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【ガイドブックに載っていない韓国旅行案内】光州を歩く(1)準備編

初稿:2024.11.20
更新:2024.11.20

(この記事は5,377字です)

2024年10月現在、旧全羅南道庁、尚武館は復元工事中のため、立ち入りができません。2023年10月30日に復元工事の着工式が行われ、2年間の工事を行い、2025年に開館予定です。

旧 全羅南道庁の復元工事現場


『死を超えて 時代の暗闇を超えて』

 2023年のこと。光州民主化抗争について、インターネットであれこれ情報を探していて、ある記事に出会った。
 ジャーナリストの徐台教(ソ・テギョ)氏の〈「光州事件」を超えて〜韓国民主化の中で40年生き続けた光州5.18を知る(上)〉という記事だ。この記事は(中)(下)まで続いている。

https://imidas.jp/jijikaitai/D-40-141-20-06-G734

 この記事を読んで、『죽음을 넘어 시대의 어둠을 넘어』(『死を超えて、時代の暗闇を超えて』)という本の存在を知った。(徐台教氏は書名を『死を超えて、時代の暗闇を超えて』と紹介している。『死をえて、時代の暗闇をえて』としている人もいる)
 2023年の11月に韓国に行ったとき、書店でこの本を見つけて買ってきた。
 1980年5月の光州民主化抗争を記録した本で、証言、裁判記録、資料などを時系列にまとめたもので、ページ数は600ページを越える。
 1985年に最初の版が出版されるものの、発禁処分となり、地下出版という形で世の中に渡ったという。
 その増補改訂版が2017年に出版された。私が買ってきたのがその版である。
 その内容の大部分は、いつ、どこで、だれが、どういう状況にあって、軍にどのように殺されたか、という記録である。大部の書籍でありながら、写真はほとんど掲載されていない。出来事が書かれているため、文学作品のような隠喩や暗喩は出てこないので、文章の内容は理解しやすい。しかし、書かれている内容は衝撃的なことであるため、緊張しながら読み進めた。

『죽음을 넘어 시대의 어둠을 넘어』(『死を越えて、時代の暗闇を越えて』)

過去にも訪ねた光州

 私はかつて光州を訪ねたことがある。
 1982年、2006年、2007年の3回だ。

 1982年は、初めて韓国を訪ねたときで、光州民主化抗争から2年後にあたる。私は大学を休学して、旅行をしていた。まだ、ハングルが一文字もわからない状態で韓国を訪ね、韓国語会話の本を見ながら、添えられたカタカナを読んで用件を伝えた。カタカナ韓国語でも用事は伝わったようなのだが、相手が韓国語で返事をしてくれるので、それが理解できない。
 道端で偶然出会った韓国の大学生が、互いに英語で話しながら、あれこれ手助けをしてくれて、韓国に着いた初日、何とかソウル市内で安旅館に泊まることができることになった。
 安旅館の玄関には、複数の指名手配犯の顔写真が貼ってあった。
 写真は光州事件の関係者が指名手配されているものだ、と大学生が教えてくれた。
 その旅行のときに、ハングルが一文字も読めない状態で、一人でどうやって光州まで行ったのか、よく思い出せないでいる。とにかく一人で高速バスに乗って、光州まで行ってきた。
 今にして思えば、1982年の段階で、ハングルが読めない日本の大学生が一人、光州に行って、光州事件に関係した場所を見ようということ自体が、いろいろな意味で無謀なことだったのかも知れない。
 どこに行っていいのかも、どこで尋ねたらいいのかも、何もわからず、仕方がないのでただ国立光州博物館に行って展示物を見て帰ってきたのだった。

 その後、光州民主化抗争について、少しずつ詳細を知るようになり、2006年、2007年にも光州を訪ねた。そのときは、国立5.18民主墓地と旧墓地、5.18自由公園、旧道庁などを訪ねた。それぞれの場所で見たものや知ったことは、光州民主化抗争の理解を深めさせてくれるものであった。しかし、なにか部分的な理解であるような気がしていた。

