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短歌五十音【り】リカキヨシ『人間記録』

平素よりお世話になっております。
かきもち もちりでございます。

めっきり寒くなりました。
でも、職場の自席周辺は28℃ほどあるので、半袖の上にカーディガンを着てコートを羽織って出勤しています。
ままならない世の中。

さて、短歌五十音「り」として今回ご紹介するのは、リカキヨシの歌集「人間記録」(核ぐるーぷ叢書No.1)です。

リカ・キヨシは,本名李承源,李家清一と称した。大正12(1923)年4月,朝鮮南部の晋州で生まれた。両親が,東京近郊に移住した後に渡日した。昭和13(1938)年,豊橋高等小学校を卒業し,豊橋市役所に勤務した。しかし,日本の敗戦によって職を失い,昭和25(1950)年ごろから,古書店「アカシア」を開いた。
 昭和21(1946)年,豊橋文化協会の第1回短歌会参加メンバーとなる。昭和23(1948)年,「新日本歌人」,同26(51)年,「中部短歌会」,同33(58)年,「核ぐるーぷ」同人となる。昭和36(1961)年9月,創刊された同人誌「楡(にれ)」の同人となる。昭和39(1964)年から,「楡」の発行者となった。平成16(2004)年7月14日,没した。「楡」は同16(04)年12月,163号をもって終刊した。
 この間,昭和29(1954)年,第1回中部短歌賞を受賞,同43(68)年,市民文芸作品短歌の部選者,同50(75)年,豊橋文化協会「豊橋歌人合同歌集」の編集委員を務めた。歌集「人間記録」(白玉書房 昭和35年)・「告日本歌」(白玉書房 昭和53年)がある。

豊橋市編「豊橋百科事典」(2006)より

今回紹介するリカキヨシは上記引用のとおり、ルーツを朝鮮半島に持ち、幼い頃に日本に渡ってからはそのまま日本で育ち、生きていらした方です。
「祖国」というものを軸に、日本社会に生きる自分というものに複雑な思いを抱えていたことがこの歌集からも伺えます。
苦しみを抱えながらも生きていくことの実像を写しとった短歌は、暗い印象を受けつつも、それを引き受ける「生き抜く力」を感じる歌であったと思います。
そのような歌の中から何首か選び、鑑賞していきます。

【本文に入る前に】
この歌集には、太平洋戦争の戦前期から戦後期にかけての、朝鮮半島にルーツを持つ方を背景とした歌が多分に含まれています。
しかしながら、わたしにはそれらの事象を十分に消化するための知識が不足していると感じているため、以下本文中ではその部分に対しての個人的な態度や意見を表明することは可能な限り差し控えています。
あくまで彼が行った短歌創作の魅力を伝えるため、その背景としてそれらを引き合うに留め、個人的な見解を披瀝するものではないことをあらかじめ断っておきます。
もし、このような態度表明に誠実さを感じない方がいらしたらその点については申し訳ございません。
ただ、この位置から語るということそれ自体が、わたしなりの誠実な向き合い方であることをご理解いただけると幸いです。

それでは、本文中最初の一連、「祖国なき民」から次の一首。

今宵ラジオに寄りて喜ぶちちははの国の言葉をわれは解せず

人間記録「祖国なき民」

先に挙げたようにリカキヨシのルーツは朝鮮半島にありますが、学齢(6〜7歳)に達する1930年頃日本に渡り、育った彼には、両親の話す朝鮮語(※注)がわかりません。(後に父親が朝鮮語習得のために朝鮮高等学院へ入学した、という記述があります)

「今宵ラジオに寄りて喜ぶ」とあるのは、終戦に伴い大日本帝国の朝鮮半島に対する支配が終わったことを指していると思われます。

本書の167pに収録されている「私の素顔(生活の歴史)」というエッセイには、1910年の韓国併合以降に「貧困と恥辱の私の家の歴史が始まった。」という表現のあることから、日本による支配が終わることに対しての喜ぶことに違和感はありません。

しかし、その感じ方には、家族間でも断絶があります。思いはわかっているはずなのに、両親が話している言葉を理解することができない。そのことに自身が持つより大きな社会からの疎外感を象徴させているのです。

