長野の生活が年々良くなっている感覚を残しておきたい
5月以降に急遽生まれた”暮らしのスローダウン”。昨年このキーワードでnoteを書いたときの反響も良かったんだけど、あの時よりも圧倒的にスローダウンしている。立ち止まり、ゆるやかに、長野の自然と風景を全身で楽しめている実感が強い。
「最近、仕事は何してるんですか?」と聞かれるたびに「犬と畑かな」と答えているのは本当だ。そもその仕事という概念を変えていきたい。犬も畑も暮らしの仕事だと言い張りたいし、いつかその時間の中で生まれた人との会話や遊びが経済的な仕事になってしまう。
過去、何度もその経験をしている。なぜなら、人々が根源的に求める欲求に対して、早め早めに環境と考え方をスライドし続けているからだ。世界中でペットを求める動きが強まっているし、自分で作物を育てて学びたい危機感も高まっている。見方を変えれば、社会の一部はより原始的な暮らしに戻りつつあるともいえるんじゃないだろうか。
その点、長野含めた自然豊な土地は暮らしに目を向けやすい。「明日これをやらないと間に合わない」という自然の締め切りは強いので、気づいたらホームセンターに駆け込んで、翌日に手を動かして実装。陽を浴びて、作業を終えて、料理を作り、風呂に入って、0時前後に就寝。この人間的な生活のリズムをようやく手に入れることができたのは、経済活動の気持ちよさとは別軸の多幸感がある。
理想のフィールドを手に入れるまでのジャンプ力は求められるが、人と土地の関係性に配慮していけば、おのずと触れる機会は多くなるんじゃないだろうか。あと時間がかかる。全国行脚と二拠点生活を挟んだ長野市→信濃町と揺れ動いた丸5年の月日がいまの気持ちよさを運び込んでくれたと言っていい。
コロナ禍に長野市、そして信濃町と、自分が暮らす町に対する移住の流れは確実に来ていた。何組も移住させた実感もある。ただ、昨年末あたりから「意外と落ち着いてきたな。都心の生活が回復すれば、それもそうか」と勢いを失った感覚を受けていたものの、どうやら勘違いのようだった。4月以降、改めて長野移住の流れを感じている。
物価の高騰、インバウンドの反動、社会インフラへの不安など、いろんなプレッシャーをみんな受けているのは間違いない。落ち着いているようで落ち着いていない。慌ただしさの性質はきっと変わっているのだろう。植物が不安やストレスをきっかけに根を伸ばすように、人間の不安もまた伸びている。私主体で見ればローカルへ。違う見方をすれば都市へ。
まず不安の根がポジティブに機能する側面を信じている。ここで動けるかどうかが生存戦略に繋がるはずだ。長野市から信濃町にかけての観測範囲では、これまで興味はあったけれどもなかなか出会えなかった人との交差が重なり始めていて、「信濃町はたけ部(月イチで集まって自宅の作業をみんなに手伝ってもらう俺得企画」で過ごす時間がとても心地いい。
草取り、畝作り、梅仕事、薪割りなど、モクモクと手を動かすシンプルな作業を割り振って、初めて会った人同士の会話を盗み聞きすると、「昭和の原風景みたいだな」と思える。ドライブで前を向きながら、対話をする感覚にも近い。より身体性を伴って、汗をかきながら、目の前のタスクを淡々とこなす会話も盛り上がる。
何よりも同じ目的を共有しながら得た達成感は、わいわいがやがや集まったイベントでの印象とは大きく変わる。年中多くの人と出会う役割だからこそのポイントでいえば、お手伝いしてくれた人への感謝パワーで”その人のことをより記憶することができる”のだ。ぶっ壊れたメモリーカードみたいな記憶容量で誤魔化しながら生きているのだが、一緒に畑作業をすると覚えることができる。無関係ではいられない感覚の共有が生まれているんじゃないだろうか。
というわけで、次回の「信濃町はたけ部」は7月15日予定。お隣さんの古い小屋を解体して、移築するという大仕事が待っている。もちろん畑仕事も薪割りもある。きっと夏野菜の収穫ができるので、ちょっとしたお祭り気分で楽しめるはず。夏の信濃町はいいぞ。興味ある人は気軽に連絡してください。