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【ガイドブックに載っていない韓国旅行案内】無名墓碑の語ること 北韓軍墓地
初稿:2024.11.07
更新:2024.11.13
(この記事は6,745字です)
2024年 北韓軍墓地を再訪する
ソウル市の北方、坡州市(パジュ市 파주시)にある北朝鮮軍・中国軍墓地を初めて訪ねたのが2008年。
場所の情報がほとんど得られない中で散々迷い、やっとたどりついたときのことについては、次の記事に書いた。
あれから10年以上が経ち、あの場所はどうなっているのか気になって、時々、韓国のサイトで情報を探していた。個人のブログで紹介されている写真を見ると、道路からの入り口は整備され、フェンスも設けられ、また、角材でできていた墓標も石の墓標に変わっているようだ。
この墓地は、もともとは、朝鮮戦争で亡くなった北朝鮮軍兵士と中国軍兵士の遺骨が埋葬されたところだ。朝鮮戦争以後、韓国で工作活動をおこない射殺された武装将校の遺骨も埋葬されている。のちに中国軍兵士の遺骨が中国に返還されたことから、名称が「北韓軍墓地」(북한군묘지 プッカングンミョジ)と変わっていた。
2024年の秋、韓国を旅行した機会に、もう一度、訪ねてみることにした。(2024年10月26日訪問)
京義中央線
すでに一度、訪ねたことがある場所なので、少しは気が楽だった。しかし、10年以上の歳月が過ぎ、その間に交通手段には大きな変化があった。
北韓軍墓地に行くには、公共交通を利用する場合、大まかに言うと鉄道(地下鉄)かバスで京義中央線「文山駅」(ムンサンニョク 문산역)まで行き、そこからバスに乗る、という方法になる。
渋滞のない鉄道(地下鉄)を今回は選んだ。
京義中央線はソウル駅から乗ればよい、という考えがあった。2008年のときもそうしたからだ。
ところが時刻表を調べてみると、ソウル駅発の京義中央線は本数が極端に少ない。
北韓軍墓地から帰ってきてから気づいたことになるが、京義中央線の始発駅は「龍山駅」(ヨンサンニョク 용산역)になっているようである。龍山駅から多くの本数が出ている。ソウル駅から乗ることができる本数は少ない。
ソウル駅から文山駅に向かう場合には、一旦、龍山駅に行って京義中央線に乗るという方法か、ソウル駅から(乗り換えが必要だが)地下鉄3号線で「大谷駅」(テゴンニョク 대곡역)まで行き、京義中央線に乗り変えるという方法が、本数が多いようである。
そのことに気づく前の私は、数少ないソウル駅発の京義中央線に乗車した。
文山駅からバスに乗る
文山駅につく。
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![](https://assets.st-note.com/img/1730685608-BzmwsaKhfivTGpPr39I2dq8Z.jpg?width=1200)
かつて駅の近くにあったバス・ターミナルもなくなったようである。
バスについては、naver map を利用すると、情報が得られることだろう。
出発場所を「문산역」(文山駅)、到着場所を「장파사거리」(ジャンパサゴリ ジャンパ交差点)にすると、乗車するバスの番号、乗車停留所や降車停留所について情報が提供される。
降車停留所は「장파1리」(ジャンパイルリ)。この停留所が「장파사거리」(ジャンパサゴリ ジャンパリ交差点)に、いちばん近い停留所だ。ただし、「장파1리」(ジャンパイルリ)という停留所は、近い位置に3つある。「장파사거리」(ジャンパサゴリ ジャンパリ交差点)にもっとも近いところで降りるとよいだろう。もっとも3つの停留所の位置は近いので、ほかのところで降りたとしても、それほど困ることはない。
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「장파사거리」(ジャンパサゴリ)からの道
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2008年に訪れたときは、この交差点を正面奥に進み、さらに細い道に入っていった。そのため、北韓墓地にたどりつくのに、かなりの遠回りをすることになった。
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その時の経験から、この交差点を通るもっとも道幅のある道路を進むことが、墓地への最短コースであることが分かっていた。写真でいえば、右方向に進むことになる。この広い道路は国道37線で、この付近では「율곡로」と名前がつけられている。
ここから進んでいくと、墓地は道路の左側にあるので、交差点で信号を渡り、道路の左側を歩き始めた。
![](https://assets.st-note.com/img/1730683909-MGB6ZtN7mdCiRW4gADwHoqOS.jpg?width=1200)
私は道路の左側を歩いている。
