アイデンティティーの強制上書き
過去の自分が自分ではない。持ち前の記憶力崩壊モードを差し置いても、自分に対する認識力が年々落ちている気がする。この現象はなんなんだろう。最近よく考えることが多い。
もちろん歳を重ねごとにライフステージは変わっていくものだ。10代の自分。20代の自分。そして30代半ばを迎えた自分。言い換えると少年期、青年期、そして壮年期に入って6年目になる。
厚生労働省の一部資料(健康日本21など)では、幼年期0~5歳、少年期6(小学生)~14歳、青年期15(社会人・高校生等)~29歳、壮年期30~44歳、中年期45~64歳、前期高年期65~74歳、中後期高年期75歳~という区分をしている。
この年齢になって考えるのは、いい壮年期を迎えるために30年を費やし、そしていい壮年期を過ごすことによって中年期の幸福度が変わるのではないか?論。 ちなみに突発的なアクシデントや病気は棚に上げて、ホコリまみれになっていればいい。不可抗力の視点は気にするだけ損だ。
自覚的に人生の節目に向けて、ギアを大きく変えてきた。上京もそうだし、転職もそうだし、昨年1月の会社設立もそうだし、長野と東京の二拠点生活もそうだ。振り返ればすべてに意味があり、結果人生が上向いてきている。むしろ、うまくいきすぎだとも少し感じている。
「毎年が人生のピークだ」
そう思い込みながら新しいことにチャレンジしているが、その決断の回数が増えるたびに冒頭の「過去の自分が自分じゃない状態」に陥る。良いことだとも、悪いことだとも思っていない。ただ、なぜこんなにも自分の人生に対して客観的な印象を持ってしまうんだろうか。
この視点について大きな仮説がひとつある。
タイトルの「アイデンティティーの強制上書き」だ。中でも名前の変更がデカい。本名の「洋平」から「柿次郎」へ。落語家や歌舞伎役者のように生きるための名前を切り替えたのは、26歳の上京時期とほぼ同じ時期だ。お世話になっていた先輩にある日、なかばイジりのノリで名付けられたことがきっかけだった。詳しくはこのインタビュー記事で触れている。
名前が与える影響は大きい。どの仮面をかぶっているかともいえる。ただただ名前を覚えてもらいやすい柿次郎という名前は、何の武器も持たない自分にとっては格好の得物だった。
数年で本名で話しかける人はほぼいなくなった。家族くらいだろうか。元々の友人の呼び方も、「柿次郎」へと次第に変化していった。むしろ、その方が嬉しかったように記憶している。
人生で第二の仮面をかぶりつづけた私は、東京で生き残るために思考をトランスフォームさせていく。ないところから価値を生む。できないことに向き合う。人が嫌がることに率先して手をあげる。
また、業界やコミュニティのなかで空いている椅子を探し出し、常にカウンターカルチャーとしての逆張りポジションを意識していくことになる。軌道修正は、多くの先輩や恩人に頼ることでバランスをとっていた。
東京は動けば動くほどに刺激が磁石のように集まってくる。そして、名前、会社名、肩書き、コミュニティ名…といったあらゆる概念的な「言葉」で人々は交流の選別作業をしているんじゃないだろうか。生き物から社会性のある人間へ。
所属意識と個人のアイデンティティーを満たすことに結果成功していたこともあり、この「柿次郎」を強く強く、そして深層心理にまでじわじわと染み込むような生き方を選んできている。漢字の「柿」をモチーフにしたタトゥーを背中にいれたことも鋭くも重い影響を与えていると思う。
背中だから普段は視界に入らないが、鏡越しのタトゥーを通して「自分が柿次郎なんだな」と自覚する。元々与えられたカードの手札を交換しながら、人生を切り開いていくものだとするならば。柿次郎という名前を潜在意識に刷り込む手札こそ、決意と覚悟の上京時に引いた大博打だったのかもしれない。
柿次郎歴8年目。
それまでの自分を捨てて、新たな仮面をかぶって演じ続けた男がここにいる。そう考えれば、過去の自分が自分ではない感覚に陥るのも必然なのだろうか。
少し怖いのが、柿次郎を名乗った前職時代の記憶も薄れてきていることだ。馬鹿笑いしながら過ごした5年の記憶やコミュニティの中で立ち居振る舞っていた自分…。アイデンティティーの上書きは、現在進行系のやってこ!の掛け声とともに進んでいる気がしてならない。
二面性の井戸を覗き込んだら、仄暗い暗闇に吸い込まれる。いっそ本名を「柿次郎」に書き換えたほうがいいんだろうな。
いつか、しよう。
1982年生まれ。全国47都道府県のローカル領域を編集している株式会社Huuuuの代表取締役。「ジモコロ」編集長、「Gyoppy!」監修、「Dooo」司会とかやってます。わからないことに編集で立ち向かうぞ!