ラジオと小説
三谷幸喜さん監督の映画で「ラヂオの時間」という作品があります。
平凡な主婦がラジオドラマコンクールで入選し、そのシナリオをラジオドラマ化するというもの。爆笑必至のコメディなので、興味がある方はぜひ。
で、その映画の中で出てくる人物が、ラジオドラマの良さについて熱く語るシーンがあります。曰く、「映画やテレビドラマで宇宙を描きたかったら、それなりのセットやCGを駆使して、途轍もない予算を組んでそのシチュエーションを作り出さないといけないが、ラジオドラマであればナレーションで一言「ここは宇宙」と言えば済む」というもの。
これは、ラジオだけでなく小説にも共通する長所だと思います。
映像でしか表せない世界もあれば、小説でしか表せない世界もある。
読者の想像する力を借りてはじめて、小説というものは完成するといってもいいでしょう。
「この世のものとは思えないほど美しい女性」を映画の登場人物としてキャスティングすることは不可能です。美しさの基準は人それぞれで、世界中を探しても、万人共通の絶世の美女というのは存在しないでしょうから。
でも、小説であればそういう女性を登場させることは容易です。作者の語彙や表現力に拠るところはありますが、読者それぞれが自分にとっての絶世の美女を思い浮かべて読み進めることができるので。
物事にはすべて一長一短があり、人はついその短所に目を向けて好みではないものを敬遠しがちです。長所に目を向けて学んだり吸収しようとすれば、毎日の時間が今以上に楽しくて有意義なものになりそうですよね。
地図にはさまざまな図法があります。面積を正しく表せているものもあれば、方角が正しいものもある。縮図として、すべての要素を正しく表せる地図はなく、あえて言うなら地球儀くらい。その地球儀も地図として使うには不便すぎるので、適材適所、用途に応じた図法の地図を選んで使うことになる。箸の方が食べやすい料理もあれば、ナイフとフォークがハマるものも。
好きな人はどっぷり、興味ない人はさっぱり。
小説は他のものよりもその差が激しいような気がしますけど、その良さに気づく人が一人でも増えてくれれば嬉しいです。
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