成人式がなかったから気づいたこと
私は福島の新成人、成人式が延期になると聞いたのは確かクリスマスより前くらいだった。
特に残念というよりは人に会うのがもともと面倒だから、むしろほっとしたのもあった。成人式ではあの頃より成長した自分を見せたい。だからその準備期間が延びたのはよかったからほっとしたのかな。
さてさて本題。成人式という場所で友達を見ることはなかった今日。snsを通じて、華やかな格好をするみんなを見ていて楽しかった。やたらみんながここぞとばかりに発信していて、久しぶりにsnsの盛り上がりも感じた。
しかしそれと同時に、緊急事態である世の中、居酒屋で大勢で飲んでるところも見えた。
確かに集まったら飲んでしまうもの。成人式がなくても特別な日であることに駆られて集まってしまうものだ。
もし昔好きだった男児(決して長友ではない)に一緒に飲もうよと言われたら、私はどんな選択をとるのだろうか。でも今日、それを断れない友達、そんな判断もできない関係を自慢するsnsを見て、これではいけないと感じた。
成人の日は、自分から会わない人とも会えて、お互いの変化を楽しんで、今日だけは主人公のように生きるのが許されるところが醍醐味だと勝手に思ってる。オンライン、飲食禁止、人数制限、やはりこれでは成人の日は楽しめないのかもしれない。でもだからといってそれを破って楽しむことは、一生の思い出にはふさわしくない価値になる。
延期だからといって、以前のような成人式になるとは限らない。それでも未来を託された私たちが集まる特別な日を、制限のせいで楽しめなかったことにはしたくない。コロナの元で成人の日を迎えた、今までより明るい未来を作り出すヒントを見つけられるのはそんな私たちなのかもしれないと思うとワクワクする。
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