三富新田と旧島田家住宅
かつて大学で受けた講義の中に「地域計画論」というものがあった。その講義は春学期と秋学期の通年科目で、夏の長期休暇の間にいくつか指定された場所の中から一つ選んでフィールドワークをする、という課題が出された。
その選択肢の中に「三富新田(さんとめしんでん)」があったことを思い出した。記憶は定かではないが、講義の内容としても取り扱われていたと思う(だから覚えているんだよセンセイ、と言いたい)。
当時の私は藤沢市を選択したため、三富新田には行けずじまいであった。
あの時行っておけば、という後悔もあるが……今から見に行っても遅くはないだろう。
ということで行ってきた。
そもそも三富新田とは
埼玉県三芳町の上富(かみとめ)地区、所沢市の中富(なかとみ)・下富(しもとみ)地区に広がる地域で、総面積は1400ヘクタールに及ぶ。今から310年前の元禄7年(西暦1694年)に川越藩主である柳沢吉保(江戸幕府5代将軍徳川綱吉の寵臣)が食糧増産・収税増額などの目的に新田開発に着手。屋敷地-耕地-平地林が一体となった循環型農業はこの地域を豊かにし、現代まで続く礎を築いた。
上空写真を見て気づいたと思うが三富新田の最大の特徴はこの地割だ。
幅6間(約10.9 m)の道の両側に農家が並び、その1軒の農家ごとに畑、雑木林が面積が均等になるように短冊型に並んでいるという地割である。
平地林の落ち葉を堆肥として畑にすき込んでいくことで、地力を増強し、保持し、この地域に適合させた独自の循環型農業が営まれているのだ。
三芳町、所沢市は武蔵野台地に位置しており、火山灰土に厚く覆われ作物が育ちにくい土地であった。よって、遡ると江戸時代から多くの木を植えて平地林(ヤマ)として育て、木々の落ち葉を掃き集め、堆肥として畑に入れて土壌改良を行ってきた。
こうして長きにわたり続けられてきた伝統農法を「落ち葉堆肥農法」とよび、今も受け継がれている。この「落ち葉堆肥農法」は2023年7月6日付で世界農業遺産にも認定され、今日でも平地林は各市町全域にその面影を多く残し、育成・管理されて景観や生物の多様性を育むシステムが作られているという。
ちなみにこの辺りの地域特産物はさつまいもやウドらしい。
三富の歴史・文化を伝える現代の寺子屋、旧島田家住宅も見学してきた。
旧島田家住宅は、三富新田の歴史と文化の学習の場であり、人々の交流の場として活用することを目的に移築復元された古民家だ。
江戸時代文化・文政期(1804年~1829年)に建築されたと考えられる茅葺屋根の民家住宅で、畑作新田として知られる三富の開拓が、さつまいもの導入により豊かになったことを証明してくれる大型の家屋だ。近郷農民の子弟を集めて寺子屋を開設していた時期もあることから、町の教育の歴史も伝えてくれ、現在も「現代の寺子屋」としてさまざまな郷土学習教室を行っているそうだ。
先人たちが築きあげてきたものが、今日の地域繁栄に繋がっているのって、すごく尊いことではないだろうか。
よく「先人を敬いなさい」なんて言われて、その時はピンとこなかったりするけど
こうしてある地域の人々が末永く幸せに暮らせるように願いを込めて残していったものを見ると、やはり先人は敬わなければならないと痛感する。
じいちゃん、ばあちゃんありがとう。