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私が死んだ後の世界
私が死んだ後、世界はどうなっているか。
どうなっていくのか。
そんなことを、最近考える。
そんなことを考える年齢になった、ということだ。
でも、自分が死んだ後の世界を想像するのは、原理的に不可能だ、とこのあいだ気づいた。
自分が知っている世界は、自分が生きている、自分が参加している、この世界だけだ。
生きている自分の視点から見た、この世界しか知らない。
私が死んだら、私の視点もなくなる。
私が参加していない、私の視点がない世界がどのようであるか、私には想像しようがない。
いや、自分が死んだ後の世界も想像できる、
という人は、無意識的に、自分が死んだ後でも、自分の視点が残っている、と思っている。
つまり、自分が死んだ後でも、自分が生きて、まだ世界の中にいるように想像している。
それは矛盾だ。
仮に、それで未来の世界が想像できたとしても、その未来は、現実の世界ではない。
SF映画やドラマの中で描かれる未来は、その都度、登場人物たちの視点に自己投影して世界を見ているだけで、自分の視点からの、自分の知っている世界の未来ではない。
それは、過去についても同様だ。自分がいない世界のことは、自分には想像できないのだ。
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しかし、自分の子供がいる人は、少し違うのかも知れない、とも思う。
子供がいる人は、その子供の視点で、未来の世界を想像できるのかも知れない。
なぜなら、その子供の世界には、自分も「参加」しているから。
私は子供がいないから、わからないが。
未来を想像できた方が、未来に対して責任を持った生き方ができるだろう。
子供を作る意味というのは、そういうところにもあるかも知れない。
逆に言えば、子供を作らない人が増えたら、未来に責任を持たない人が増えるのかも知れない。
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こんなふうに考えが向くのは、衆議院が解散して、引退する政治家をたくさん見たからだと思う。
たんに消えていく人もいれば、後継者を指名したり、地盤を子息に譲る人もいる。
世襲を悪いことのように言う人が多いが、子供を後継者にすることで、より現在にも未来にも責任を持った行動をする、というメリットがあるかも知れない。
政治家に限らず、事業でも、「家業」として存続させた方が、社会に対して責任ある行動を取らせられるかも知れない。
サラリーマン企業家では、その都度の株価しか考えない、無責任な経営になる、とはよく言われることだろう。
世襲が身分を固定化させると言うのなら、身分社会こそ、社会の成員たちが未来に対して責任を持つ体制だったのかも知れない。
身分社会を壊したのは、資本主義だった。
資本主義は、イノベーションや冒険主義を称揚することで、世界の未来を不確かにする効果があるようだ。
そもそも生殖によって世代を引き継ぐ「世襲」が、生物の基本であって、それは本来、保守的なものである。
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話が逸れてしまったがーーたぶん脳が衰え始めているーーたとえば日本保守党の有本香さんには子供がいない。
彼女が老年近くなって、政党を立ち上げたのは、それを子供の代わりにして、未来に「参加」したかったのではないか、と。
その気持ちがわかるのは、子供もおらず、彼女のように政治参加もしない私は、未来に関心を持とうとして持てず、世の中のことが、だんだんどうでもよくなってきつつあるーー
これでいいのか、と思うからだ・・