5.18光州民主化抗争の史跡

 『죽음을 넘어 시대의 어둠을 넘어』(『死を超えて、時代の暗闇を超えて』)を読んで、光州民主化抗争について、さらに知ることが増えた。
 その巻末に、「5·18민주화운동 사적지」(5・18民主化運動 史跡地)という地図が載っている。略地図だが、光州市内にある5・18民主化抗争の史跡地を紹介したものだ。
 この史跡地について、インターネットで調べていくと、いくつかの情報が見つかった。現在、史跡地となっているところは32か所ある。
 この32か所の史跡地を、すべて訪ねてみると、光州民主化抗争について、もっと知ることができるのではないか、と思えた。知るだけではなく、感じることもできるように思えた。
 2024年10月に韓国に旅行をする計画を立てていた。そのときに、光州に行き、史跡地を訪ねる予定を入れた。

32か所の史跡

 32か所の史跡について、説明されている資料を探すと、namuwiki に「5.18 사적지 목록(5.18史跡地 目録)」という項目で情報が載っていることがわかった。

https://namu.wiki/w/5.18%20%EC%82%AC%EC%A0%81%EC%A7%80%20%EB%AA%A9%EB%A1%9D

 また、「5·18민주화운동기록관」(5・18民主化運動記録館)のホームページにも、史跡地が説明されている。

 32か所の史跡は、次のところである。名称は、namuwiki の表記をそのまま書き写すと、次のようになる。この名称については、資料によって違いのあるものもある。[ ]内は、日本語に直したものである。

(1)전남대학교 정문 [全南大学校 正門]
(2)광주역 광장 [光州駅 広場]
(3)구 시외버스 터미널(현 광주은행 본사) [旧 市外バスターミナル(現 光州銀行本社)]
(4)금남로 [錦南路]
(5)구 전라남도청 일대 [旧 全羅南道庁 一帯]
 (5-1)구 전남도청(현 국립아시아문화전당 건립지) [旧 全南道庁(現 国立アジア文化の殿堂 建立地)]
 (5-2)5.18 민주광장 [5.18民主広場]
 (5-3)상무관 [尚武館]
 (5-4)광주 YMCA 앞 [光州YMCA前]
(6)구 광주 YWCA 앞 [旧 光州YWCA前]
(7)구 광주문화방송 건물(전남여고 건너편) [旧 光州文化会放送建物(全南女高 向かい側)]
(8)녹두서점 옛터(장동로터리 부근) [緑豆書店 旧跡]
(9)전남대학교병원 [全南大学校病院]
(10)광주기독병원 [光州基督病院]
(11)구 적십자병원(前 서남대학교병원) [旧 赤十字病院(前 西南大学校病院)]
(12)조선대학교 [朝鮮大学校]
(13)홍림교 [虹臨橋]
(14)주남마을 입구 [周南村 入り口]
(15)광목간 민간인 학살지(효덕지하차도 위) [光木間 民間人虐殺地(ホドク地下車道 上)]
(16)농성광장 격전지(농성역 1번출구) [農城広場 激戦地(農城駅1番出口]
(17)상무대 옛터(5.18 자유공원) [尙武臺 旧跡(5.18自由公園)]
(18)무등경기장 정문(광주-KIA 챔피언스 필드) [無等競技場 正門(光州KIAチャンピオンズフィールド)]
(19)양동시장 [良洞市場]
(20)광주공원 [光州公園]
(21)광주고등학교 정문 (첫 발포지) [光州高等学校 正門付近(最初の発砲地)]
(22)옛 광주교도소 [旧 光州教導所]
(23)구 국군광주병원 [旧 国軍光州病院]
(24)망월동 5.18 묘역  [望月洞5.18墓域]
(25)남동성당 [南洞聖堂]
(26)505보안부대 터(5·18 역사공원) [505保安部隊跡(5.18歴史公園)]
(27)들불야학 옛터 [トゥルブル夜学 旧跡]
(28)전일빌딩 [全日ビルディング]
(29)홍남순 변호사 가옥 [洪南淳弁護士家屋] 

 通し番号は(29)までだが、(5)が枝番で(5-1)~(5-4)まであるので、全部で32か所になる。

各史跡の地図をプリントアウトする

 32か所の史跡地を訪ねるには、まずその場所をはっきりさせなくてはならない。
 namuwiki の「5.18 사적지 목록(5.18史跡地 目録)」では、各史跡の説明の中に、「거리뷰(コリビュー)」というリンクが設けられていて、クリックすると naver map の「거리뷰(コリビュー)」(Google Map でいうところのストリートビュー)により、その史跡のようすを、その場に立っている視点から見ることができる。
 コリビューで史跡を確認したのち、コリビュー画面を閉じると、画面にはその場所の地図が表示される。
 この地図を、そのままプリントアウトしても、私にはその場所が市内のどこにあるのかわからない。目標となる、地下鉄の駅や、目立つ建物などが地図に入るように拡大・縮小して、プリントアウトした。
 史跡によっては、ほかの史跡と近い位置にあるものもあるので、32か所をすべてプリントアウトする必要はない。一か所プリントアウトして、あとでその地図に含まれる史跡が出てきたら、直接ペンで書き加えるようにした。
 こうして、24枚の地図が用意できた。

