狩野英孝が語る「新百合ヶ丘時代」
もう3カ月前の投稿だが気づかなかった。(きのう気づいた)
狩野英孝が、自身のYouTubeチャンネルで「新百合ヶ丘時代」を語っていた。
狩野は、グーグルのストリートビューで新百合ヶ丘(川崎市麻生区)を「訪問」し、日本映画学校時代を回想している。
エイコー青春を過ごした街へ(狩野英孝公式チャンネルEIKO!GO!!)
小田急線「新百合ヶ丘」駅前にあった日本映画学校は、かつてお笑い芸人の登竜門で、ここからバカリズム、狩野英孝、アルコ&ピースの平子祐希、ニッチェなどが巣立った。
新百合ヶ丘は、私が住む柿生の隣の駅。
もう忘れられつつあるその歴史を、私は以前、noteに書いた。
狩野英孝が日本映画学校に在籍したのは2000~2003年。いまから20年前である。
専門学校だった日本映画学校は、2011年に4年制の「日本映画大学」に改組された。
それとともに、新百合ヶ丘とお笑い界とのつながりも切れてしまった。
この狩野のYouTube番組で、私が新たに知ったのは以下のことだ。
・狩野が住んでいたのは、麻生区万福寺2丁目9-2の「グッドフィールド百合ヶ丘」というマンション。小田急線沿いで、新百合ヶ丘駅と百合ヶ丘駅の中間あたり。映画学校までは歩8分の距離
・その5階の1K6畳ユニットバス付きの部屋。家賃55000円は親に出してもらっていた
・アンタッチャブルの柴田英嗣も日本映画学校を受験したが落ちた
・磁石(佐々木優介、永沢たかし)の2人も新百合ヶ丘の映画学校で出会ったが、卒業しなかった
・狩野は、新百合ヶ丘駅南口を出てすぐ、京町屋エスカレーター脇で音楽ライブをしていた
・狩野のバンドは、「セントラルステーション」という名の2人組で、歌っていたのはオリジナル曲。100人くらいの客を集めた
・同じころ、南口のOPA前で、いきものがかりがライブをやっていた
・狩野は、新百合ヶ丘北口のラーメン屋(現「一番」)で200円のラーメンをよく食べていた
(そのラーメン屋は、1992年の新百合ヶ丘駅周辺を映した動画に出てくる「旅路」かもしれない)
・百合ヶ丘の居酒屋「かたりべ」、パチンコ店「J-ONE」によくかよっていた(「かたりべ」はもうないようだ)
番組の最後で、狩野が、
「また新百合ヶ丘に行きたい。ライブをやったらどれくらい集まるかな」
と言っていたから、ぜひ麻生区は狩野を招聘して、新百合ヶ丘駅前でライブ(音楽+お笑い)を開催してほしい。
「お笑いの聖地『新百合ヶ丘』の史跡を残す会」会長の私としては、今後、「新百合ヶ丘で狩野英孝の足跡をたどる」企画なども発表していきたい。
<参考>
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