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紀伊国一之宮「伊太祁曽神社」のこと

ボクが大好きな伊太祁曽(いたきそ)神社。
心が糺される美しい鎮守の森に囲まれ、どしっと構える本殿がカッコ良すぎる。

この神社を知ることは、和歌山県民の根っこ(アイデンティティ)を知ることにつながると思う。めっちゃ簡単に記事にしたので、ご関心があれば読み進めてもらえたら。

※伊太祁曽神社にまつわる周辺情報は随時追加予定



神様のこと

伊太祁曽神社では、「五十猛命(いたけるのみこと)」という木の神様を祀る。
この神様は2人の妹神と日本中に植林し、国内の山々が豊かな緑で溢れるようになり。

また、出雲大社の「大国主(おおくにぬし)」という神様の命を救っていることから、命の神様という側面もある。このエピソードは古事記に掲載されている。




紀伊国の祖神(おやがみ)

植林を終えた木の神様は和歌山の地に鎮座された。
昔の和歌山は、豊富な木材と、紀の川で大和(奈良)に木材を大量流通させていたことから、国名は「木の国」だった。

奈良時代に国名を漢字2文字にするよう命令があり

「木の国」 きのくに
  ↓
「紀伊国」 きいのくに(きいこく)

となる。
国名に影響を与えるほど、和歌山にとって木は重要な経済資源であり、伊太祁曽神社の木の神様が多くの人々から篤く敬われていたことは疑う余地がない。
上述の理由から、和歌山の祖神(おやがみ)だといわれるのも頷ける。




神社のなりたち

「伊太祁曽神社」の名前が歴史上、初めて出てくるのが「続日本書紀」という書物。そこには702年との記載があるようだ。

ただ、記録として残っていないが、当神社は今の社地に落ち着くまで2度の引っ越し(遷座)をしている。その経緯などから考えると、当神社のなりたちは紀元前14 年よりさらに古いことがわかる。


引っ越し(遷座)については以下

①もとは現・日前宮(和歌山市秋月365)の社地に鎮座
もともとはこの地で木の神「五十猛命」は祀られていた。
この地は、強大な力を持つ紀氏という豪族の拠点で、古代和歌山のとても重要な場所であった。おそらく大和との接触など政治的な背景から、この地で木の神様として崇められてたい「五十猛命」は引っ越しせざるを得ない状況となり、神官とともに未開の地へ移ったと思われる。

   ↓

②未開の地「亥の森」に引っ越す(遷座)
今でもこんもりとした森と小さな祠があり、場所としては③現社地から南東に500m離れた場所に引っ越してきた。
この地は大きな川がなく、稲作の発展が他所に比べて遅れた地であり、好んで引っ越すような場所ではなかったのではないかと想像する。

https://note.com/kaki_hide/n/n2304e5297692

   ↓

③現社地
どのような理由があったか不明だが、②「亥の森」から現社地へ。
平安時代の延喜式という古い書物に「伊太祁曽神社」にまつわる掲載があり、朝廷から尊敬の篤い大社であることがわかる。
後々、この地は熊野街道、高野街道、龍神街道など交通の要衝地に発展したこともあり、昔は宿場町や茶店があったらしい(いまでは面影がない)。



ご利益

木の神様であるため、林業関係者の参拝はやはり多いが、実は船乗りも多いそう。というのも、昔は船を木でつくっていたことから海路の交通安全を守っていただくよう願っていたのだとか。それが転じて、交通手段が車がメーンになった現在では自動車の交通安全にもご利益があるという。



伊太祁曽神社の情報

場所:和歌山県和歌山市伊太祈曽558

アクセス:
(1)電車
わかやま電鉄「伊太祈曽駅」徒歩3分
火・土・日はスーパー駅長「よんたま」(猫)が滞在

(2)車
境内に駐車場あり
(駅付近にもコインパーキングあり)

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