韓国では、車は右側通行だ。そのため、右側通行の車は、私に対向するように走ってくる。
この道路は高速道路ではないのだが、車は速度が70~80kmはでているのではないかと思えるスピードで走っている。道幅が広く直線に近い道路で片側2車線あるので、スピードを出しやすい。道路のところどころに標識があり、制限速度70kmであることを示している。
歩道といってもラインが一本引かれているだけのところを歩いていると、こちらに向かって走ってきて、猛スピードで横を走っていく車がおそろしい。大型のトラックもかなりの頻度で走っていく。
おまけに、草や雑木が歩道に攻め込んできているところもある。そういうところでは、車道側に近いところを歩かざるをえない。
途中にはガソリンスタンドがいくつかあるだけだ。
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途中、左の方(北の方)に集落が見えた。2008年に来た時に、歩いたところだ。すぐ下に小川が流れている。この小川を渡る場所が見つからず、集落の方から墓地にたどるつけなかったことを思い出した。
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バスを降りた「장파사거리」(ジャンパリサゴリ ジャンパ交差点)から、北韓軍墓地までは、地図上で確認すると約1.7kmの距離だ。まだ1.7kmは歩いていない。この恐怖の道を、まだ歩き続けないとならないのか、と思いながら歩いていると、突然、左側に墓地の入り口が現れた。
北韓軍墓地
広い道路からやや奥に入ったところに、フェンスがあり、脇に案内表示が立てられている。
![](https://assets.st-note.com/img/1730767012-IDKZgxtd8TLNcEmaF7jUXfv1.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1730766943-Jg2YRDKwodVpextaWnlmzjvZ.jpg?width=1200)
案内表示の左側に「북한군묘지」(北韓軍墓地)と大きく書かれ、真ん中には地図、右側に説明がある。
説明には次のように書かれている。
ここは、6.25戦争(1950.6.25~1953.7.27)で戦死した北韓軍と中国軍の遺骸、6.25戦争後に収拾された北韓軍の遺骸を安葬した墓地だ。
大韓民国政府はジュネーブ協約と人道主義精神により1996年6月に墓地を造成し、総面積は6,099㎡で1墓域と2墓域に区分されている。
2墓域に安葬されていた中国軍の遺骸541体は、計3回にわたり 2014.3.28~2016.3.31 本国に送還された。
案内表示の地図部分だけを拡大してみる。
![](https://assets.st-note.com/img/1730774235-h3osubDJBl6Um2S9FeX8g0CA.jpg?width=1200)
フェンスの奥が④の駐車場、その近くの「현재위치 You are here」(ヒョンジェウィチ 現在位置)というところが説明板があるところである。③はトイレ。奥に入っていくと、第2墓域がある。
フェンスから駐車場に入らず、案内表示の手前を左に進んでいくと、第1墓域があるようだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1730774736-UOzeG9KX7JLCWmR2q8EFYsIf.jpg?width=1200)
フェンスの中に入り、第2墓域をまず訪ねることにした。
かつては、敷地に入ると、
「警告文
この地域は軍事施設保護区域であるので、無断出入および写真撮影を禁ずる。
違反時、軍事施設保護法によって処罰されるので、業務上の出入・必要時、事前に協調を願います。
連絡処:(〇〇〇)〇〇〇—〇〇〇〇
陸軍第〇〇〇〇部隊長」
という警告看板が立っていたが、今はない。
駐車場を奥に進んでいくと、表面にいくつも亀裂が入った、傷みが激しい案内板がある。
![](https://assets.st-note.com/img/1730852131-JOHuW8xBYdZzwILygikcN9aK.jpg?width=1200)
ここには次のように書かれている。
北韓軍/中国軍 墓地
ここは、6.25戦争(1950.6.25~1953.7.27)で戦死した北韓軍と中国軍の遺骸、6.25戦争後に収拾された北韓軍の遺骸を安葬した墓地だ。
大韓民国政府はジュネーブ協約と人道主義精神により1996年6月に墓地を造成し、総面積は6,099㎡で1墓域と2墓域に区分されている。
表題が「北韓軍/中国軍 墓地」となっていて、内容に中国軍の遺骸を本国に送還したことが書かれていないので、古い時期の案内板であることがわかる。
第2墓域
この案内板を見ながら、さらに奥に進んでいくと第2墓域がある。
