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私の人生「幸福を感じた瞬間」ベスト3

一昨日、柿生の「いくどん」で超久しぶりに焼肉を食べながら、「幸せだなあ」と感じていたわけ。

それで、ビールの酔いが回るほどに、

「オレの人生で、幸せな時は何度あったのだろう。どれが、いちばんの幸せだったのだろう」

と考え始めていた。

ひとり焼肉だから、話し相手もいないしね。頭のなかで、自問自答してた。


で、店を出る頃には、

オレの人生の「幸福な瞬間ベスト3」

を選出することができた。


もちろん、「SO FAR(今のところ)」ということだけど。

でも、もういつ死ぬかもわからない歳なので、とりあえず、そのベスト3を記しておこう。

心理学的事実として、幸せな記憶というのは、不幸な記憶よりも早く忘れられる(ほうっておくと、不幸な記憶ばかりが蓄積する)。幸福な瞬間を覚えておく努力も必要です。

誰も関心はないだろうが、いちおう、これはオレの「日記」だからね。


もったいつけるのは嫌いだから、いきなり1位から。


第1位 ひとり上京して「オレは自由だ!」と感じた時(20歳頃)


大学に合格して、ひとり上京して、大学に通いはじめた頃だな。

大学の前にある交差点をわたっていて、強烈な幸福感を感じた。

「オレは自由だ!」

と。

はじめて、自分を監視する家族から離れ、自分を知る者がいない見知らぬ場所で、何をやるのも自由なんだ、という喜びね。

いま、この交差点上から、右に行こうが左に行こうが、北に行こうが南に行こうが、自由なんだ、と実感した。あの瞬間の喜びは忘れがたい。


「そうだ、大学に行かなくてもいいんだ」

と思って、大学近くの雀荘でマージャンばかりやってたのは失敗だったけどね。

でも、あの時の「自由」の感覚が、やっぱり振り返っていちばん強烈で、幸福だった。今のところ、わが人生の幸福の絶頂だったと言ってよい。


第2位 今日はセクースできる、とワクワクしながら恋人と待ち合わせしている時(上と同じ頃)


はじめて恋人ができて、セクースできる幸せね。

セクースそのものは、快感だけど忙しかった。

「幸福度の高い活動」調査では、セクースが圧勝、というのが最近出てたけど。


でも、あれを「幸福体験」に入れると、初めて精通した時、初めて夢精した時、とかも入れなきゃならなくなる。アレは幸福感とは別物とします。


それよりも、今日はセクースできる、という期待感ーーそれが、ワクワクする幸福感を呼ぶ。

まあ、コリン・ウィルソンがよく書いていた、「クリスマスを前にしたワクワク感」を、もっと強烈にした感じだ。「クリスマス」が子供版だとしたら、その大人版だな。少なくとも、当初のワクワク感は、ね。

なお、私は恋人はいたけど、結婚はせず、子供もいないので、

「結婚した幸福」

「子供ができた幸福」

「孫ができた幸福」

いずれも縁がない。


第3位 職場長に出世して「とりあえず上司の目を気にしなくてよくなった」と満足した時(50歳頃)


まあ、これは、サラリーマンとしての幸福感な。

やっぱりサラリーマンは、つねに上司の目が気になっている。

とりあえず職場の長になって、上司に断らなくても、自由に行動できる。

職場という狭い世界だけど、自分がトップになったという喜びがあった。

オレの場合、それ以上は出世しないだろうと思っていたから、まあ、サラリーマンとしての達成感を感じた。やるだけやった、と。給料も増えるしね。

その後は、役職定年が来て、退職まで、サラリーマンは、惨めな境遇になるのが一般的だ。オレもそうだった。

振り返って、やっぱり職場長になった時が、いちばん幸福だった。



こうして振り返ると、尾崎豊の歌じゃないけど、やっぱり「この支配からの卒業」時に、いちばん幸福を感じている。

ある「支配」「抑圧」から逃れて、自由になった、という瞬間が、幸福なんですね。

オレが結婚せず、家庭を持たなかったのも、何か支配されるようで嫌だったからだと思う。

それで、さらに大きな幸福を逃した可能性はあるが、今さら仕方ない。

(願わくば、死ぬ時も「この支配からの卒業」をする喜びを感じていたい)



<参考>


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