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古いアルバムを開くごとく

人生の振り返り日記みたいになっているけど・・・。
まぁ、いいや。(笑)

看護師になって数年経ってからだったと思う。
失敗もいっぱいしたし、厳しい指導も受けた。
嫌味のひとつやふたつ・・・それ以上に言われたし、凹んだ日も多かった。
でもそれ以上に、仕事終わりのビールが美味しかった。
「さぁ、行くよ!」という先輩のひと言がめっちゃ嬉しかった。

だから相殺すると、のほほんと過ごしていたと思う。
そんなある日、研修に行かされた。
「イメージトレーニング」みたいなもの。

そのころの私の頭の中にあったのは、眼の前に映る映像だった。
思い出す映像はあっても現実に見たものだ。
だからありもしないものを「頭の中でイメージする(想像、創造)する」、ということを考えたことがなかった(ような気がする)。
いや、意識をしたことがなかったという方が正しいだろうか。

その研修は「『お天気のいい爽やかな空の下に座っています。そこに気持ちのいい風が吹いています』それを思い浮かべてください。」みたいな感じで進められた。
今ではイメージトレーニングとかマインドフルネスとか当たり前だけど、当時は衝撃的だったなぁ。
だから、今でも覚えているんだと思う。

あのときから、「思考する」「イメージする」「無になる」などということに興味を持ち始めた。
肉体に興味を持った看護学生時代。
働き始めたら、見えないもの・・・脳の働き ≠ 心 ≠ 精神 ≠ 魂 が気になり始めた。
今でもよくわからないままだが、その分野はいつも私をワクワクさせる。

あの頃、本屋さんにずらっと並んでいた青い本。
ジョセフ・マーフィーの本はほとんど読んだと思う。
その後、ハマった本が「アウト・オン・ア・リム」に始まるシャーリー・マクレーンのシリーズ。
「メス化する自然」とか「アクエリアン革命」とか、「バシャール」とか(笑)
本屋さんのある一角に何時間も立って、本を物色していた。

人体もそうだが、宇宙とか、遺伝子とか、誰がそれを動かし支配しているのだろうと思いを馳せるのがスキだった。

こうやって書いていると、「あーそうだった・・・。」「そういう時代があった。」と懐かしくなる。
今なら、SNSを使えば同じ領域に興味を持つ人とつながるのは容易いたやすいかもしれない。
しかし、あの頃はこんな話をすると変わったやつだとか変人扱いされそうで、誰にも話せなかったなぁ。
でも、いつでも誰かと話したかった。共有したかった。

飲んで歌うのだけが楽しみな時期もあったし
大好きな人に毎日ラブレターを送ることに集中していたときもあったし
本ばかり読んでた時期もあった。
ぼーーーーーっと何もしたくない無気力な時代もあった。
いろんな私がいた。
そして全部、私だ。

こんな人生だった、なんて一口じゃ到底説明できない。
今夜は、ひとりで古いアルバムを開いているようだ。


タイトル画像は”コノハ(オノチハル)@写真と言葉”さんにお借りしました。
こんな風に、いろんなシーンが浮かんできました。

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