両親のもっとも大きな喜びはどこにあるのでしょうか。歌だけで確定はできませんが、もしかしたら祖国へ帰ることができるという希望かもしれません。
しかし、日本で育ち日本語しか話せない主体にとって、それは簡単に明るい希望とはなり得ない。
「祖国」はあるが、自分が生きられる場所はこの日本にしか無いのではないか。
同じ部屋でラジオを聴いている両親と主体の間にはどれだけの距離があったことでしょう。

「ちちははの」と、両親をあえて和語で呼び、ひらがなに開いて表記することで、「日本語」と両親の話す「朝鮮語」の対比が際立ちます。
「今宵ラジオに寄りて喜ぶ」という初句と二句、初句の字余りと、続くヨ音の浮くようなリズムから、両親の喜ぶ様子が表現されますが、三句以降で「ちち/ははの/国の/言葉を/われは/解せず」と切れていくリズムに転換することで、より強く断絶が感じられるようになっています。

家族の中で、むしろだからこそ、強く感じる孤独を歌い上げている歌と感じました。

(※注:2024年現在、大韓民国では「韓国語」、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では「朝鮮語」という呼称が使われていますが、本書170ページに「(前略)父の目的は、私に国語(朝鮮語)を習熟させるにあったが」とあり、時代背景も鑑みて本稿では「朝鮮語」表記に統一します)


続いては「日本は暗し」という一連より。

そそり立つビル街を疾りゆきながら臓腑の如き民家を見たり

人間記録「日本は暗し」

この歌集の発行は1960年。あの「所得倍増計画」が本格的に始動した年です。この歌が詠まれたのはもう少し前ですが、その機運は既にあったのではないでしょうか。
リカキヨシが住んでいた豊橋市も大戦末期に空襲に遭っています。
それからまだ十数年。世間は復興に沸き、焼け野原がビルの立ち並ぶ街へと変貌していく。その脇に立ち並ぶみすぼらしい民家。
ビルの間を疾りゆく主体のスピード感は、復興から経済成長へと向かう世間の比喩と取るのが素直でしょうか。そんな経済成長の速度に取り残されていく人々……そのような表現と捉えることもできますが、「臓腑の如き」という部分に改めて着目します。

臓腑、人の内臓は一般的にグロテスクなものとして受け取られるでしょう。
普段は体内に収まっており、曝け出すことに嫌悪感を覚える人もいると思います。しかし、それが無ければ人体は生きていくことができない。
「そそり立つビル街」を支えているのは、作り出したのは臓腑たる民家に住む民衆であること。そのことに対する矜持、自負のようなものを感じ取ることもできないでしょうか。
もう少し読むのであれば、その経済復興の影には「祖国」を戦場とした朝鮮戦争による戦争特需があり、それによって受けた恩恵がこのような形をとることにもある種のグロテスクさを感じていたのかもしれません。

ビル街を疾りゆく主体を、スピード感の比喩と先ほど言いましたが、もしかすると臓腑を廻る血液のようなイメージもそこには重ねられているのかもしれません。


続いては本のタイトルでもある「人間記録」という一連から。

雪柳 ひとりの室の卓に咲きわれは失なうことばかりしつ
清潔に清潔にと希い来たりしが崩れ合いたる人間記録
苦きこと重ね来たりしわが胸に照り映ゆる今日の菜の花の彩

人間記録「人間記録」

本歌集には相聞歌も多く収録されています。
許されない恋、ままならない恋の歌を、人間として生きたことの記録として捉えた一連としてよんでいきます。

一首目、雪柳は春に咲く花。小さな白い花がたくさん咲いて、その散り際はまさに雪のように見えます。
雪は言うまでもなく溶けて消えていく存在です。ひとり室の中で散る雪柳は、自らの心中の象徴として、今まで失ってきたものを主体に思い起こさせるのでしょう。
また、雪柳の花が持つ甘い匂いが、目に見えなくなってしまった失ったものたちに対する郷愁を感じさせます。

二首目、清潔に生きていきたいと思う。社会に生きる人間ならば、人を想う心があれば、誰しもが心当たるのでは無いでしょうか。
でも、自分にはそれができなかった。「崩れ合いたる」の言葉遣いにそのやむを得なさ、どうしようもなさが表れます。
ひとつの「人間記録」としてそれを捉えることで、客観的なもの、自分から遠ざけたものとして、精神の安定を図っているようにも見えます。

