『第九』が本当の「#わたしの勝負曲」になった時
「苦悩を突き抜け歓喜に至れ!」
大学時代に歌ったベートーヴェンの『第九』が本当の意味でわたしの人生の勝負曲になった。
次男が生まれた時だ。
2人目の出産でもあり安産だった。
でも何かが違っていた。
無事出産して横になっていた時、看護師さんから「お母さん赤ちゃん良く泣いてます。泣きすぎて口の周りが青くなりました。」と聞いた。ちょっと嫌な予感がした。そして半日が経った頃、赤ちゃんのことで先生からお話があります。と。
「赤ちゃんが無呼吸発作を起こしました。SPO2の値も60を切っているので小児医療センターへ搬送します。」何が起こっているのかわからなかった。なんだろう。何が起こったんだろう。いてもたってもいられず、次男わたるのいる新生児室へ行った。保育器に入った我が子の顔を見ると涙が流れた。わたるの「お母さん、大丈夫だからね」って言っているような穏やかな顔は今でも脳裏に焼き付いている。
わたるは救急車で医療センターへ運ばれていった。
わたるの検査結果がわかるまで、2日くらいだったかもしれない。でも何週間も経った気がした。病院で結果を聞いた主人と母から電話があった。「命の方は大丈夫だ。脳の方に細胞の壊死が見られる。って。立てたり、歩いたり、知能面とかに障害が出る可能性があるみたいだ」それを聞いた時、旦那に質問責めだった。「脳の細胞が壊死したって、どうなるの?戻るの?可能性ってどういうこと?」
かなり衝撃的だった。旦那も困っていたし気持ちの整理もついてなかったと思う。目の前が真っ暗になるとはこのことだ。
私の母が「恵美は大丈夫だから、わたるの事は全部結果を伝えてください」と旦那に頼んだようだ。いざという時に母は強い人だ。絶対に動じない。自分もこういう女性にならなければと思う。
その後、わたるのいる病院に行けるようにもなり、検査が進み詳しいことがわかっていった。
新生児無呼吸発作。新生児痙攣。低酸素性虚血脳症の疑い。
大脳基底核の部分の脳細胞が壊死していた。大脳基底核は運動を司る部分のため、首が座る、立つ、歩くあらゆる面で障害がでる可能性があるとの宣告だった。更に病名が追加され左眼底奥出血。視力を出す黄斑部に血液がかかっているので、残念ですが左目の視力は出ないと話があった。
「なんで私の子が。なんか悪いことしたのかな。考えても考えてもわからなかった。」周りのひとたちが一生懸命励ましてくれたが、夜一人になると不安との闘いだった。一進一退を繰り返す我が子。この子は歩けるようになるのか、話すことができるのか?一生寝たきりなのか?一度死んでしまった細胞がもう元に戻ることなはい。駄目になった部分がどう体に影響するのか。成長して行くのか?
新生児の脳はまだ未発達な段階である。駄目になった部分も周りの神経が補うこともあるらしい。わたる自身の成長によって予後が変わる。誰も予想することはできない。
母乳を絞って、わたるのところに通う日々が始まった。実家から病院へ車で一時間。顔を早く見たいという気持ちと、今日は病態が悪くなっているんじゃないかという不安な気持ち。祈るように毎日病院へ行った。昨日よりも良くなっていますように。。病院へ向かう車の中で「第九」を聞いた。
ベートーヴェンの交響曲第九番合唱付き。
恐怖のファンファーレから始まる第4楽章。今のわたるのようだ。突然自分に、最愛の我が子に降りかかった試練。何もこんな無力な赤子の将来を奪わなくてもいいじゃないか。自分が変わってあげたい。将来への不安はこんなにも神経をすり減らすものだと思いもしなかった。
第4楽章の冒頭、オーケストラが奏でる。こんなメロディーじゃない。
人生とは。楽しいだけじゃない。苦悩の連続なんだ。
そして、強い苦悩を表すコントラバスが歓喜のメロディーを奏で始める。優しく静かに。そして弦が重なり、管が重なりティンパニーが華やかさを添え、喜びの大合奏になる。
毎日毎日「第九」を聞いて自分を奮い立たせた。
普通の子が成長する過程がわたるにとって、指標でありハードルだった。
1ヶ月の入院から自宅へ戻り普通の育児が始まった。毎日の薬の投与。少しでも様子が違うと痙攣をまた起こしてるのではと不安になる。首が座るのか。お座り、ハイハイ。遅れはないのか。わたるは常にぼーっとしているような目つきをしていた。その時は夢中で気づかなかったが、後から母にやっぱり周りの子と違うなと思っていたと言われた。とはいえ、ワタルは順調に育ってくれた。
心配していた左眼は、綺麗に出血が吸収され視力の心配は無くなった。
首も座り、ハイハイ、つかまり立ち、1歳を過ぎて歩けるようになった。上の子と比べると違う部分もあったが身体は心配なく成長していった。お医者さんも本当に良かったと言ってくれた。
脳波やMRIでは所見はあるものの、身体の心配はなさそうだ。本当に嬉しかった。奇跡だと思っている。でも全てが順調というわけでない。高熱で自発呼吸ができなくなる複雑型熱性痙攣を起こした。3歳になっても言葉が出なかった。発達心理学テストを受けた。1歳半の精神的な発達。軽度知的障害との診断だった。ショックであったが、産まれた時は寝たきりかもしれないと一度は覚悟している。こんなけの障害で済んでいる。ちょっとくらい障害があってもなんとでもカバーできる。そんな気持ちだった。
その後わたるは、なかなかの成長ぶりを見せてくれた。言葉も増え、コミュニケーションもできるようになった。ちょっとゆっくりさんかな。という感じだ。保育園と療育施設に通った。小学校に向けて、再度発達検査を受けた。その時、言語発達は悪かったものの、全体として遅れは少なく、知的障害の枠から外れた。ギリギリだ。普通学級の中で先生に注意してもらいながら、小学校へ通うこととなった。
1年生の秋にまた痙攣が再発した。てんかんである。薬でコントロールができたので、ごくごく普通の生活ができた。少し注意欠陥のあるワタル。忘れ物が多い。ぼーっとして人の話が聞けない。など特性もあり心配はつきない。一人でもいいから学校でいい友達ができるよう祈った。友達関係など辛いこともあったと思うが、毎日元気に学校へ行ってくれている。
発達障害のグレー部分にいるワタル。現在中学3年生。
今年の夏にてんかんの薬をやめることができた。中学受験に挑戦し、奇跡の合格をした。べべの成績ながら遠くの中学校へ通っている。オーケストラ部の副部長だ。コントラバスを弾いている時が一番楽しいらしい。あの「第九」で歓喜のメロディーを奏で始めるコントラバス。苦悩のコントラバスだ。
「苦悩を突き抜け歓喜に至れ」
これからまた試練があるかもしれない。
でも歓喜のメロディーを奏ではじめることのできる人間に育てて行きたいと思う。
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