「ノーランズ」学事始め 6姉妹の苦闘と栄光
年末から、「ノーランズ」のことを調べています。
「ダンシング・シスター I'm in the Mood for Dancing」(1979年)が代表曲の、あのノーランズです。
日本語で歌われた「ダンシング・シスター」(1983年にリンダがソロ活動のために抜けた直後の映像)
このアイルランド出身の姉妹グループは、日本でとくに愛されました。日本のテイチク・レコードと契約し、独自のプロモーションが大成功します。
「ダンシング・シスター」は、イギリスでも大ヒットしたとはいえ、日本はそれを上回る大ヒットで、1980年度の洋楽1位になりました。
続くシングル「恋のハッピー・デート Gotta Pull Myself Together」(1980)も、日本での方がヒットしました。アルバム「恋のハッピー・デート」も日本で1位となり、オリコンの洋楽では初めてシングル、LP、カセットの三冠王を記録しました。
日本で次の大ヒットになった「セクシー・ミュージック Sexy Music」(1981)は、日本以外ではシングルカットされませんでした(その代わり、イギリスでは、日本でシングルカットされなかった「Attention to Me」がヒット)。同曲は第10回東京音楽祭世界大会グランプリを受賞します。
1981年の来日時には、日本でのアイドル的な人気に、本人たちが驚いたといいます。
1981年、ノーランズ来日時の映像↓ ちょうど最初の漫才ブームの最中で、ザ・ぼんちと共演している。都庁が建つ前の西新宿などが懐かしい
ノーランズは、アメリカではほとんど知られていません。
それゆえ、「日本で(だけ)大物 Big in Japan」アーティストの代表に挙げられることがあります。
アイルランドの音楽グループ、ザ・ノーランズは、北米ではほとんど無名だったが、日本では1,200万枚以上のレコードを売り上げ、ビートルズ、マイケル・ジャクソン、アデル、エド・シーランの合計を上回った。彼女らはまた、すべてのリリースが日本国内で1位を獲得した初の国際的アーティストとなり、また日本の国内チャートと海外チャートの両方で初の1位を獲得したアーティストとなった。
Irish musical group The Nolans, who were virtually unknown in North America, sold over 12 million records in Japan, outselling The Beatles, Michael Jackson, Adele, and Ed Sheeran combined. They also became the first international act to have all of their releases hit No. 1 in the country, as well as the first to hit No. 1 on both the Japanese domestic and international charts.
英語版Wiki「Big in Japan」
ノーランズは、少なくとも本国イギリスでは有名で、そのメンバーたちはいまだにセレブとして活躍していますから、「日本だけ」ではないですが、日本でとくに売れたのは確かです。
その後、1991年には、ノーランズは、山口百恵や小泉今日子、プリンセス・プリンセスなどJ-pop曲を「逆カバー」して、日本レコード大賞の企画賞を受賞しました。
ノーランズが歌う「プレイバックPart2」
1980年には、石野真子が「恋のハッピーデート」をカバーしてヒットし、1990年にはWinkが「セクシー・ミュージック」をカバーしてオリコンの1位になりました。
いまだ評価が定まらない
以上のことを考えると、ノーランズは日本の歌謡界の一員だったと言ってもいいと思いますが、90年代以降は来日公演もなく、その後の情報もあまり届いていません。
「あの人は今」的企画で取り上げられることはありますが、すでに当時のことが忘れられて、間違って語られることがあります。
たとえば、以下の動画は、35万以上の視聴回数の人気ですがーー
ノーランズ80S'を席巻した歌姫たちの現在に一同驚愕!成功の裏に隠された家族の壮絶な関係に涙が止まらない...バーニーが!?
