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【追悼アラン・ドロン】「アル・パシーノ+アラン・ドロン」の頃

アラン・ドロンの訃報で、榊原郁恵の「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」を思い出した人は多いだろう。

仏俳優のアラン・ドロンさん死去 88歳(産経 2024/8/18)


榊原郁恵が「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた(アル・パシーノたすアラン・ドロンよりあなた)」を1977年に歌ったとき、当時十代のわたしは、

「なぜ、ここにアラン・ドロンが出てくるのだろう?」

と疑問に思った。


榊原郁恵「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」ジャケット



アラン・ドロン(1935年生まれ)とアル・パチーノ(1940年生まれ)は5歳ちがい。

1977年当時でいえば、アラン・ドロンは42歳で、アル・パチーノは37歳。

そして、榊原郁恵は、わたしとほぼ同世代で、1959年生まれ、当時18歳。


アル・パチーノ(当時の表記はパシーノ)は、「ゴッドファーザーPART2」(1974)や「狼たちの午後」(1975)で、当時まさにナウイ男だった。

でも、アラン・ドロンは、依然2枚目の代名詞だったけど、代表作の「太陽がいっぱい」(1960)とかは古い。

1970年代以降も盛んに映画に出ていたとはいえ、ひとむかし前の人、というのがわたしの印象だった。まあ、当時のおばさんたちのアイドル。


だから、当時の18歳が、男であれ女であれ、アル・パチーノに憧れるのはわかるが、アラン・ドロンに憧れるのはちょっと違和感があった。

まあ、これはアルとアランのゴロ合わせ、「あなた」をふくめて「あ」の頭韻で選ばれた面も大きいのだろう。


アラン・ドロンを、映画でいいと思ったことがないので、冷たい書き方になってしまったが、ご冥福をお祈りしたい。



きのう、アラン・ドロンの訃報より、わたしの心をふるわせたのは、以下のニュースだ。


青春恋愛映画のバイブル「小さな恋のメロディ」の主演コンビの約50年後が日本でドキュメンタリー映画化

1970年代に日本で一大ブームを巻き起こした英国の青春恋愛映画「小さな恋のメロディ」(ワリス・フセイン監督)の主演コンビの約50年後が日本で映画化されることが17日、分かった。一昨年の日本公開50周年記念イベントで来日した主演の俳優、マーク・レスター(66)と女優、トレイシー・ハイド(65)に密着したドキュメンタリー。半世紀を経て2人が再び銀幕を彩る。

(サンスポ 2024/8/18)


トレイシー・ハイドは1959年生まれで、榊原郁恵と同年、つまりわたしと同世代。

「小さな恋のメロディ」(1971)は、まさにわたしの世代の映画だ。


「小さな恋のメロディ」DVDジャケット


「青春恋愛映画のバイブル」とあるが、いわゆる「青春」の手前、ローティーンの淡い恋心を描いた作品だ。

わたしは、映画の登場人物たちとほぼ同じ、中学1年くらいで見た。

そのときの初恋の人を、スクリーンのトレイシー・ハイドと重ねて見ていたので、胸キュンの記憶である。


トレイシー・ハイドは映画出演後、学業に専念するため俳優業を引退したが、日本では根強い人気があって、1970年代後半にも「ロードショー」で女優の人気1位になった。

そのため、その後もファンに招かれる形で、何度も日本に来ていたと思う。

その映像を見たことがあるので、年をとったトレイシー・ハイドはある程度見慣れている。年をとってもきれいな人とはいえ、映画のイメージを大事にしたい人には、こういうドキュメンタリーはちょっと迷惑ではなかろうか。


なお、「小さな恋のメロディ」で、子役として最も評価されたのは「友情にあつい悪ガキ」を演じたジャック・ワイルドだった。彼はマーク・レスターに劣らず人気があったが、この映画のあとは不運続きで、口腔癌により2006年に53歳で亡くなっている。


いま思い出したが、「小さな恋のメロディ」の中で、メロディ(トレイシー・ハイド)の友達の女の子が、ポスターのミック・ジャガーにキスをするシーンがあったと思う。

当時のローティーンがミック・ジャガーが好きというのは、かなりませている感じだが、イギリスならありえただろう。



1970年代に10代の男の子のアイドルは?

といえば、「マンダム」のチャールズ・ブロンソン。

というのは、みうらじゅんの持ちネタだ。



実際、1970年代でいえば、アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンが、同じくらい頻繁に日本のCMに出ていたかもしれない。

いまから考えれば、変な感じだ。日本人の趣味がおかしい。


チャールズ・ブロンソンの「狼よさらば(デス・ウィッシュ)」(1974)と、アル・パチーノの「狼たちの午後」(1975)は、ほぼ同時に公開された。

邦題はどちらも「狼」だが、原題にはどちらも「狼」はない。

という話は、以前書いたような気がする。

「狼たちの午後」は、犯罪者にも一理ある、という左翼的作品。「狼よさらば」は、犯罪者を甘やかすな、という右翼的作品。

と、政治的に対照的だ。

この二つの「狼」作品が同時にヒットしたのは、60年代の左翼的風潮が、70年代の保守的風潮に転換する過渡期であったことを示している。



わたしはといえば、アル・パチーノより、チャールズ・ブロンソンより、ジュリアーノ・ジェンマだ。

ジュリアーノ・ジェンマは1938年生まれで、アラン・ドロンとアル・パチーノの中間の世代となる。

フランスのアラン・ドロンとともに、このイタリアのマカロニウエスタンのスターは、60年代から70年代にかけて、日本でもハンサムの代名詞だった。



わたしは、アラン・ドロンより、ジュリアーノ・ジェンマのほうが好きだ。

それは、1970年代より、年をとって映画をたくさん見るにつけ、ますます好きになった。


ホラーファンなら、「シャドー」のようなダリオ・アルジェント作品にジェンマが出ていて、驚いた人がいるだろう。

わたしは一時、バッド・スペンサーが出るコメディ映画を追っていたが、そういうコメディにもジュリアーノ・ジェンマは出ている。

ジュリアーノ・ジェンマは、2013年に悲劇的な交通事故で亡くなってしまった(享年75歳)。

彼が忘れられつつあるのは残念なので、改めて調べて研究発表したいと思う。


こう書いてきて自分で気づいたが、わたしはアラン・ドロンに冷たい。

わたしが物心ついて以来、ずっとハンサムの代名詞とされてきたこの人に、子供の頃から嫉妬して、憎み、反感を蓄積させてきたのだと思う。

アラン・ドロン自身が悪いわけではない。

重ねてご冥福をお祈りする次第だ。



ミック・ジャガーよりモテてるアラン・ドロン↓



<参考>


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