三首目。
菜の花は食用にもなる花で、その食味には苦味があります。
主体は黄色く小さな菜の花が畑一面に咲き誇る光景を見ながら、これまでの経験を思い返します。
菜の花に重ね合わせた自身の経験が、どんなに苦かったとしても今は胸の中で光っている。これまでの自分への肯定ととっていいのでは無いでしょうか。

どの歌も人間という存在の両義性、自らを作り上げてきた経験を引き受けて進んでいく志向を感じます。

続いては「外国人登録証」と題する一連。

外国人登録証を交付さると指紋取られ居き並ばされて我は
帰化手続き容易になると聞きいつつ断じて断じてと心に思えり
わが解せぬ祖国語にてひそひそ話しいる車内の同胞に聴耳を立つ

人間記録「外国人登録」より


この8首の連作は平成24年(2012年)まで存在していた「外国人登録制度」を主題としています。
同制度は2012年7月9日に改正された入国管理法と住民基本台帳法が施行されたことに伴って廃止され、現在は日本に居住する外国籍の方も全員住民票に登録されていますが、それまでの居住地証明は外国人登録証明書に依っていました。

日本に育ち、日本語を話しながらも、日本国籍の方とは違う制度に登録されて管理される。外国人登録制度に対する視点を通してその葛藤が詠まれる連作となっています。

一首目、おそらくは1947年に「外国人登録令」(外国人登録法の前身)が施行され、制度が開始される際のことと思われます。
外国人登録証の交付を受けるため、列に並ぶ様子を詠んでいます。
外国人登録証には指紋の押捺が義務付けられていました。「交付さる」と聞いて行ってみれば指紋を取られるために並ぶ列。「並ばされて」という表現に、その不本意さが表れています。
「管理される」という意識を特に強くさせた出来事だったことが窺えます。

二首目。
昭和27年(1952年)4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効し、日本は独立を回復しました。
その条約には「朝鮮の独立の承認」が含まれており、それに伴って今まで国籍上では「日本人」とされていた朝鮮人の人々は日本国籍を喪失しました。(先の外国人登録令において、すでに「みなし外国人」と扱うことにはなっていましたが)
その時期において、日本国籍を取得する帰化手続きが容易になるとの報せを聞きますが、主体は「断じて、断じて」と唱えます。
「断じて」は「申請しない」と続くのでしょう。
自らのアイデンティティがあくまでも「祖国」にあるのだということを何度も言い聞かせます。
先の「今宵〜」の歌にもあったように、主体は日本に育ち、日本語しか解しません。それでも日本国籍を取得するということを拒みます。
時代背景を考えれば、「日本人」になった方があるいは暮らしやすくなるのかもしれません。しかしそちらに流されないように強く踏みとどまる。自身の存否に関わる重要な意識の発露が詠われます。

三首目。
それだけの強い気持ちで朝鮮人として生きていく主体ですが、相変わらず朝鮮語は分からないままです。
なので、車内でひそひそと話す同胞の話す内容に聴き耳を立てても、意味は分からないはずです。
それでも聴き耳を立てずにいられないのは、もしかすると自分のことを、日本語しか話さない自分のことを言われているのではないか……「同胞」と思っている自分が「同胞」からはどう思われているのか気にせずにはいられないのかもしれません。
狭間にいる主体の、複雑な気持ちが淡々と詠われています。

主に、そのアイデンティティに着目してご紹介しましたが、「人間記録」のように愛情に端を発する歌も多く、人間にとっての普遍的な悩み苦しみを歌った歌集と言えるように思いました。


次回予告
「短歌五十音」では、初夏みどりさん、桜庭紀子さんに代わってかきもち もちりさん、ぽっぷこーんじぇるさん、中森温泉の5人のメンバーが週替りで、五十音順に一人の歌人、一冊の歌集を紹介しています。

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お読みいただきありがとうございました。
本稿が、みなさまと歌人の出会いの場になれば嬉しいです。

次回はぽっぷこーんじぇるさんが渡辺松男『牧野植物園』を紹介します。
お楽しみに!
(前回延期となっている初夏みどりさんの記事は、準備ができ次第公開予定です。そちらもお楽しみに!)

短歌五十音メンバー
初夏みどり
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桜庭紀子
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かきもち もちり
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ぽっぷこーんじぇる
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中森温泉
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