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アアアァァァァ!!!もう無理!!!!!!!!!!死ね!!!!!!!!!!
愛を貪る人間程醜いものは無い。
今日もまた二度寝、三度寝と時間を消費して気付いた時にはもう午後4時を回っていた。本当だったら今日「バッティングセンターに行く」というタスクを設けており、午前9時頃に起床して部屋を出て母が作ってくれた冷凍唐揚げ入りおにぎりを食べ兄から委託された熱帯魚の餌やりを済ませて(最初は熱帯魚達の目が僕に似ている人の目をしていたので少し辛い気持ちになりながら餌やりをしていたのだが、日を積み重ねる事にその目が可愛らいしく思えてきて餌を兄からの指定量を大きく上回る量を与えていたら何故か分からないが、あんなに居た熱帯魚達が残り三匹まで減少し、ベタという金魚に似た魚は餌を食べ過ぎてお腹がパンパンになり身動きが取れない状態になっていた。その事を受け今日兄から餌の指定量の変更と頻度の変更の連絡を受けて少し悲しくなった。全て僕が悪いのに。)気分を上げた状態で家から2.5km先にあるバッティングセンターに行こうとしていた。だが、いざ行くとなると「前もこんな感じで金を使っていったから全所持金が6円とかになってしまったのでは無いか。」と心の僕が木屑が舞うサドルを掃除する僕に問い掛けて来たのだ。確かにそうだ。家に居る事が本当に嫌な時は何も考えずに外に出て、何も考えずに自転車を走らせて、何も考えずに建物の中に入って、何も考えずに何かを購入する。みたいな事を繰り返してたからお金が無くなってしまった。けどその時間が無いとお金が無くなる以上の精神的負担が僕に伸し掛かるので仕方なかった。でも最近メルカリ販売で手に入れた数万円は去年の10月〜12月に掛けて近所の某100均で働いて手に入れた20万よりも重く感じた。一度無くなったお金を取り戻す事の難しさを実感したからだ。だから今日はバッティングセンターには行かない事にした。なので午後10時頃サドルを掃除した後に部屋に戻り少しネットサーフィンをした後、母が隠しているインスタントラーメンゾーンに足を踏み入れ、マルちゃんの正麺味噌味を手に取りその勢いで調理を開始して素早く部屋に持って行き素早く完食して素早く洗って素早く食器棚に戻して素早く冷凍うどんを作る時に使用する冷凍うどんが電子レンジで作れる容器に水を入れて、温めた冷凍うどんを入れる別の容器にも水を入れて流しに置いた。これが完全犯罪。今まで20〜30回程しているが未だにバレてはいない。嬉しい。そして血糖値スパイクを決めて二度寝。一度午後3時頃に意識を回復させたがまだ眠たかったので三度寝。そして午後4時にまた意識を回復させた。それからは少し外の灯りが薄暗くなって来たので神殿(儀式の場所)に向かう事にした。僕の家はとある新興宗教の教会で(両親が信者だから)毎日午後6時になると40〜45分間の祈りの儀式をする。いつも儀式が終わった後には心を100均の剃刀で切られた時の様な痛みが残る。僕には自発的なリスカなんて要らない。何故なら毎日自動的にリスカを受けているからだ。なので今日も午後6時になるとその儀式を受けた。(これは強制的なものなので拒否権などは存在しない。)母が発する音が全て嫌いな時間。今日は父が少し不機嫌な態度を取りながら開始35分ぐらいの終盤に神殿の中に入って来た。僕には何故父が不機嫌なのかは分からないが母はその父の姿を見て目から目元の化粧を含む少し濁った液体を流していた。僕には分からない。何故母が液体を流すのか。そして儀式が終わり僕は毎日僕の当番になっている夜ご飯の食器出しをしてからお風呂に入った。その最中も家の至る所から感情を含む大きな音が鳴り響いていた。「明日は絶対バッティングセンターに行こう。絶対。」僕は自分の部屋からパジャマとパンツを取って、洗濯物の山の中からバスタオルを取ってお風呂場に向かう道中でそう決意した。こういう時の為のお金。その為に手に入れたお金。そう自分に言い聞かせた。そして脱衣所で服を脱ぎ髭剃りの横に置いてある防水のスピーカーを起動させ、少し気持ちを落ち着けようとaikoのkissHugを大音量で流しながら湯船に浸かった。もう11月25日。11月に入っても未だ暑苦しかった日々は過ぎ去り、一気に冬の訪れを感じさせくる様になった。その所為で浴室には湯船の水から発生された水蒸気がもくもくと部屋全体を包み大きな濃霧が僕を覆った。目の前の光景とaikoのkissHugに踊らせれて僕は意識を飛ばしたくなった。「このまま何処かに行きたい。」この時だけはこの世界の1秒の概念を壊して、今よりも少しだけ長い1秒に変えたくなった。でも直ぐに逆上せて来たので湯船から体を出し、脱衣所に向かった。まだあの大きな音が響いている。急いで体をバスタオルで拭き、パジャマに着替えて部屋に戻った。こういう時に少しだけ感じる思い。小学校低学年の時に頻繁に起こっていた事。下校中はその時にしか感じれない様々なものを感じながら友達とそれぞれの家に向かう。友達の家と僕の家を分ける1つの別れ道に到着すると、この場所から1人になる僕の体は夏休み前に学校から持って帰る色んな物思い出が詰まった引き出しよりも重く感じた。そして風が吹くたびに季節を知らせる枯葉達に見つめられながら家に到着する。玄関を開ける。すると玄関の靴を履く時に座れる様な段差に一枚の置き手紙が置いてある。読むと「今日お父さんとお母さんはそれぞれ精神科の病院に行っているので帰って来るまで待っててね。」父はADHD.ASD.躁鬱.強迫性障害持ちだという事はその時既に知っていて、週に何度か精神科の病院に検診しに行ってる事も知っていたが、母が精神科に通っていた事は知らなかった。多分カサンドラ症候群みたいになっていたのだろう。だけどその時まだ6〜8歳。「母もおかしくなってしまった!!」と僕はその場でパニックになり直ぐに部屋にランドセルを置いて外に出て近くの公園とグラウンドが隣接されてある場所に向かった。呼吸を整える為に。するとグラウンドの奥の方からさっき一緒に下校した友達数人がサッカーボールを持ってやって来た。一緒に遊びたかった。けど今の僕にはそんな事は出来ない。目から汚い液体を流す事でサッカーボールなんか見る事が出来ないから。皆んなの顔を正確に理解して、感情を共有する事が出来ないから。だから僕は友達を確認した後にグラウンドの横にある住宅街の入り込んだ細道の
一角にしゃがみ込んで友達にバレない様に大きな声を抑えながら泣いた。めっちゃ泣いた。これ以上無理!!!ってなるぐらい泣いた。
そんな場所がバッティングセンターに変わっただけ。愛が欲しいだけなのに。ずっと愛を求めているだけなのに。ずっと僕に纏わりつく柵はあの頃と何も変わっていない。辛い。苦しい。その声を今この場所で表現出来ている事を幸せと捉えると共に、また明日を生きるしか無い。
やっぱり僕には皆んなが必要なのかな。
強がる僕も愛して。