![](https://assets.st-note.com/img/1730774757-BkC04qAeiE1ya3X2PHLbl8YT.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1730775087-ZuL3dnYrwENROc9amFogyvsj.jpg?width=1200)
墓は、故郷である北朝鮮の方に向けて作られている。
「北韓軍墓地」に歩いて入っていくときは、広い道路がある南側から、北に向かって歩いて行くので、墓域の裏側から入っていくような状態になる。いちばん奥(いちばん北側)まで行くと、墓域の正式な入り口と思える標石が立っている。
![](https://assets.st-note.com/img/1730853315-cwG02ISbkRn3JXPzTvuExisr.jpg?width=1200)
「제2묘역」(第2墓域)という標石の脇の階段を上っていく。
第2墓域は、区画が2つある。
のぼってすぐの区画は、ほぼ全体に墓石が置かれている。
![](https://assets.st-note.com/img/1730853891-pU9i6jlHSMy0QsDrOLdPf4wJ.jpg?width=1200)
さらに階段をのぼった区画は、右半分は空いていて、左半分に墓石がある。
![](https://assets.st-note.com/img/1730854072-ZRbKBtGxneS3zvCAFs9WiJha.jpg?width=1200)
墓石は、「무명인」(無名人)と刻まれているものがほとんどだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1730854241-CT6RFKbnBy0rtpco27NJYQle.jpg?width=1200)
この墓石の場合、「북한군507 2008.4.17 무명인 전라남도 해남군 화원면」(北韓軍507 2008.4.17 無名人 全羅南道海南郡花源面)と刻まれている。
「北韓軍507」というのは、北韓軍の遺体の整理番号ではないだろうか。2008.4.17という日付については、調べてみると、遺体の発掘調査が行われていて、発見された日付を示しているという。全羅南道以下は、発見場所であろう。
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墓石の脇には旗があった。立っている旗もあり、倒れている旗もある。風で飛ばされたのか、墓石から南mも離れた場所にもあった。
見ると、白地に青い朝鮮半島が描かれた統一旗だった。ひとつひとつ、すべての墓石に建てられていたのだろう。何か、セレモニーがおこなわれたことがあったようだ。
墓域や道は、最近、刈払機(草刈り機)で丁寧に草が刈られたようで、きれいに整っていた。墓の管理が行われていることがわかった。
第1墓域
一旦、入り口まで戻り、フェンスから外に出て、第1墓域に進んだ。
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第1墓域と第2墓域の間には農地があって、この日は2人の男性が農作業をしていた。車で農地まで来たようで、第1墓域の脇の道の先にその車は止まっていた。
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なぜ、第2墓域はフェンスの中にあり、第1墓域はフェンスの外にあるのか、意味がわかったように思えた。第1墓域は脇に農地があるため、農家の人や車が自由に出入りできるようにフェンスが設置されていないのかも知れない。
もっとも、第2墓域の手前にあるフェンスは、時間帯によって閉鎖されるのかどうかもわからないのだが。
第1墓域もいちばん奥(いちばん北)の墓域に標石が立てられている。
この標石が立てられているところが1つめの区画で、階段をのぼって行くと、2つめ、3つめ、4つめの区画が順にある。
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![](https://assets.st-note.com/img/1730859852-yG9f4uptZ3MXnaQDe1A2VNEC.jpg?width=1200)
「第1墓域」の標石が立っている、1つめの区画は、墓石がひとつもなく更地になっている。
2つめの区画に多いのは、「1.21사태 무장공비」(1.21事態 武装共匪= 武装共産ゲリラ)と刻まれた墓石だ。1.21事態というのは、1968年1月21日に起きた、北朝鮮ゲリラによる青瓦台襲撃未遂事件のことだ。射殺されたゲリラの墓が並んでいる。
この北韓軍墓地には、どれだけの遺骨が埋葬されているのか、調べてみたのだが、正確な数がつかめないでいる。
韓国の「나무위키」には、次のような説明がある。