動画の最初でいきなり、
昭和も末期の80年代
バブル景気で沸く日本において
大ヒット曲のダンシングシスターなどとても華やかなキャンディーポップというジャンルで音楽界を席巻
ーーというナレーションが流れます。
ノーランズが日本で人気絶頂だった1981年(昭和56年)は、昭和末期ではありませんし、バブル景気にも沸いていません。
バブルは、1985年のプラザ合意以降の事象です。まあ、若い人によくある勘違いです。
(あと、この動画は、バーニーとリンダの顔を取り違えています)
ノーランズのキーワードとしては、「バブル」よりも「ディスコ」でしょう。
ノーランズは、本来ラウンジ音楽的なクラブ歌手でしたが、「ディスコ」の流行に乗ってブレイクしたのでした。
そして、ディスコというと、「ジュリアナ」のようなバブルの象徴と結びつくので、ついバブル期のことだと誤解するのでしょう。
でも、1970年代後半から流行したディスコは、最初は安い大衆娯楽でした(それゆえブームになった)。
それが、のちにバブルになって、ドレスコードがあるような高級な場所になったのです。
私は、当時、学生だったので、「安いディスコ」が「高級ディスコ」になり、「クラブ」に変わっていく風俗を経験していました。
私にとって、ノーランズは、ディスコが大衆的な場所だった時代の記憶と結びついています。
まあ、青春の思い出ですね。
それに、ノーランズのメンバーがのちに振り返っていますが、当時はノーランズのようなディスコミュージックは、バカにされているところがありました。
とくにイギリスでは、セックスピストルズのようなパンクロックが流行った時代です。「ロック派」からは、ノーランズのような音楽は、反吐が出るような産業音楽だと思われたのです。
そういう意味では、ABBAなんかとも似ています。
そんな、いろいろなことがあって、ノーランズの評価は、いまだに定まっていないところがあります。
ノーランズのファンは今もたくさんいると思いますが、音楽評論として、真面目に語られていないというか。
そういう対象が、ポップ派の私には、いちばん愛おしいのですね。
そして重要なのは、「ノーランズ」は、まだ生きているということです。
メンバーたちは、日本でのブレイク後40年以上がたち、日本で忘れられた後も活動を続けており、それが同世代としては、興味深いのですね。
老人の生き方としても。
彼女たちも晩年が近くなり、それぞれがメディアやSNSで、当時のことを振り返ったり、今だから言える的なことを言ったり、「ノーランズ学」の資料は増える一方なのです。
6姉妹の顔
ここでは、ノーランズ学の事始めとして、初歩から始めたい。
まずメンバーの顔を覚えること。
私も、まだこの段階です。
というのも、女性の顔は、加齢によって、またはメイクによって、ずいぶん変わるものですから。
ノーランズの6姉妹は、もともと生物学的に似ているから、顔や声で見分けるのがけっこう大変です。
とくに、同じブロンドで、声質も似ているバーニーとリンダは、時にどっちがどっちかわからなくなる・・
姉妹たちの現在
アン
Anne(長女 1950年11月12日生まれ 74歳)
アンは、2000年に乳がんと診断され、いったん克服したと発表されましたが、2020年に再び乳がんのステージ3と発表され、2022年に再び克服したと発表されています。
2021年に、やはりがんに罹患した妹のリンダと、がん診断への対処についての本「Stronger Together」を出版しました。
それに先立つ2008年に自伝「アンの歌」を出版。11歳から16歳まで、父親から性的虐待を受けていたことを告白しました。
また、ノーランズの音楽活動に対し、十分な報酬が支払われなかった、と述べています。
2012年にソロアルバム「Just One Voice」をリリース。
アンは、2009年のノーランズ再結成には参加しませんでしたが、2020年の再結成には参加しました(2022年に解散)。
2024年、新しい自伝「New Beginnings」が発売されています。
デニース
Denise(次女 1952年4月6日生まれ 72歳)
デニースは1978年、ノーランズがブレイクする直前に、ソロ活動のためにグループを脱退し、イギリス国内の舞台、ミュージカルの歌手として活躍しました。
だが、2020年、ノーランズ再結成の時に、42年ぶりにグループに参加しました。
2022年、デニースは、初のソロアルバム「フォー・ユー・マイ・ラブ」を発表。アメリカのスタンダート曲を歌ったもの。
さらに今年(2024年)、50年近く付き合った恋人と、72歳でついに結婚して話題になりました。
モーリーン
Maureen (三女 1954年6月14日生まれ 70歳)
