【打ち上げ上がり、1000円拒否】2023-06-23

・今日の日記は「打ち上げたがり」「1000円拒否」の二本立てで行きます。


・打ち上げたがり、いませんか?

・先日、音楽祭があった。クラスが学年優勝して、みんなで慰労のムードになった。みんなで朝練して、様々な対立、議論、侃々諤々、を友情パワーで乗り越えた。掴んだ学年優勝は、まさに協力の賜物だった。

・ただ、音楽祭の一か月前から、打ち上げが企画されていた。

・打ち上げって、””湧き出るもの””じゃないのかな。「こんなに頑張ったんだから、打ち上げないとやってらんないよ!」から生まれるものだと思う。事前に計画して、プランの一つとして組み込むものではない、と思う。

・そもそも、自分が打ち上げに対して、良いイメージを持っていない。未成年の打ち上げなんて、集まって遊んで、知らない間に終わる。こんなに無駄な時間があるなら、家で寝てたい。だからこそ、打ち上げを張り切って計画されると、「どうせつまんねぇんだろうな」って思っちゃう。

・芸術と一緒。考えて作るんじゃなく、生まれてくる。打ち上げは芸術だ。


・1000円を拒否した。

・登校しているときのこと。駅の改札を抜けたところで、後ろから肩をたたかれた。

「すいません、この1000円、落としましたよ」

・1000円札。

・あの1000円札は、確実に自分のものではない。折り目が自分の財布と違ったし、1000円札は持ちあるかない。改札で財布も取りだしてないから。絶対に自分のではないことは、瞬時に分かった。

・「あざっす!」って言って、我が物にすることもできた。

・でも、「いや、違います!」って断った。偉くない?偉すぎると思う。

・拾ってくれた人的には「受け取っとけよ。こっちも急いでんだよ」って思ったかもしれない。そう考えると、受け取るのも、完全な悪ではない。でも、自分の短い人生で培った”道徳心”が、それを許さなかった。

・思えば、義務教育の9年間、道徳だけは真剣に取り組んできた。自分の思考と向き合い、考え、教科書も読み込んだ。そうして自分のモラルや遵法精神はメキメキと成長した。自分も、「良い人間」の部類に入れているのではないだろうか。


・ただ、それでも計画された打ち上げは断る。つまんねぇから。

未成年