宗教二世という言葉

チベット人のほとんどがチベット仏教を信仰しているように、宗教には文化としても側面もあります。中国は多くの新興宗教の活動を禁止しています。日本でも街全体がその宗教で成り立つ地域もあります。宗教は深く信仰する人もいれば、軽くやる人もいますし、お金がかかる宗教もあればお金がかからないのもあります。
最近言われている宗教二世には、親が信仰を持つために、苦痛や不利益を受けているというというニュアンスがあります。しかし、苦痛が伴わなければいいのか?神社の息子が家業を継いで神主にならなければいけない、それが苦痛という場合はどうでしょうか。伝統宗教はセーフで新興宗教はアウトなのか。家業としての宗教、国教としての宗教でも本人か苦痛であれば宗教二世なのかなどなど、この話は難しいですね。


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