【初心者向けミリタリー】戦車の歴史あらかると/Panzer024【ルノーFT戦車】
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皆さんこんにちは。
毎週木曜日の昼は、かけうどんの趣味の軍事・ミリタリーに関連する記事を投稿する時間にしております。
この『歴代戦車あらかると』シリーズでは、世界各国の歴代戦車を”単品”で取り上げてみたいと思います。
今回は『世界中の戦車の元祖』とも言われる、フランス製『ルノーFT戦車』について書きたいと思います。
過去のミリタリー関連記事はこちらのマガジンにまとめています。
【ルノーFT戦車】
1.概要
ルノーFT戦車は、1917年にフランスの有名な自動車会社であるルノー社によって開発された軽戦車で、現代戦車の基本的な構造・機能などの元祖となった、『始祖の巨人』ならぬ『始祖の戦車』です。
試作車は1917年2月に完成、翌月には150両もの発注を受けます。製造は複数の会社で行われましたが、その後、3,800両以上もつくられたとされます。
1900年代初頭にかけての陸戦の主役は歩兵でしたが、引き金を引き続ける限り弾丸が連続で発射される『機関銃』の登場によって、従来の歩兵による突撃戦法が全く使えなくなり、戦場は互いに塹壕を掘って睨み合う『膠着状態』に陥りました。
イギリスがその戦いに終止符を打つべく投入した決戦兵器が『戦車』でしたが、敵の塹壕線を突破することを目的につくられた『陸上を走る戦艦』といったコンセプトをもとにつくられた鉄の箱が、初期の頃の戦車の形でした。
初期の頃の戦車は、ただ塹壕を乗り越えて先に進むだけで良かった訳です。なので、最初の頃の戦車は、キャタピラ式の足回りの上に鉄の箱を載せただけという、いささか不格好かつシンプルなものが大半をしめていました。
さすがに、戦場に登場したての頃の戦車は、まだ何者かもよく分からない、得体の知れない代物であり、運用にも様々な問題点やトラブルが絶えませんでした。
○鉄製の箱でできた車内は高温・多湿・騒音が激しく、乗員・兵士が体力的・精神的にかなり消耗した。
○騒音がうるさいので、命令・指示が聞き取りにくかった。特に戦車と地上部隊の連携が難しかった。(初期は伝書鳩を使用したとの文献もありますが、余りの暑さからハトがひよってしまったとか…)
○基本的に小回りが利かないため、箱の各面に機関銃や砲座を設ける必要があった。すなわち多くの乗員を必要とした。
○足回りの技術が未発達のため、いかに無限軌道(=キャタピラ)とは言え、完全な地形克服には至らなかった。
従来の、塹壕戦による超長期持久戦を打破する可能性を秘めた決戦兵器の登場に世界中が注目するも、まあ、初期の戦車の問題点は、数え出したらキリが無い訳です(汗)
そんな問題だらけの戦車を、一躍、戦場の主役として確固たる地位に据えたのがフランスのルノーでした。
ルノーFTの設計思想は、フランス戦車部隊の父と呼ばれる、ジャン・バティスト・エティエンヌ将軍の構想が基礎となり生まれたとされ、本来、重く小回りの利かない戦車の指揮用に開発しようとしていたところ、その先進的かつ使い勝手が良すぎる性能から、戦場の主役に一挙に躍り出るベストセラー戦車になります。世界中が、このルノーをお手本に、後の戦車をつくることになりました。
2.構造・機能など
(1)モノコックボディ+戦闘室とエンジンルームを隔壁で分離
さすがに大手車メーカーのルノー。時代は産業革命以降、自動車がどんどん普及しつつあった時代で、大量生産をより合理的にすすめる努力が重ねられた時代でした。
そんな中、大手自動車会社として名をはせたルノーは、1914年当時のフランス国内で20%以上のシェアを誇る大企業でしたので、この手の工業製品の設計・開発はお手の物です。
特に戦車と言う兵器の問題点としてあげられていた戦闘室内の環境改善が大きく、乗員が乗る部分と、エンジンルームを隔壁で区分したことで、兵士への騒音・高温問題が解決しました。
(2)旋回砲塔と画期的な乗員レイアウト
従来の戦車は、ただの鉄の箱がキャタピラの上に載せられた、言わば鉄の船でした。小回りが利かないため、全周に対する射撃を行うには、それぞれの面に機関銃や砲をすえて、そこに人を配置する必要があったのです。
