地域存続にはカッコイイ大人の増殖が必要
地域が未来を生きるためには、「かっこいい大人」が増える必要があると考える。なぜなら、未来を生きる子は親に大いに影響を受けるから。
田舎といわれる地域の親が子に言いいがちなセリフ
「ええ大学いって、こんな田舎から出ていかなあかんぞ」
「こんな田舎はサラリーマンができないもんが残る」
「ちゃんと生ていくために勉強をして、大学いってええ会社に入れ」
こんな大人に育てられたら、自ずと進学や就職もきっと地域外を意識するだろうと想像する。
だから、住んでいる場所や置かれている環境等に左右されず、自分が好きだと思える趣味や仕事、副業などに情熱を注ぐ「かっこいい大人」が地域には必要だと感じている。
M氏曰く、「子どもは言葉は覚えていなくても、大人の姿勢は覚えている」とのこと。つまり、社会通念上必要とされる教育だけじゃなくて、大人の生き様が子どもの教育に大きな影響するものだとボクは理解した。
社会や自身が置かれた環境に愚痴ってる大人がいっぱいおるより、なんかようわからんけど、めっちゃ楽しそうに生きている大人がおる地域ってなんかよくないっすか?
ボクはそういう大人が増える活動をしていきたい。
そこで、M氏に相談したところ「正統的周辺参加」について教えてもらった。
「正統的周辺参加」を平たく言えば、性別、年齢、所属、古参、新参に関わらず役割があって、誰もが役に立っていること。
例えば、祭りは獅子舞は地元の大人がするが、子どもは太鼓を叩く、天狗は地元の爺さんが担い、女性は祭りの食事を準備する。誰もがあらゆる形状でまつりのに関わっている。そして、子どもは自然と大人の姿や周囲の状況を見て、何年後かの自分の役割を意識もできる。
↑こんなことを説明してくださっていたと記憶している。
こういう正統的周辺参加が得られる催しがあり、さらに大人が大人気なく楽しんでいる姿があれば、子どもにとって地域愛を育くむ土壌になるのではないかと思った次第。
ここで問題なのが、大人が本気で楽しんでいるかどうか。
例にあげた祭りは、本来の目的を忘れ、ただこなすだけの年間行事の一部になってる感は否めない。
なので、現代的な取り組み、コミュニケーション手法でやれる何かを見出し、どうすれば大人が大人気なく楽しめて、子どもにその生き様を見せることができるのかを考えつつ、そんな何かを催したい。
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