第1墓域と第2墓域で構成されていて、第1墓域には6.25戦争の時に戦死した北韓軍戦死者たち、第2墓域には中国軍と1.21事態、麗水(ヨス)半潜水艇撃沈事件などで死んだ武装共匪たち、大韓航空858便爆破事件のキム・スンイルなどの遺骸が埋められているという。敷地は計6000㎡規模で、中国軍362人、北韓軍718人など計1080人の遺骸が埋まっているが、中国軍の遺骸は朴槿恵政府時代だった2014年から2016年までに中国政府に送還した。
https://namu.wiki/w/%EC%A0%81%EA%B5%B0%EB%AC%98%EC%A7%80
第1墓域も第2墓域も、ほとんどは「무명인」(無名人)と刻まれているが、中には軍の階級と氏名が刻まれている墓石もある。
軍の階級と氏名までわかれば遺骨の身元は判明し、北朝鮮への送還は可能なはずだ。しかし、北朝鮮は、韓国側に工作員を侵入させた事実を認めたくないことから、遺骨の受け取りを拒否しているということだ。
供え物
全体の中でただ1つだけ、供え物のある墓石があった。第2墓域にある墓石で、花、食べ物、酒が供えられている。
墓石には「중국군508 2006.9.22무명인 강원도 인제군 인제읍 2014.5.28 본국송황」(中国軍508 2006.9.22 無名人 江原道麟蹄郡麟蹄邑 2014.5.28本国送還)と刻まれている。
この無名の墓に、どういう関係の、どういう人が、どういう思いで供え物をしたのだろうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1730853613-GBIdzFr3xAPKQH2TVtSDL5Xi.jpg?width=1200)
墓地は、日本の寺にあるような墓地とはだいぶようすが違う。
困るのは、どこをどう歩いたらよいのか、わからないことだ。
ここの北韓軍墓地の場合、墓石が地面に置かれている。墓石を踏んではいけないことはもちろんだが、では、墓石のすぐ脇は踏んでもよいのか。どの範囲までが足を踏み入れてよい場所なのか、それがわからない。
そのため、遠慮がちに離れて墓石をながめた。
いくつも並んだ無名の墓碑。あなたには、どんな声が聞こえるだろうか。
帰り道
かつて来たものの、その時は立ち入ることができなかった北韓墓地のようすを見ることができた。
帰りはふたたび、猛スピードで車が走っている道を歩いて行かなくてはならないのかと思うと、少々気が滅入った。
第1、第2墓域の間にある農地で仕事をしていた2人の男性に声をかけた。北の方に見える集落の中の道を指さしながら、聞いてみた。
「ここから、あの道まで直接、行くことができますか?」
「行けないよ」
やはり、集落とこの墓地を結ぶ道路はないのだ。集落の中の道を歩いて戻れれば、安心だと思ったのだが。
農地の男性に礼を言って、ふたたび広い道路にもどった。
来た時とは反対側の歩道を歩こうとも思ったが、 横断歩道が途中にしかなく、あきらめてそのまま来た歩道を戻り始めた。
私は右側を歩いている。車は右側通行だから、私の後方から来て、脇をぬけていく。
なにしろ、こんなところもあるのである。
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道路わきの草と雑木が覆いかぶさってきている。
まず、後方を振り返る。後方から走ってくる車が途切れたことを確認し、車道側のぎりぎりを、さ~っと走り進んで、草と雑木を避けて行く。
バスで文山駅へ
再びジャンパサゴリ(ジャンパ交差点)まで戻った。
ここに来た時に降りた停留所でバスに乗ろうと思ったが、不安があった。
2008年に来た時には、住宅の中の停留所で乗った記憶があったので、住宅地の中に歩いて行くと、停留所があった。人もいたので、「文山駅に行くバスが来ますか?」と聞くと、来ると教えてくれた。
数分待つとバスが来て、文山駅に向かった。
記事では簡単にふれただけですが、この墓地の経緯について調べてみると、南北の関係について知ることがいくつもあることでしょう。
個人で訪ねる場合には、特に墓地との往復で、交通事故に十分に気をつけてください。
今回、歩いたルートは、下の地図の赤い線の道路である。
![](https://assets.st-note.com/img/1731456150-eThb203LImVBuCjr591ZsYaW.png?width=1200)
地図を見ていて気付いたことだが、緑色で示した、集落の中を通っている道路を行くルートもある。こちらの方が、交通量は少なそうだ。また、広い道路を歩く距離も短くて済む。
地図上で計測すると、赤のルートは、1.7km。緑のルートは、2.9kmある。
地図(naver mapへのリンク)
・北韓軍墓地(北朝鮮軍墓地)「북한군묘지」
naver map で「북한군묘지」(北韓軍墓地)までのルートを検索すると、バス停留所では「장파1리」(ジャンパ1リ)が最寄りの停留所になる。
・「장파1리」(ジャンパ1リ)停留所(着いたところ)
・「장파1리」(ジャンパ1リ)停留所(名前は同じくジャンパ1リだが、帰りに乗ったところ)
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