「えーっと、これ、砲自体を旋回式の塔にすればよくね?したらば、人は1人でよくね?」
至ってシンプルな考えですが、ルノーFTは世界中の戦車で初めて、360度旋回可能な砲塔を搭載しました。これにより、火器を操作する人間は一人でよくなり、乗員を一挙に減らすことにも成功します。
また、車内の騒音が隔壁の採用で劇的に緩和されましたが、砲塔の要員と、操縦室に座る要員をタンデム式に配置したことで、車内通話装置などを介さなくても、直接口頭でコミュニケーションがとれるという恩恵も得られました。これで、砲塔で周囲の状況を確認する戦車長が、操縦手に細かい操作指示が出せるようになったのは非常に大きな進歩となります。
(3)極めて合理的で優れた足回り
戦車と言えばキャタピラです。そのキャタピラですが、戦場の凸凹した地面を走り回るにはとても理にかなった機動装置なのですが、初期の頃の戦車の足回りには、いささか弱点もありました。
初期の戦車のキャタピラは、現代で言うところの工事現場の油圧ショベルやブルトーザーのような直線的なキャタピラしかもっていませんでした。ルノーの足回りはそれらに比して非常に優秀で、複数の転輪を地面の凹凸にあわせて上下に動かせるようにした仕組みになっていて、当時としては非常に画期的なものだったとも言えます。
また、初期の戦車では、操向操作によって左右のキャタピラの伸び縮みが生ずることで、最悪はキャタピラが千切れたり、外れることもありましたが、ルノーFTで採用されたキャタピラの長さを常に最適に保つ仕組みは、今の戦車のスタンダードな形とも言われており、現在も使われているような、極めて優れた機械的構造を考え出したフランスの技術力は特筆に値すると筆者は思います。
(2)火力など
ルノーFTの砲塔には、37mm戦車砲または、8mm機関銃が搭載されていました。戦車が戦場に登場した初期のものですので、まだ火力的にはそんなに大きな砲などは搭載しておりませんでしたが、歩兵の前進に随伴して、敵の火点などを制圧するには十分な火力でした。
(3)機動力
当時のエンジン技術は、まだ発展途上にあったこともあり、本車のエンジンもその例に漏れず必ずしもパワーが十分だったとは言えませんでした。
時速にして、ほんの7~8km/hという速度でしたが、歩兵の機動にピタリとくっついて、火力支援を提供するには十分だったとされます。
(4)防護力
本車が登場した時期は、現代のような戦車vs戦車がガチで殴り合うことがまだ発生していなかった時代です。そもそもが、塹壕戦によって機関銃がにらみを利かせる戦場を軽快に走り回るためにつくられたものでしたので、防護力は敵小銃や機関銃程度の火器に耐えられるようにしか出来ていません。
3.運用など
第二次世界大戦時は、さすがに戦車の登場によって、対戦車火器も発達していましたし、戦車そのものが敵戦車と戦う場面も増えました。ルノーFTの防護力では、本格的な敵戦車との撃ちあいには適していなかったと言えます。なので、第2次大戦時期のルノーは、後方地域の警備や、足回りだけを砲の牽引用に転用したもの、砲塔部分を列車に載せて自衛火器として再利用すると言ったリサイクルが流行っていたようです。
4.最後に…
ルノーFTは第一次世界大戦後に世界各国に多くが輸出されています。
当時、日本も研究用として少数を輸入しています。陸軍近代化の研究が進められる中、日本初の戦車隊は、1925年(大正9年)5月に福岡県久留米市に「第1戦車隊」として創設され、同車はその後も1930年満州事変頃まで運用されたとの記録があります。
偶然の一致というか、まさか、そんな日本の戦車部隊発祥の地である福岡県に引っ越して来るとは私も思いませんでした。
毎度のことながら、なにしろ素人が書いている記事です。諸所分かりにくいところもあるかと思いますがどうかご容赦ください。
最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。
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