宝石の国を読んで情緒が壊されてる真っ最中
宝石の国を知ったのは、YouTubeにて鬱漫画特集を見てた時。気になるなぁっとは思っていたものの、いつか読もういつか読もうと思いつつ結局読んでいなかった。
そんなとき、友人がたまたま一巻目を買ったので貸してもらった。コマ割りがちょっと読みずらいなーっと感じたものの、宝石達の十頭身くらいあるスレンダーな絵柄に惹かれ、レンタル屋でちまちまと借り、読んだ訳だが・・・・・・。
フォス?え、ねぇどうしたの???そら豆になっちゃってるじゃん・・・・・・。
最新刊を読んで、情緒がぐちゃぐちゃになりました。
読み終わったのが深夜で、二週目も読みましたが、とても寝れる状況じゃない。とりあえずなけなしのBL漫画で気持ちの高ぶりを中和しようと試みましたがなんの意味もありませんでした。
読み終わった翌日(今日)に、宝石の国関連の動画を見漁り、あまりにも切なすぎるので、ネットにて、公開されている最新話を見て少し安心?したりしました。
鉄は熱いうちに打てという言葉もありますし、この情緒が安定しない内に感想を書く次第です。
※ここからは単行本12巻のネタバレを含みます
そら豆になったフォスフォフィライト
フォスがアイデンティティをなくしていくのは、YouTubeでちょっと情報収集してたので知っていたし、報われないのも小耳にはさんでいた。
いや、でも、あそこまで酷くなるとは思わないじゃん・・・・・・。
フォスは結局何がしたかったの?初めは先生のためや役に立たない自身を変えたいため、次はシンシャのため、失態を怒られない位まだ情けない自身に憤ったため、月人に攫われたアンタークのため、先生の謎を暴くため、先生に祈ってもらうため、皆のため、皆って誰?宝石?もういない宝石?
最終決戦のフォスを見てると本当に何がしたかったのだろうと、疑問に思ってしまう。根底には、皆(宝石達)に愛されたかったのかもしれなかったし、これ以上皆を失いたくなかったのかもしれない。あるいは、特別になりたい時もあったかもしれないし、石並みの力さえあればと思っていたのかもしれない。
あの時もっとこうしていればとか、フォスがもっと空回りしない行動を取ればとか、考えてしまう。
何度か読んで思ったのだが、もしかしたらフォスってただの自己中だったのかもしれない。皆のためとか言いつつ、結局は自己満足したかっただけのように感じた。
結局フォスは、人間を超えた何かになってしまった・・・・・・。YouTubeのコメ欄でその姿をそら豆と呼ばれていたのでwそう呼ぶことにした。
そら豆のフォス、一人称「私」だよ!?あの「僕」とか「カンゴーぬん」とか「アンタークちん」とか言ってたフォスが!!
宝石の国の特殊な鬱要素
この酷さは、言葉で率直に表してしまうと薄っぺらになってしまう。私達読者が漫画を読むことで、フォスの視点に入って追体験し、所々で一緒に絶望し、時には「どうしてそうなちゃうの・・・・・・」と心の中で咎めたり、周りの非情さに嘆いて、あのそら豆に成ったフォスを見て鬱になってもらわないと、鬱要素が解らないと思う。
自分は恥ずかしながら、メイドインアビスくらいしか鬱作品を見てないのだが、ああゆうのは絵面だけでもグロくてインパクトがあるのに対し、宝石の国は、比較的絵のグロはないわけである。
言語化が難しいが、ストーリーだけでより高度に精神を攻撃してくる作品ではないだろうか。
また、宝石という特殊な設定背景じゃないとできない鬱漫画ではなかろうか。
ついでにフォス”だけ”が希望なんてない諦めの境地なところも辛い。
金剛
全ての元凶。そもそもの話、金剛が祈ってくれればそれで解決した。ネットでは、正体を知ってから金剛を嫌いになったという意見も見受けられたが、そういえば私は12巻目まで読んでも金剛を嫌いになっていないことに気づいた。流石金剛先生。愛されるように設計されているだっけか……。とにかくそれが漫画の外まで影響があるのがすごかった。
エクメア
これまたフォスを神に追いやった元凶。本名がエマ(エンマ)・クメラ地方長ということもあり、他の方の考察でエクメア達が成仏された後は地獄に堕ちるのではとあったが、自分的には月こそがもう地獄なのではと思った。
月人が宝石と戦うために来るときは、金剛のためでもあるが極楽浄土のような雰囲気で天女の格好だった。だがしかし、皮肉なことにもその動機が地獄のような世界から抜け出したいという・・・・・・。
まとめ
宝石の国、まさに恐るべし。
これは絶対に全巻紙の漫画を揃えねば。
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