おそらくノーランズにずっと留まり続けている唯一の人。
この人についての情報は少ないのだけど、なにげに姉妹のカナメになっていたのはこの人ではないかと思っています。
振り付けも彼女の担当だったよう。
姉妹が病気などで抜けると、彼女がその穴埋め役になる。
テレビで美容整形(フェイスリフト)をすることを宣言し、成功例となったことでも有名らしい。
ソロでもイギリス国内の舞台に立っています。
リンダ
Linda (四女 1959年2月23日生まれ 65歳)
リンダは、グループ脱退後、イギリス国内の舞台やテレビで活躍。
ノーランズ脱退後、きわどい宣材写真を撮ったため、「ノーランズのいたずら娘」と呼ばれました。
2005年、リンダは乳がんと診断され、2006年に片乳房切除術を受けました。
彼女は、2011年に、がんから完全に回復したと診断されました。
2007年に、彼女は腕に蜂窩織炎とリンパ浮腫を患っていると診断されました。
リンダは、1979年にブライアン・ハドソンと出会い、1981年に結婚。彼は、1983年までノーラン家のツアーマネージャーを務め、リンダがグループを脱退した後は、彼女のマネージャーとなりました。 2007年9月21日に彼が肝不全で亡くなるまで、二人は26年間結婚生活を続けました。
2017年、リンダは倒れて病院に運ばれ、骨盤に不治の続発性乳がんの一種が発見されました。彼女はがんが転移しないように定期的に放射線療法を受け始めたが、妹のバーニーが化学療法で苦しんだのを見ていたので、がんが末期になったら化学療法を拒否するだろうと述べています。
2020年にリンダはがんが肝臓に転移していると発表。
2023年3月27日、リンダは、がんが脳に転移しており、脳の左側に腫瘍が発見され、その結果右側の平衡感覚を失い、車椅子の使用に至ったと述べました。彼女は脳腫瘍を治療するために実験薬トゥカチニブを処方され、続いてエンヘルツが処方されました。
バーニー
Bernie Nolan Bernadette Therese Nolan (五女 1960年10月17日ー2013年7月4日 享年52歳)
「ダンシング・シスター」などでリード・ヴォーカルを担当したバーニーは、女優になるため、1995年にグループを脱退、テレビドラマやミュージカルで活躍しました。
2004年にはシングル「Macushla」が全英38位、2005年に初のソロアルバム「オール・バイ・マイセルフ」をリリースしました。
バーニーは1996年にドラマーのスティーブ・ドニーシーと結婚しました。1998年に娘ケイトを出産したが死産であり、1999年にはもう一人の娘エリンを出産しました。
2010年、バーニーは、乳がんを患っていることを発表。化学療法と乳房切除術を受け、ハーセプチンを服用しているため癌はなくなったと述べました。 また、2012年にはがん治療薬の服用をやめ、がんが完全になくなったと発表しました。
しかし2012年末にがんが再発し、脳、肺、肝臓、骨に転移していると発表されました。
バーニーは、2013年7月4日、サリー州の自宅で、睡眠中に52歳で死去しました。
彼女の遺灰は、死産した娘の遺灰と一緒に埋葬されました。
コリーン
Coleen (六女 1965年3月12日生まれ 59歳)
コリーンは、子育てに専念するため、1994年にグループを脱退しました。
その後、テレビタレント、女優、作家として活躍中です。
コリーンは、1990年にシェーン・リッチーと結婚し、2人の息子をもうけたが、1997年に別居、1999年に離婚しました。
彼女は2001年に娘を出産し、2005年の彼女40歳の誕生日にプロポーズされ、長年の恋人であったミュージシャン、レイ・フェンサムと婚約し、2007年11月に結婚した。
が、2018年に離婚しました。
コリーンは、たびたび「過激」な言動で議論を呼んでいます。2005年にはテレビで、16歳の息子が試験に合格したらオランダへの「セックス旅行」の費用を出す、と発言。2007年には「同性愛者に養子縁組を許可すべきではない」と発言して物議をかもした、など。
2023年、コリーンは、皮膚がんの一種である基底細胞がんと診断されたと発表しました。
2020年、再結成時の「ダンシング・シスター I'm in the Mood for Dancing」↓ アン、モーリーン、リンダ、コリーンの4人で、コリーンがリード・ヴォーカル
*以下の動画、ならびに英文Wikiの記述を参照しました
ノーランズが日本で日本語を覚えたことを振り返る動画↓ 「日本の人は私たちをカワイイ、cuteだって言っていた。彼ら、目が見えないんじゃないかしら(笑)」と冗談を言っている。
<参考>
バブル時代とオウム真理教をモデルにした小説です↓