続けていきたい料理
水揚げされたばかりの鰯を、漁師が手に取って眺めている。
ピンと張った体に船のライトが照り返して、一仕事終えたような落ち着きと高揚を思わせた。
スーパーで見るものよりずっと大きい。これが東京に流通するのかと驚いていると「泳いでいない魚は小さくなる」と誰かが冗談で言った。
自炊を始めたのは、一人暮らしをしていた時だ。週一回食費節約のための作り置き。それが週三回になり、今では楽しくてほぼ毎日作っている。
今の家の近くには八百屋や魚屋があって、季節が変わると食材の顔ぶれも変わっていく。買うものを決めて外に出ることがほとんどだが、珍しい食材や人から勧められたものをつい買ってしまう。
そういう日は、「目が合ったんだよ」などと妻に言い訳をして精一杯腕を振るうことにする。
ほぼ毎日自炊する生活は、五年続いている。作った料理の写真を見返すと、牡蠣のチゲが目に留まる。勧められて買った播磨灘の一年牡蠣だ。一体誰がこれを育て、東京に流通させたのか。美味しすぎて膝を叩いた。
ひとつ思い出してみても、料理するまでに様々な人が関わっていることが分かる。牡蠣の生産者や、兵庫から東京までの流通を担う人。声の通る売り場のおばちゃんや、チゲのレシピを書いた人。
買い物をしている人もそうだ。正直なところ、牡蠣を手にした人たちの列を見たのが購入の決め手だった。
「これからも続けていきたいこと」を考えた時、まず料理が浮かんだ。そして、どう続けてきたか考えるたびに、食べた人の顔や、手に取った食材や、買い物中に見かけた人たちの姿が静かに浮かんできた。
自分以外の人やものとの関わりは、確かに大切なものの未来を形作っている。そう気づくことで、自分の中にある様々な繋がりを感じた。
何ひとつ欠けてはいけないのだ。
新鮮な鰯が食べたくなって、銚子に来た。
昔見たキラキラした鰯がまた見られるかなと期待したが、市場に鰯の姿はなかった。
売り場の人曰く「ここ数日風が強くて大きな船が出せなかったから、鰯は獲れてない」とのこと。食堂のおばちゃんも同じように返し「今は北海道のイカが美味しいの」と言う。みんな親戚の話をするように、海や風や船や魚の話をする。
帰る前に海を眺めた。
穏やかな潮騒に釣りをする人たちの声が混ざっていた。
欲しいものはなかったけれど、僕は不思議と満足していた。