5・18民主化運動記録館の資料(左)と史跡地ごとにプリントアウトしたNAVER MAP(右)

 目次のかわりになるように、「5·18민주화운동기록관」(5・18民主化運動記録館)のホームページに載っている、写真つきの史跡一覧もプリントアウトした。(旅行中、持ち歩いていたので傷んでいる)

全範囲の地図がない

 それぞれの史跡の位置を示す部分地図はプリントできたが、光州市内全体の地理がわかっていない私には、史跡が光州市内のどこに位置しているのかが分からない。
 32か所の史跡がすべて載っている正確な地図がないものか。naver であれこれキーワードを入力して検索してみたものの、求める地図データを見つけることができなかった。
 旅行の日は徐々に迫ってくる。
 残る方法はひとつ、地図がないのなら自分で作るしかない。

やっとできた全体地図

 9月下旬から毎日、地図を作る作業が始まった。
 32か所の史跡がすべて載っている光州市の広域地図を作ることが必要だ。
 いちばん北にある史跡は、旧墓地。いちばん南で東に位置するのは、周南村虐殺地、いちばん西は尚武臺跡(現在の「5.18自由公園」)だ。
 この範囲を長方形に入れるとすると、縦(南北)は約15km、横は約9kmの範囲になる。ここをすべて表示する地図が必要だ。
 naver map でこの範囲全体の地図をパソコンの画面に表示してみると、細かい道は表示されず、主だった道路だけになる。細かい道が表示されるように地図を拡大していくと、全体はわからなくなる。
 そのため、まずおこなった作業は、細かい道が表示される拡大率にして、部分ごとに画面のキャプチャーをとることだった。
 キャプチャーをとっていくと、必要な全範囲は、縦4枚、横2列、合計8枚の拡大地図を合体すると網羅できた。
 あとは、グラフィックソフト上で、この8枚の地図を、つなぎ目がきれいにできあがるようにつなげていく。(私は「Corel PaintShop Pro 2020」という低価格のソフトウェアで作業をおこなった。レイヤーを使って合体させた。)

史跡の名前を地図に入れていく

 次の作業は、全体地図の上に、史跡の名前を位置がわかるように入れていくことだ。
 史跡にはそれぞれ番号がふられている。「(番号)史跡名」を地図の上に載せて行った。その位置は、「・」で示すようにして、できるだけ正確な位置に「・」が置かれるように、微調整をしながら載せていく。(この作業には、「MediBang Painto Pro」というフリーのソフトウェアを使った)

 こうして作ったのが、以下の地図である。

NAVER MAP を利用した史跡地図

 史跡の名前には、訪ねやすいように若干の補足説明も書き加えた。
 また、縮尺がわからないので、光州駅から1kmの距離に赤い線を書き込んで、(1km)と表示してある。

 この地図をプリントアウトしたものと、namuwiki の史跡地の解説ページも持ち歩いた。

namuwiki の「5.18史跡地目録」(左)と全体地図(右)

SIMカードの異常で naver map が使えない

 史跡ごとの位置を確認し地図をプリントアウトしたり、史跡を光州市内の地図に表記した全体地図を作ったりする作業は、時間がかかった。
 ところがこの作業をしておいたことが、私を救うことになる。
 今回の旅行(2024年10月)では、日本で購入しておいた KT の SIMカードを仁川空港でスマートフォンに入れたところ、何らかの障害が発生しているようで、データ通信ができないことがわかった。
 歩きながら、naver map が利用できないのである。
 「どうしよう」と思ったが、手元にはすべての地図がある。だいじょうぶだ。
 こうして、5・18光州民主化抗争の史跡地を訪ねる旅は、始まるのである。


地図(naver mapへのリンク)

・光州地下鉄「문화전당역(文化殿堂駅)」(旧道庁の最寄り駅)



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かきあげどん
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