。


百田尚樹も、作家として文学賞に縁がなかったことを恨み、「議員バッジ」で見返してやろう、と思っている部分が、少しはあるかもしれない。


青島幸男は、冒頭に引用した演説から期待されるような、既成政治への強烈なアンチになるかと思われた。

しかし、当選したら、さっそく永田町の悪習に染まってしまった。

他党をサン付けで呼び、政治家どうし「センセイ」で呼び合う習慣を、なんの抵抗もなく受け入れていたことに、かつての仲間は驚いた。


百田尚樹も、有本香も、いまは「自民党の石破が」とか言ってるが、当選したとたん、

「自民党サンの石破センセイが・・」

と言うようになる。


青島幸男は、会議が嫌い。

目立つところで演説するのは好きだが、目立たない地方遊説は嫌い。

厄介な場面になると逃げ出す。「オレはいつでも逃げるから」と公言し、そのとおり実行した。

自分に意見する奴が嫌いだから、まともなブレーンはいない。

人望がないから、人と人の調整ができない。

そもそも、話し合いができない。


それらは、百田氏にも、共通するところだろう。

それで、どうやって政治をやるの?

できるわけがない。それは自分でもよくわかってるはずです。


官僚に対抗できるだけの見識や信念があるわけではない。

結局は、青島のように、官僚にセンセイと持ち上がられ、役人にいいように操作されるだけの政治家になるだろう。


百田氏としては、自分は向かなくても、有本氏がやってくれる、と思っているかもしれない。(矢崎泰久が政治家になることを嫌った青島とは、そこがちがう)

しかし、有本香も人望があるとは思えない。(だけど「黒幕」はやりたがりそう)。


話がまとまらなくなったので、以下、『変節の人』に収録されている、「かつて青島幸男に期待したが裏切られた人たち」の声を引用して、終わりたい。

繰り返しになりますが、こんなふうにならないでほしい、という願いを込めてーー


中山千夏の青島評

あなたが類まれなる無責任な人間だということを、知らないわけではなかった。落語の若旦那そのままに、大将面をすることは大好きでも、リーダーシップを取る実力はなく、他人の面倒を引き受ける気概もないことはよく知っていた。

選挙前から浴びせられた「一時的な文化人の遊び」という非難をはねかえす責任を感じる人々は革自連にとどまった。あなたはといえば、選挙が終わると急速に活動への熱を失ったようだった。「会議ってのが、向かないんだよ」と言いながら、積極的に活動する姿勢はまったくなかった。

ろくろく議論もせず、自分の思いどおりに事が進まないと、突然、姿を隠してしまう。

驚くべき演説のうまさに反比例するように、あなたは話し合いがヘタだ。それを自覚されているからこそ、あなたは会議がお嫌いなのだろう。

あなたがおっしゃった言葉がしみじみとよみがえる。

「アンタは運動家なんだな。オレは孤独な冒険者だからなあ」

こうしたありようは、あなたとの対話や議論をしたことのある人にとっては、すぐに察しがつくことだろう。


永六輔の青島評

本質的には何もしないのが好きなんだから、丸めこまれても、それを理由に怠けてしまう。もう手も足も出ないから、駄々をこねたり、ヒステリックになったりする。

だいたい、あの人、ブレーンがいないでしょ。言うことを聞く人しか周りにいない。


井上ひさしの青島評

気のいい、目立ちたがり屋の若旦那とでもいうのか。いろいろ言うことに気がきいていて、新しいことには敏感で、目先がきいて、いつだって賑やかで、「あの人がいないと寂しい」という若旦那が落語に出てくるでしょう。そういう才能は抜群のものがありますね。しかし政治家、公人としての青島さんにはいろいろ厄介なことがあるらしい。そこを区別できなかったのは、私に見る目がなかったわけで、深く反省しています。



<参考>


いいなと思ったら応援しよう!